日々是総合政策No.325

国庫補助事業の話(1):国の理念と市町村の実務

 1970年代に入り、農業基本法の目指す農工間格差是正は政策米価引上げ運動に偏り、過剰米も発生した。農水省は農家の目線を米価から農村の生活インフラの改善に向けてもらおうと農村整備事業を立ち上げた。農村の生活環境は劣悪だった。市町村が当時の国土庁の指導・助成で農村総合計画を策定し、それを受けて農水省は50%の国庫補助金で選別したインフラを数年かけて整備する。農村のインフラは農業用の道水路が骨格を為し、農地の区画整理は都市の土地区画整理の役割も果たすので、農業インフラと一体的に生活インフラを整備(結合供給)するのが合理的である。農林水産省は集落毎の意見を反映した農村計画をつくると意気込んでいた。
 いつの間にか「欲しいものは何でも50%の補助の対象になる」と言われるようになってしまった。しかし、整備対象は公共性が必要だし農業政策の一環だから農業振興にも寄与する必要がある。もちろん様々な技術基準は守る必要がある。事業制度創設後5年程過ぎて、20歳代の私は毎年100地区程の計画審査を担当した。限られた予算の中で助成対象の事業を決めるのは難しかった。
 計画審査のために山間部の村に行った。熱心に事業の必要性を説く村長の話を聞いた後、計画策定の作業場に行った。老朽化した木造の庁舎とは別のプレハブ小屋だった。山間とはいえ真夏で冷房もなく、3人の職員が膨大な資料作りと正に格闘していた。計画に使える十分な図面すらなく、パソコンはまだ普及していない。そんな中で農振法などの土地計画・公共施設・農業施設はもとより、村中の水道・道路・水路・河川・防災施設・公園などの状況を調べ上げる。トラック1台分の資料が必要と言われた。国土庁の抽象的な総合計画を具体的に現状把握して計画を策定するのだが、東京に戻って補助対象にしない事業の詳細な資料を大幅に削減した。
 何でも使える交付金にして、使い方は市町村に任せれば良いではないかと言った意見が当時もあった。でも、「誰でも住んでみたい村に」という理念の下で、農地転用規制と農業生産基盤の助成を超えて、美しくて快適な農村のモデルを作り全国に広めたかった。全国の市町村を歩き回り話合ったことは、私にとって行政に携わる上で大きな財産になったが、国レベルの理念に基づく政策実現には、執行する市町村等の実務への配慮が必要なことが身に染みて分かった。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.315

「勇敢な兵士」の弟の勇気

 真夏の青い空、白い雲、セミの声、そして汗を拭う手を止めて聴く玉音放送。あの終戦の日も、酷暑が続いた今年と同じように、日本の夏を象徴するような日だったに違いない。今年は終戦から80年目の節目の年である。例年以上にテレビ・ラジオ・新聞などで特集が組まれ、私たちを時代の画期の時点に導いた。
 この時期になると思い出す小説がある。大江健三郎の初期の短編「勇敢な兵士の弟」(注)である。若くして自爆した特攻隊員を兄に持ち、戦後という平和な時代に生きる弟は「勇敢な兄」というトラウマから、性的不能になる。それを案じた母は霊媒師に兄の霊を呼び出してもらう。そこで特攻機の中で恐怖に泣きながら戦死して行く兄に会う。しかも、霊媒師の創作による平和な時代に生きる弟への怨念まで聞かされる。
 勇敢な兵士の弟は「臆病な弟」である。しかし、勇敢と言われた兄も、実は弟と同じ死を恐れる平凡な人間であった。戦後の日本は、勇敢な兵士を捨てて、臆病な弟から始まった。そして、それが真実ではないのかという認識から始まった。戦前・戦中の軍国主義イデオロギーを捨て去り、焼け跡闇市からこつこつと経済を立て直した。だから、人々の日常生活の背後に現れる思想的に凝り固まったイデオロギーに対して冷ややかだった。それは左翼的思想にも右翼的思想にも対しても同じである。戦後史の一コマに思想的な政治事件があったとしても、ほとんどの日本人は冷ややかに見ていた。戦後日本の社会的精神状況の健全さと言って良いかも知れない。
 昨今、人類が到達した戦後の自由で豊かな西側民主主義体制は崩れ去ろうとしていると感じている人も多いだろう。戦前に戻したような緊迫した国際情勢、国内外にみる過激な主張の政治勢力の台頭、社会の包容力を越えた競争の激化、迫り来る剝き出しの差別社会化・・・勇敢な兵士の弟は、迷いつつも、「臆病な弟」の冷めた視線でもう一度この国を見つめる。そして、煩悶しながらも、子供達が豊かで自由で幸せな日々を送れる国を模索してゆく。こんな時代の曲り角に、「勇敢な兵士」の弟の勇気ある判断が試されている。

(注)初出は「文芸春秋」1960年1月号

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.306

子孫の声を反映した民主主義

 トランプ次期米大統領は、石油と天然ガスの増産を通して物価上昇を抑制するため、「掘って掘って掘りまくれ」を選挙スローガンとした。ふと私の専門であるかんがい技術のことを思い出した。米国のロッキー山脈東側の「グレートプレーンズ」は肥沃な分厚い黒ボク土に覆われ「世界の穀倉地帯」と呼ばれるが、広大な土地の割に河川の数が少なく、農業用水は地下水に頼る。特にオガララ帯水層と呼ばれる浅層地下水層は重要な水源だが、気象条件や地層構造から帯水層への流入水が少なく「化石水」と言われる。掘りまくって過剰な揚水を続ければ地下水位は低下し、将来は地下水が枯渇する。
 大学で資源管理制度論という魅力的な名前の講義を担当することになり、講義内容の一つにオガララ帯水層の話を加えた。現在は良くても将来の子孫に不利益を与える「異時点間の外部性」を資源管理の失敗例とした(注1)。トランプ氏の「掘って掘って掘りまくれ」も、近視眼的な利益を求めて将来の子孫に地球温暖化という不利益を与える。では誰が子孫の声を代弁するか。政府と言いたいが、政策の責任者であるトランプ氏が代弁しているとは思えない。ポピュリズムの怖さだ。
 作家塩野七生氏は東日本大震災の復興計画の決定に際し、「45歳以上はこれまで通り1人1票、45歳未満は1人2票とする」ことを主張していた(注2)。そこで、子孫が投票する代わりに、投票権のない未成年の子供の親権を持つ親に子供分の1票を追加してはどうか。親1人に1.5票とし両親で子供分1票として投票数を集計する。一人親なら子供分1票も含め2票とする。
 問題もある。本当に親が子供のことを考え投票するか。将来生まれてくる子供のことは反映されない。子供の数も反映されない。でも、子供のことを心配しない親などごく少数だし、親権を持つ者に自覚を促す意味も大きい。先ず一歩を踏み出してみてはどうか。「民主主義を守るためには、時には民主主義に反することもあえてする勇気が必要である」と、塩野七生氏は言う。

(注1)元杉昭男「土地改良切り語り9 資源管理制度論」、土地改良建設
  協会誌293号、(一社)土地改良建設協会、2016年4月
(注2)塩野七生、朝日新聞朝刊、2014年3月13日 

(執筆:元杉 昭男)

日々是総合政策No.303

米・こめ・コメ

 今年の夏は一部のスーパーの棚からコメが消え価格高騰に見舞われた。このコメ騒動は備蓄米を放出するか否かの議論はあるにしろ、基本的には需要と供給がギリギリのところ均衡するよう、減少する需要に併せて供給量を減反などによって政策的に誘導したことによる。昨夏の天候による供給減やインバウンド客の需要増などのちょっとした要因で価格上昇に繋がる。他の農作物と同様に価格変動は不可避である。米麦だけは大幅な変動を回避する政策的対応をしてきたが限界はある。
 戦後の食料政策は圧倒的な供給不足から始まった。最終的には米国の占領政策の変更で小麦などの食料援助で食糧難は一息ついたが、同時に、日本人がパン食に慣れた。政府はコメの輸入を試みるが、昔も今も世界のコメ市場は流通量が少なく、今でもコメ主食の国はコメの安定確保に苦労している。私は農水省から出向してミャンマー(ビルマ)の大使館に書記官として勤務したが、戦後の初代出向者は後に事務次官となった人でエース中のエースだった。コメの買い付けでコメ輸出可能な重要な国だったのである。
 コメには思い出がある。物心ついた頃(昭和30年前後)は東京の下町でも戦禍の跡はなかったが、親から「ご飯は一粒も食べ残すな」と厳しく言われた。家から着物を持ち出しては近隣県の農家でヤミ米と交換してきたらしい。配給では足りなかったのだ。ところで、当時、下町にはポン煎餅屋がリヤカーを引っ張って時々来る。友人と米粒を持って集まる。鯛焼きのように鉄製の直径10cm位の円形の型に米粒を数粒入れて蓋を閉め薪で熱すると、ポンと言う音でコメが弾けてポン煎餅ができる。順番を待って母から貰った米粒を渡すと、「坊や、このコメではパラパラでくっつかないので煎餅にならない。」と断られ、泣く泣く家に帰った。
 東南アジア産の外米だった。米穀配給通帳を持って米屋に行けば配給米を買えるが、自給していないので外米が混じる。米屋に苦情を言うとその時だけ国産米が多くなる。闇市はなかったが、夕方になると近隣県から農家の方が頭の高さを超える竹籠に野菜などを売りに来るのだが、ヤミ米も運んでいて高価だが美味しいコメが入手できる。厳しい国際情勢の折、もう一度考えよう。米・こめ・コメ。

(執筆:元杉 昭男)

日々是総合政策No.290

アーロン収容所

 朝の通勤ラッシュのピークを過ぎた地下鉄の車内で、向かいの席の若い女性が一生懸命化粧をしていた。口紅を少し直すのでなく本格的だ。化粧は化けると意味を含み古来には神事で神様の心を和らげる意味があったらしい。神様でない私には、舞台裏を堂々と見せられているようで違和感を覚えた。昔はあり得ないことだと思いながら、小学生の時の山手線で見た風景を思い出した。
 ステッキを持ち中折れ帽をかぶり上等な背広を来た小柄な老人が車内を小走りに歩く。後から秘書らしい中年の男が大きなカバンを大事そうに抱えて懸命に続く。ブツブツ言いながら邪魔になる乗客の組足をステッキで叩く。乗客も呆れるばかりだ。運転手付きの社長車に乗る人物が何故かこうなったようだ。そうでなければ喜劇映画の一幕だ。オーナー社長風の老人は車内を自社の廊下と同一視し、化粧をする若い女性は車内を自宅の化粧室とか洗面所と思っている。2人とも“場違い”を地で行く。
 でも、もしかしたら。3年間勤務したミャンマーのアーロン(現ヤンゴン市内)にあった英軍捕虜収容所での会田雄次氏(西洋史学者)の体験に繋がるのではないか。収容所では強制労働として英軍兵士の部屋の清掃作業もある。ある日、部屋に入ると、女兵士が全裸で鏡の前で髪をすくっていたが平然としている。常識では考え難いが、日本人を家畜と同様に考えているようだ。犬や猫に見られても恥ずかしがることもない。西欧人の人種差別意識を暴き出したと言われる。
 車内で化粧に勤しむ彼女は“場違い”の意識でなく、他の乗客を家畜並みに考えているのではないか。目的地の駅に到着した。ドアが開き、犬が出る。猫、牛、馬、私と続く。彼女は動物に目もくれず化粧に専念している。でも、車内の女性全員が化粧をし始めたら、犬も猫も牛も馬も居た堪れずに噛みつくかもしれない。いや、更に老若男女全員が自分以外を動物と考えて、化粧だろうが何だろうが勝手にやれば、車内は大混乱、カオスとなる。アーロン収容所では英軍の武力が動物達を統制しているに過ぎない。
 そう思いながら、雑踏の中で他人と接触しないように上手に歩いている自分に気づいた。

(参考文献)会田雄次(2018)「改版 アーロン収容所-西欧ヒューマニズムの限界- 」(中公新書)

(執筆:元杉 昭男

日々是総合政策No.286

私の忠犬ハチ物語

HP:「東大にハチ公と上野英三郎
博士の像を作る会」事務局

 渋谷駅前のハチ公像は外国人の写真スポットとなっているが、今年は秋田県大館市に生まれたハチの生誕百年である。飼い主の上野英三郎博士(東大教授)は我が国の農地の灌漑排水や区画整理など土地改良技術の始祖で、ハチは秋田県庁の教え子から贈られた純粋種の秋田犬だった。子供のいない先生夫妻はわが子のように可愛がったが1年半後に先生は急逝した。
 先生の自宅は渋谷駅と農学部のあった駒場の中間にあり、講義には駒場に向かい、出張には駅に行く。先生死後にハチは長期出張と考え10年間駅に通い続けた。焼き鳥欲しさではない。夜行列車で朝に駅に着くために店が開く夕刻でなく朝から待ち、死因も串ではなく癌である。
 先生の学科出身の私は、10年前、東大本郷キャンパスに上野博士とハチが一緒にいる銅像を造る事業の手伝いを頼まれた。発案は、東大文学部哲学研究室で動物と人間との関係を研究テーマにする一ノ瀬正樹教授である。ハチだけが渋谷駅に鎮座し、先生の胸像は学科の入り口にポツンと置かれていて、学生が胸像を担いで渋谷まで行き、ハチと対面したこともあった(現在、胸像は資料館にハチの臓器と一緒に陳列)。
 寄付集めは同窓生以外に、獣医学関係者に協力を求めたが意外にも冷淡だったが、関連団体の会報に紹介文を載せてもらった。最後には土地改良事業関係の計画・設計会社に頼んで1000万円近くを集めた。ハチジュウ(80)年目の命日、2015年3月9日に除幕式が挙行された。500人余りの人だかりには、見事な体形の秋田犬とデビ夫人もいた。
 大型犬は人に飛びついて転倒しないように訓練するとも囁かれ、それでは訓練失敗例の像になってしまう。たが、一ノ瀬教授は「犬は人間より道徳的に高潔である」と言う。忠人○○公と呼ばれるのは難しい。

(参考文献)ご興味のある方は、「一ノ瀬正樹・正木春彦編(2015)、東大ハチ物語、(一社)東京大学出版会」をご一読願います。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.285

農作業準備休養施設

 米の生産過剰の中で政府米価引上げのエネルギーを農村の生活環境改善に向ける。農林水産省では昭和40年代から西欧を参考に農村整備事業を推進した。その事業計画担当になった私は、限られた予算額の中での事業計画調整に苦労した。多くの要望の中に、農地の真ん中に、休憩施設、更衣所、水飲・手洗場、トイレ等を備えた共用の建物である農作業準備休養施設の助成があった。農家は自宅の周りに耕作する全農地があるわけではない。小面積で分散した農地を沢山持っている(注1)。どうしても通作距離が長くなる。農水省の進める経営規模拡大をすればさらに長くなる。そんな事情もあって、農機具、肥料、農薬等の農作業の準備の他に、共同作業の調整を行い、農家同士が語らいながら昼食を取り、休養し、泥などをシャワーで落とし帰宅する。時には地域の人々の会議室にも使える施設である。
 一番重要なのはトイレで、作業中に尿意を催した時に一々自宅に帰るのは困難だ。それなら、工事現場で見かける簡易トイレだけの設置で良いではないかと言ったら、女性は見通しの良い広々した田んぼの真中で簡易トイレに入る姿を見られることに抵抗があると反論された。結局、駐車場も付いた集会室・トイレ・シャワーなどを備えた施設が整備されたが、夜間に若い男女がラブホテルに活用する例が出てきた。
 事業の費用対効果は都市と違って人口の疎らな農村では難しい。農林水産省も灌漑排水・農道・区画整理などの農業事業と一体的に整備して効率化する事業計画を進めた。当時、若き日の黒川和美先生が強調された「結合供給」(注2)論に心酔していた私には思いもよらぬフリー・ライダーの出現だった。それから30年、東日本大震災が発生した。津波被災地の集落が高台移転した後、復旧農地の真ん中に3階建ての堅牢な農作業準備休養施設を作り、津波時に作業中の農業者が自宅に帰らず、農機具とともに施設に退避し上層階または屋上に避難する。避難車の渋滞を緩和し農業者以外の避難場所にもなる。そんな計画を提案した。甦る結合供給。ただし、夜間の施錠だけは厳重に。

(注1) この状態を零細分散錯圃と言われ、我が国の農業構造的弱点である。
(注2) 「日々是総合政策No.98」を参照願います。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.279

情報の信託 ハエ取り紙効果 丸坊主

 入学したばかりの公立中学校で、生徒数の減少から近隣の学校との合併が決まった。男子生徒の一番の関心事は、校則で「男子は丸坊主頭」としていた相手の学校と合併したら全員丸坊主になるのではないかという恐れである。新聞委員だった私は多くの生徒の心配を背に、校長先生に取材を試みた。先生は「そうならない」と話され、大スクープと信じて生徒新聞に掲載した。しかし、合併後の新たな学校の校長には合併相手の校長が決まった。翌年度、私は冷たい視線を浴びながら、他の生徒とともに丸坊主になった。
 昭和から平成に変わる頃、今は廃止された食糧管理制度の下で年末に生産者米価が決定される。農業団体は農林水産省を囲み、与党国会議員グループ、食管会計赤字を危惧する大蔵省や構造改革の遅れを恐れる農水省が交渉を繰り広げる。大臣や食糧庁長官などが中心に交渉し事務方は資料作りを続ける。マスコミ関係者は省内を走り回り情報を掴もうとする。騒然とした中で、政務次官であった旧知の中川昭一代議士が省内で予算作業待機中の私を呼び、「どうしたら良いのか」とそれとなく聞かれた。思わず、「先生の役目はハエ取り紙みたいなものです」と言ってしまった。事務方からの公表可能な決定や状況を話しつつ記者の方々を次官室に引き付けておく役目だと言いたかった。失礼な言い方だが交渉や事務作業の担当者は対応できないのだ。中川次官は次々に来室する各社の記者に買い込んだ寿司を振舞いつつ懇談しながら情報を伝えた。私は取材側の熱意や本音を聞き出すテクニックに感心した。
 そんなことを思い出しながら、安倍元総理の国葬での菅前総理の弔辞について、テレビ局の報道局員の玉川徹氏による「電通が入っている」とした事実誤認発言が気になった。事の大小とか論点とかモラルとかの問題ではない。信頼の問題なのだ。SNSや検索サイトにはフェークニュースが溢れている。マスコミを統制下におく権威主義国家なら別だが、既往のテレビ・ラジオ・一般紙こそが正しいニュースや信頼できる情報を伝える役目が期待される。民主主義国家・社会の根幹を支える基盤ではないか。情報に溺れそうな現在、人々は情報の信託を求めている。

 (執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.268

ブルー・マンデー

 新聞の論説に目が留まった。「米政治学者のフランシス・フクヤマ氏は1989年の冷戦終結を『歴史の終わり』と評した。世界は民主主義と自由経済の勝利に沸き、もはや取って代わるものはないように見えた。それが『歴史の休日』(米評論家のチャールズ・クラウトハマー氏)にすぎなかったのは、既存の秩序に挑む中国やロシアの蛮行が示す通りだ。」(注1) 
 冷戦後の世界に咲き誇ったグローバリズムの下で、自由経済は一国の内部でも国家間でも格差をもたらした。米国内の政治不安の一因となり国会議事堂襲撃事件を目の当たりにした。社会主義から脱却したロシアは西側諸国との格差に不満を持ち、“愛国心”を煽る権威主義が蔓延し、領土や自然資源を求めてウクライナを侵攻する。民主主義下の政策はグローバリズムと自由経済の弱点是正に十分に機能しなかったのか。
 「冷戦後」に築き上げた国際的な秩序は葬り去られ、国家安全保障が重視される。防衛費増額だけでなく、エネルギー・食料・半導体の安定的確保などが重視される。シンガポールですらフードセキュリティー政策を打ち出した(注2)。自国の都合で輸出を止める食料輸出国や海上輸送の不安を前提に、備蓄・輸入先多様化・食料自給向上が重視される。無限定な比較優位でなく地政学的リスクを踏まえた政策が求められる。
 戦火のウクライナの人々が身を隠すシェルターが日本にはない。旧都市計画法“(1919年)では「都市計画とは、交通、衛生、保安、防空、経済等に関し、永久に安泰を維持し又は福利を増進するため」とある。現都市計画法は「健康で文化的な都市生活及び 機能的な都市活動を確保」と謳っている。もし、防空が目的に入れれば、一定規模以上の建築物には防空用地下室の設置が義務付けられ、都市計画税は引き上げられるかもしれない。
 民主主義を発展させる総合政策への期待は大きいものの、分断化と高コスト化への不安と不満が渦巻くだろう。休日は終わった。翌日はBlue Monday(ブルー・マンデー:憂鬱な月曜日)である。

(注1)小竹洋之「インフレの先は日本化か」、日本経済新聞朝刊「Opinion」、2022年7月26日
(注2)元杉昭男「コロナ禍のシンガポール的選択」、日々是総合政策No.235、2021年9月3日

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.265

ウクライナのこと

 ロシアのウクライナ侵略は内戦とも国境紛争とも違う。汎ゲルマン主義を掲げたヒットラーによるオーストリアの併合やチェコ・スロバキアの保護国化のように、汎スラブ主義を掲げたロシアの主権国家への侵略である。プーチン氏はロシア正教を信奉し、ソ連時代のスターリンを評価し、最近ではピョートル大帝の栄光を称え、ソ連やロシア帝国の領土を取り戻そうとする。日々の夥しい犠牲者の下で、専門家でもない者が罪悪感を伴わずに軽率に語れないが、疑問点だけは述べておきたい。
 第一に、西欧先進国の政治指導者が持っていた「どんな国でも経済発展すれば必然的に民主主義国になる」という信念である。中国は共産党の一党独裁のまま、経済大国となり軍事大国になり、ロシアは共産党一党独裁制も社会主義もなくなったが、専制的な政治体制(権威主義)になった。経済的発展と政治体制は無関係なのか。
 第二に、ロシアは共産党一党独裁制から多党制に基づく選挙制度に移行したが、プーチン氏率いる与党の一党優位政党制になり、野党政治家を露骨に排除している。第一次世界大戦後のワイマール共和国の民主主義体制下で国民的支持を得てナチス体制が出現した状況を想起させる。形式上の民主主義制度だけでは民主主義は守れないのか。
 第三に、「ロシア人として罪の意識を感じます」、「無関心でいたことをお詫びします」、「戦争犯罪の共犯者になってしまっている気がします」といった人々の発言がTV報道にあった。反戦を思う人々の心情として理解できるが、政府と人々の社会を分離して考える近代西欧の考えとズレがあるように思える。「ロシア人宿泊お断り」とした日本のホテルもあったが、何かアジア的な感じがする。政府指導者の偏狭的な愛国心が人々心情と一体化する恐れはないか。
 第四に、現代の軍事力は高額な兵器や兵員を保持できる経済力と、高度な科学技術を駆使した軍事技術と兵器製造に必要なサプライチェーンの掌握が必要である。この点で想定敵国に劣るとすればNATOのような軍事同盟で補うしかない。兵器としてのドローンや無人機の使用の延長上に、ロボット同士の戦闘で決着がつく日が来るのか。
 世界史的な出来事に同時代人として向き合いたい。

(執筆:元杉昭男)