日々是総合政策No.233

コロナ禍での「夜の余暇」を開発しよう

 新型コロナウイルス感染症の流行拡大に伴い、初めての緊急事態宣言が発出された2020年4月以来、1年半が経過しようとしています。コロナ禍の前は、「ナイトタイムエコノミー(夜の経済)の活性化」なども地域の経済活性化策として取り上げられ、ハロウィン等の機会には、様々なイベントも開催されたことも記憶に新しいと思います。
 「ナイトタイムエコノミー(夜の経済)」と言えば、なんだかお酒を飲みながら、時間を過ごすことをイメージしやすいかもしれませんが、例えば、スポーツを楽しんだり、芸術文化に触れるために、美術館に足を運んだり、映画を見に行ったり、街中で行われる芸術祭を楽しんだりすること、さらには街中で開催されるイベントに参加することなどが挙げられます。仕事が終わった後、夜に余暇の空間と時間を創り出し、消費機会を増やしていくこと、これがナイトタイムエコノミーの意義であるように思います。
 これは都市部だけではなくて、地方部においても、経済活性化の起爆剤と考えられてきました。ナイトタイムエコノミーと地域資源を組み合わせることで、魅力ある観光資源を生み出していこうという取り組みです。例えば、北海道の阿寒湖のように、デジタルアートによる演出を行い、夜の阿寒湖を散策する体験型アクティビティの提供も、そのひとつです。
 コロナ禍が続く中で、緊急事態宣言が発出されている地域では、お店で酒類の提供することは停止するよう要請がされています。また営業時間の短縮も要請され、夜20時には、街の明かりも消えていき、人通りもまばらになっていきます。一方、長く続く自粛によって、我慢の限界だという声も聞こえてきます。
 いま、考える必要があるのは、コロナ禍の中でのナイトタイムエコノミーの在り方ではないかと思います。もちろん、感染を拡大させてしまうような取り組みや混雑の発生は避けるべきですが、仕事帰りに美術館で静寂な空間の中でじっくりと芸術に触れることができる「ナイトミュージアム」、プロジェクションマッピングなどのデジタルアートと自然を家族で楽しむ夜のお散歩、またはVRなどの技術を活用して、自宅で「ナイトズー」(夜の動物園)を体験したりするなど、地域の資源や技術を活用することで、夜の新たな余暇を開発しすることで、地域の経済活性化を促していくことができると思います。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策No.225

消費者トラブルと契約

 6月8日に、令和3年度版の消費者白書が公表されました。近年、通信販売による健康食品、化粧品、飲料等の定期購入に関する消費生活相談件数は急増しており、2016年に13,673件であったのに対し、2020年は59,172件となりました。具体的に、どのような消費者トラブルであるのか、例で考えてみましょう。


 インターネットで、健康に良いと宣伝がなされている商品を見つけた。初回は「お試し、無料」と書いてあったので、申し込むことにした。商品が到着してみると、5か月分の請求書が入っていた。自分は「お試し」だけするつもりであったので、5か月分の代金を支払うつもりはない。販売元に抗議のメールをすると、「初回が無料となるのは、短くとも半年間の定期購入が条件です。それをホームーページに記載しているので、契約は成立しており、解約はできません」と言われた。


 そもそも「契約」とは、どのように成立するのでしょうか。民法522条では、「契約の内容を示してその締結を申し入れる意思表示に対して相手方が承諾をしたときに成立する」とされています。つまり、「この商品を、このような条件で売ります」ということに対し、「購入する」という買い手側が意思表示をして、買い手側が「あなたに売ります」と承諾すすれば、口頭でも、インターネットのボタンをクリックするだけでも成立したとみなされます。つまり、上記の例の場合、「6か月分の定期購入の申し込みで、初回は無料になります」ということが、ホームページ上のどこかに記載されていれば、この契約は成立してしまっています。
 もちろん契約を取り消すこともできますが、それは錯誤(95条)、詐欺又は強迫(96条)の場合です。錯誤とは、例えば、1万円と記入すべきところ、10万円と記入してしまったこと、または健康に良いと思って商品であると理解して購入意思を表示したが、実際に、その品質を備えていなかったことなどが挙げられるでしょう。さらに、錯誤が意思表示をした者の重大な過失によるものであった場合は、意思表示を取り消すことができないとも定めています。また、通信販売には、特定商取引法によるクーリング・オフ制度は適用されません。その理由は、購入意思を表示する際に、十分に検討する時間があったと見なされるからです。
 デジタル社会化が進展する中で、注意する必要がある政策論点であると言えます。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策No.219

選挙戦の様相の変化①-保守分裂選挙-

 昨年から、地方選の様相がやや変わりつつあります。昨年10月25日に投開票された富山県知事選挙では、5選目を狙った現職の石井隆一氏を、新人の新田八朗氏が破り、初当選しました。富山県は「保守王国」とも言われるお国柄ですが、自民党県連・公明党県本部が推薦する石井氏と前富山市長や自民党の地方議員らが推した新田氏との間の「保守分裂選挙」となりました。
 今年に入ると、1月24日に投開票された岐阜県知事選挙では、自民党県連に所属する議員の支持が現職の古田肇氏と新人の江崎禎英氏に分かれ、現職の古田氏が5回目の当選を果たしました。この保守分裂の背景には、岐阜県選出の国会議員と県議会での重鎮議員との対立があったと言われています。
 菅義偉首相の出身地であり、4月4日に投開票された秋田県知事選挙でも、自民党秋田県連が支持した現職の佐竹敬久氏と自民党を離党した県議が支援した元衆議院議員の村岡敏英氏との間で保守分裂となり、現職の佐竹氏が4回目の当選を果たしました。
 小川洋知事が病気により辞任した福岡県では、県知事選挙が4月11日に投開票され、前副知事の服部誠太郎氏が初当選しましたが、この知事選を巡っても、当初は、元国土交通省局長の擁立の動きもあり、2年前の選挙と同様に保守分裂選挙と見立てられました。
 3月21日に投開票された千葉県知事選挙は、県選出の自民党国会議員が元千葉市長の熊谷俊人氏への支持を表明するなど、自民党が推薦する関政幸氏との間での保守分裂の様相となりました。同日に投開票された千葉市長選挙では、千葉市議会自民党市議団が支持する神谷俊一氏と自民党市議団の一部議員が支援した小川智之氏との間での保守分裂となりました。
 保守分裂選挙が相次いでいる事実は、地域ごとに事情は多少なりとも異なりますが、これまで地方組織を取りまとめてきた重鎮議員やグループの権力なり存在感が低下しているような状況とも言えます。「権力」とは、いかに「利益」を分配できるかということであると考えれば、人口減少、少子化、高齢化などが進むことで、地域の成長度が鈍化し、それに伴い、地域内で分配する利益そのものが減少しているとも考えられます。このことは候補者を一本化することだけではなく、地域組織の力の低下は、国政選挙・地方選挙ともに大きな影響をもたらします。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策No.214

東日本大震災から10年 当日のこと

 今年の3月11日で、東日本大震災から10年が経過しました。発生時、私は大学の研究室におり、ラジオを聴きながら、仕事をしていました。ラジオを聴いていた理由は、その日の都議会において、当時の石原慎太郎知事が4選目の選挙に出馬表明をすることが予定されており、それを確認するためでした。それまで、石原知事は退任を表明しており、自身の後継候補として松沢成文氏(当時、神奈川県知事)を指名していました。しかし、事前の調査により、松沢氏では当選が難しい状況であることが判明したようで、急転直下、石原知事が出馬することになったという経緯があったと聞いています。
 突然、ラジオから緊急地震速報が聴こえてきました。「岩手県、宮城県に緊急地震速報」。しかし、千葉市にある研究室も、徐々に揺れ始め、その揺れは大きくなります。この揺れ方は尋常ではないと思い、研究室の扉を開けようとしたところ、揺れの大きさで立っていられず、研究室前に座り込んでしまったことが思い出されます。机の横のロッカーは倒れ、机の上に覆いかぶさり、本棚からはほとんどの書籍が床に落ちていました。千葉市の震度は震度5強だったようですが、研究室は10階建ての9階にありましたので、体感震度はもう少し大きく感じました。
 一時、建物の外に避難し、余震が落ち着いた後、研究室に荷物を取りに戻ると、研究室の窓の風景が一瞬、オレンジ色になりました。「なんだろう」と思った瞬間、大きな爆発音が聴こえてきました。市原市にあるLPGタンクが爆発したようで、その憧憬は、今でも鮮明に思い出されます。
 4月下旬より、大学による被災地支援ボランティア活動が始まりました。私も、第5陣として、5月の連休明けから、宮城県石巻市雄勝町に行きました。また、5月5日に、青年市長会や産業界のメンバーによって立ち上げられた「ハートタウンミッション」の活動で、5月25日に岩手県陸前高田市を初めて訪問いたしました。これらの話は、また別の機会にお話したいと思います。
 自分一人の力の無力さを痛感しました。だからこそ、自分ができることをしていこう、そのためには、何よりも行動が重要で、目の前の現実を少しでも変えていくことの大切さを学びました。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策No.210

民主主義のソーシャルデザイン「若者がもっと気軽に意見を出せる社会に!」

 3月4日に千葉県知事選挙、3月7日に千葉市長選挙が告示され、3月21日の投開票日に向けて論戦が繰り広げられる予定です。今回、これまで千葉市長を3期12年務めてきた熊谷俊人氏が千葉県知事選挙に立候補するために、千葉市長を辞職することにより、県知事選挙と政令市の市長選挙が同時に行われる「ちばダブル選挙」となりました。
 私は、これまでも投票率の向上や若者の政治参画を進めるため、「ちばでも」という活動に取り組んできました。「ちばでも」というのは、「千葉」の「デモクラシー(民主主義)」の略なのですが、これは「千葉」だけではなく、全国に広げていきたいと思っています。先日、広島県内の学生さんから連絡があり、「ちばでも」のノウハウをお伝えいたしました。「ひろしまでも」が根付いてくれたらと思っています。
 ちばダブル選挙を前に、私が所属している学部の1年生で動画づくりに興味を持っている学生さんに協力してもらい、投票啓発の動画を制作しました。

 3月4日には、千葉市長選挙立候補予定者に参加いただき、WEBでの公開討論会を開催する予定です。Zoomを活用した公開討論会は、あまり前例が無いのではないかと思います。(是非、千葉市以外の方もご視聴ください)。特に、若者の質問、意見、政策提案を募集し、事前に立候補予定者にお渡しする予定です。また討論の論点に反映させる予定です。
 なぜ、私が若者の政治参画の取り組みを続けているのか。その答えは、自分たちの「価値」や「感性」を大切にして、自分自身の幸せのことを選択し、その幸せを得るための行動をしてもらいたいからです。例えば、自分たちが住んでいる街について、自分たちにとって、もっと住みやすい、楽しい街とはどのような街なのか。もっと自分たちの視点、価値、感性から意見を出し、自分たちができることを取り組んでみることで、本当に、自分たちにとって良い街になる可能性があると思います。
 大人たちは、「若者は政治に関心が無い」、「若者の投票率が低い」と言います。しかし、それは大人たちにも責任があると思います。若者がもっと気軽に意見を出せる環境があらゆる政策形成の場に必要だと思います。

注1:「民主主義のソーシャルデザイン」プロジェクトでは、「ちばでも」を始め、若者の政治参画・社会参画に関する研究を実践活動を通じて進めています。ご興味ある方は、ぜひご連絡ください。
注2:千葉市長選挙立候補予定者WEB公開討論会は、こちらから。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策No.205

なぜ大学は対面授業に踏み切れないか:私論

 文部科学省は2020年10月中旬に対面授業が半数未満の大学名を公表するとし、努力が足りないと批判しました。以下は、対面授業の難しさについての私の個人的見解です。
 私の娘の通う小学校では1学年2クラス編成、1クラス30人弱で、social distancingにはギリギリです。また給食もあり、5人以上での会食自粛に反する環境です。幸いなことに、今のところ小学校ではクラスターが発生していません。
 コロナ禍やクラスター発生の条件に関して、大学は、小中高とはどこが違うのでしょうか。
 第1は、通学方法、通学時間や通学距離の違いです。平均的な通学距離は、小中高大と進むにしたがって延びます。大学への通学時間が1時間以上の人も結構います。通学には電車・バス・モノレールなどを利用する大学生が多く、複数回乗り換えることも普通です。朝夕はラッシュ時間と重なって3密状態です。つまり、大学生は、自宅と大学との往復過程で相当の感染リスクに直面しています。
 第2の違いは、規模や人数です。娘の小学校は6学年合計で400人程度です。やや大きな高校では生徒総数が1000~2000人ほどでしょうが、そのようなマンモス高校の校舎は結構広いでしょう。
 しかし、大規模大学では、1学部1学年の学生数が1000人以上のところも少なくありません。生徒総数1000人規模の平均的な高校と大規模大学の1学部1学年の規模がほぼ同じとすれば、1学部には生徒総数1000人規模の高校が4校分入り、学部数が5つあれば高校20校相当の人数が大学に集まっているという計算になります。しかも、各学部の大学生は、そうした高校の校舎よりもかなり狭い空間(高層でも横には狭い)で授業を受けます。
 大学生は、小中高校生と違って毎日朝から午後まで授業を受けることがないので、分散しているものの、最も学生数が集中する時間帯には高校10校分以上の学生数が集まる可能性があります。これは、学内にいることで相当の感染リスクに直面することを意味します。それに加えて、サークル活動やスポーツ活動があると、時間と場所を問わず、至る所で3密空間が発生します。 
 このように考えると、対面授業の全面的かつ早期の実施は、大学生を高い確率で感染リスクにさらす危険かつ無責任な方策としか思えませんが、皆さんはこれについてどのように考えますか。

(執筆:谷口洋志)

日々是総合政策No.203

本能寺の変の「謎」

 いよいよ最終回まで数回となった2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」。明智光秀(十兵衛)の主君であった斎藤道三は、命を散らすことになる長良川の戦いに向かう前、十兵衛に、「信長とならば、お主やれるかもしれん。大きな国を作るのじゃ」と言い残し、出陣しました。
 時を経て、十兵衛と信長は、将軍足利義昭を奉じ、京に上洛を果たし、「大きな国」を作ります。その後、将軍足利義昭を京から追放した後、織田信長政権は最盛期を迎えます。ここまでが信長と十兵衛にとって、「大きな国」の創業期であると言えます。
 その後、信長は家督を嫡男の信忠に譲ります。これを現代的に表現すれば、企業経営者が自分の子どもに「社長」職を譲り、自分は「会長」になったと言えるでしょう。
 いま、株式会社織田家には、信長社長時代から会社を支えてきた重役たち、信長の息子たち、次世代の社員たち、大きくは3つのグループが存在するようになりました。
 ここで、信長は人事異動や配置転換を始めます。重役の柴田勝家常務を北陸支社長、羽柴秀吉常務を中国支社長、滝川一益常務を関東支社長に任命し、本社から遠ざけてしまいます。まだ支社長に任ぜられた重役たちは良かったのですが、解任された重役たちもいました。これらの重役に代わり、信長の息子たちが本社の重役となっていきます。ただし、経営戦略担当常務である十兵衛だけは本社に残りました。
 このとき、信長は、「息子たちのために、いま役員の世代交代と組織変更をしておかなければならない」と考えたのかもしれません。信長から離反する社員たちも出てきて、信長は、ますます疑心暗鬼になり、暴走し、信長を取り巻く人々の心も離れていきます。その中には、「次は自分が制裁を受ける番だ」という恐怖もあったかもしれません。十兵衛は、信長を諫め続けますが、信長にはその声は届きません。「信長の暴走を止めるのは、大きな国を一緒に作ってきた自分しかいない」と思ったのかどうかはわかりませんが、十兵衛はある決意をします。「ときは今 あめが下しる 五月かな」。
 本能寺の変を現代的に見れば、「事業承継」を失敗した結果と見ることができます。後継者問題や事業承継は、経営のリスクと言えます。秀吉も事業承継に失敗をしています。歴史から現代の経営者が得る教訓は多いのではないでしょうか。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策No.197

変化対応と闘争

 2020年は、これまで「当たり前」であったことを続けることが難しくなり、私たちの世界を大きく変えることになった1年であったと言えます。その変化は、言うまでも無く、新型コロナウイルスによってもたらされたものでした。
 多くの職場で「在宅勤務」の導入が進んだように思います。在宅勤務や営業活動のリモート化が促進されることは、オフィスを置く地域や住環境の選択にも影響を及ぼします。会議や営業活動がリモートでできるのであれば、都心にオフィスを置く必要はないかもしれません。また、大きなオフィスを置く必要もないかもしれません。これは経営の観点から言えば、コスト効率化に大きく寄与する可能性があります。
 もし、毎日、通勤をしなくて良いのであれば、郊外の広い家に住むという選択もしやすくなります。自然に囲まれた環境や自分の趣味に取り組みやすい環境に住みながら、ワークライフバランスを実現しながら働くことの方が、もしかすると生産性は高まるかもしれません。
 人々の生活や行動の変容は、すなわち消費者のニーズも変化します。企業にとって大切なことは、こうした消費者のニーズの変化を適切に捉え、自らのサービスモデルを変革させていく、すなわち、変化に対応することです。これが経営の本質です。
 変化に対応すると言っても、全く新しいことを始める、ということではありません。企業には、これまで積み重ねてきた顧客からの信頼、すなわち「ブランド」があるはずです。そのブランドの提供方法を柔軟に変化させていくことで、新たなサービスを創造していくことが重要です。
 環境の変化に対応できる者は生き残り、対応できない者は生き残れない。世界は無常であり、自然淘汰と進化が常に繰り返されてきました。2021年は、企業やサービスモデルの生存競争がより一層激しくなると思います。
 こうした移行過程にあって、制度や組織は、人工的な変化が必要とされます。その時に生じるのは、「古き者」と「新しき者」との間の価値と利害対立です。社会変容の移行にあって、「既得権」との闘争のプロセスが必然とされることは歴史的に見ても明らかです。変化対応とそれに伴う闘争、これが2021年の大きなテーマとなることでしょう。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策No.189

ユーザー視点の行政デジタル革命

 いま、皆さんの身近な社会やコミュニティで、皆さん自身が何らかの政策づくりに関わることになったと思います。その時、皆さんは、どのような視点で政策を考えますか。この問いに対して、「自分が良いと思う政策を考える」と答える方もいらっしゃるかもしれません。または、「みんなが良いと思う政策を考える」と答える方もいらっしゃるかもしれません。答えは、どれも正しいと思いますが、皆さんの中で「ユーザー(利用者)の視点で考える」と思った方はいらっしゃいますか。
 例えば、このようなことを考えてみてください。いま、あなたは「住民票」が必要になったとします。そこで、市役所の窓口に行きました。そこには、案内係の人がいて、番号札を渡してくれて、申請書の書き方を親切に教えてくれました。ただ、番号札を見てみると、自分の前に10人ほど待っていることもわかりました。
 このとき、皆さんはどのように思うでしょうか。5分待っても呼び出されず、10分待っても、まだ自分の前に、あと数人。「今日は、この後、用事があるのに」、「もっと早く手続きが済めばいいのに」。このとき、ユーザー視点で考えれば、皆さんが最も求めるサービスは、早く住民票を発行してもらうこと、すなわち「時間」だったかもしれません。
 ユーザー視点で考えれば、行政サービスの提供において、「時間」はとても重要な要素だと思います。利用者満足度の観点から「どれだけ時間がかかったか」ということ、時間というコストをかけてしまったかということに、もっと注目していくべきだと思います。
 そこで必要なことは何か。これが行政のデジタル化(DX:デジタルトランスフォーメーション)です。AI、IoT等のデジタル技術を導入し、業務の効率化や業務改善を進めることは、住民が負担する「時間」というコストを軽減することにつながります。
 「脱ハンコ」は、行政のデジタル化の大きな象徴だと思います。しかし、行政のデジタル化は印鑑を無くすことではありません。行政サービスの利便性を高め、住民が支払った時間のコストを戻すことなのです。「行政のデジタル革命を政策ユーザーの視点で」。この視点が欠かせません。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策No.185

菅政権のアベノミクスが目指すもの

 「瑞穂の国の資本主義」。この言葉は、安倍晋三前首相が、政権奪還後に出版した『新しい国へ‐美しい国へ 完全版』(文春新書)で触れられる一節です。「自立自助を基本とし、不幸にして誰かが病で倒れれば、村の人たちみんなでこれを助ける。これが日本古来の社会保障であり、日本人のDNAに組み込まれている」と述べ、瑞穂の国にふさわしい資本主義、市場主義の形、経済のあり方を考えていきたいと読者に語りかけています。
 第2次安倍政権発足後、ただちにデフレ脱却を目指し、アベノミクスと呼ばれる経済再生の政策を実行していきます。しかし、そのアベノミクスも2015年には、「一億総活躍社会」という新しい看板を掲げて、変容をしていきます。また、安倍政権では、「政労使」という枠組みを通じて、賃上げに政府が「慎みを持った関与」を行ったこともありました。本来、賃金は労使交渉を通じて、民間で決めることです。ここに政府が関与することは、異例であると言えるでしょう。これは「成長と分配の好循環」を創り出すためのアプローチと、単に片付けられない安倍前首相の「政策観」や「国家観」があったのではないかと推測します。
 安倍前首相が、祖父である岸信介元首相をつなぐもの。これは「憲法改正」だけではなく、実は、社会保障や労働・雇用の政策でも、2つの政権はつながります。
 岸政権では、国民年金法を制定するとともに、国民健康法を改正することで、国民皆保険制度を創設しました。また「最低賃金法」を制定したのも岸政権でした。安倍政権では、全世代型社会保障改革に取り組み、最低賃金の引き上げに取り組んできました。安倍政権のアベノミクスは、成長と分配の2つの側面を併せ持ち、政府が市場経済に積極的に関与していくことを「是」とする「瑞穂の国の経済政策」であったと言えるかもしれません。
 菅義偉首相は、所信表明演説において、自身の社会像を「自助、共助、公助、そして絆」であると述べました。規制改革と社会のデジタル化を政権の一丁目一番地とする政権の姿は、新自由主義的なアプローチの側面が色濃く描かれるようにも思います。
菅政権のアベノミクスは、引き続き、「瑞穂の国」を目指すものなのか、小泉政権時代の「新自由主義」的な政府像を目指していくのか、目が離せません。

引用文献
安倍晋三(2013)『新しい国へ‐美しい国へ 完全版』、文春新書

(執筆:矢尾板俊平)