日々是総合政策No.240

共感を考える(3)

 共感「empathy」は、渡辺(2011)により表1のように分類されています(注1)。読者の皆さんは、自分が観察者だと思ってください。そして、他者が幸福なときや不幸なとき、自分がどのように感じるかで、共感は4つに分類されています。他者が幸福なとき、自分も幸福ならば「正の共感」、自分が不幸ならば「逆共感」と表現されています。他者が不幸なとき、自分が幸福ならば「シャーデンフロイデ」、自分も不幸ならば「負の共感」という表現されています。

 もし他者が自分の家族(親や子供など)や恋人ならば、その共感は、他者が幸福なとき幸福を感じる「正の共感」や、他者が不幸なとき不幸を感じる「負の共感」になるでしょう。しかし、他者が恋敵や自分をいじめているクラスメートならば、その共感は、他者が幸福なとき不幸を感じる「逆共感」や、他者が不幸なとき幸福を感じる「シャーデンフロイデ」になるでしょう。別の言葉で表現すると、「正の共感」は「利他・友愛」、「負の共感」は「同情・哀れみ」、「逆共感」は「羨望・妬み」、「シャーデンフロイデ」は「他人の不幸は蜜の味」といった感情表現になるでしょう(注2)。
 生活に困っている人や生きづらい環境におかれている人を見ると、自発的に自分のできる範囲で手を差し伸べようとする人がいます。貧しい人々に対してチャリティーや贈与や援助を自発的に行う個人としては、(1)貧しい他者の所得や効用(満足・福祉)が高くなると自分の効用が高くなる個人、(2)貧しい他者の特定の財・サービス(医療・教育・食料など)の消費水準が高くなると自分の効用が高くなる個人、(3)貧しい他者に自分が手を差し伸べ贈与を与えたという慈善行為そのものから効用を得る個人、(4)貧しい他者に手を差し伸べ贈与を与えた慈善家(良い人)という評判を得ることから効用を得る個人、が考えられます(注3)。
 上記の(2)から(4)のような個人は、他者が幸福なとき自分も幸福を感じるといった「正の共感」に基づいてチャリティーや贈与をしているのではありません。上記(1)のような個人こそ、「正の共感」をもった人なのです。
 次回は、外部性や効用の相互依存性といった経済学の概念的枠組みの中で、共感について考えてみましょう。

(注1)渡辺茂(2011)「動物の共感:比較認知科学からのアプローチ」『認知神経科学』13(1):89-95。
(注2)シャーデンフロイデについては、中野信子(2018)『シャーデンフロイデ:他人を引きずり下ろす快感』幻冬舎文庫も一読すると良いでしょう。
(注3)この点は、横山彰「再分配政策(2):政府の再分配政策と個人の私的動機づけ」『日々是総合政策』No.130 、(一社)総合政策フォーラムでも、論じました。言うまでもなく、本文の(1)から(4)は純粋型で、それらが2つ以上混合した型の個人も考えられます。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.237

共感を考える(2)

 前回(No.231) に触れましたが、共感の英語表現「empathy」は心理学用語で20世紀初頭にドイツ語から英語に翻訳された言葉です。少し詳しく述べますと、心理学でいう「empathy(共感)」は、ドイツの哲学者・心理学者テオドール・リップスの感情移入(Einfühlung)に基づく概念で、ドイツ語「Einfühlung」に相当するギリシャ語「empatheia」から英訳された言葉です。(注1)
 心理学の研究分野では、この「empathy」は次のように説明されています。

 (1)empathy(共感)は自動的、無自覚的に生起する他者との情動的一体感であり、現代的用法でいう情動的共感に近い。他方、一般的用法でのsympathy(同情)は、学術的用法での(負の)認知的共感に相当すると言えよう。(注2)
 (2)共感(empathy)は、一般に情動的(あるいは感情的)共感(emotional empathy)と認知的共感(cognitive empathy)に分けて考えられている。情動的共感とは、情動伝染(emotional contagion)のように、なかば無意図的かつ自動的に他者と同様な情動状態が経験される現象を指す。一方、認知的共感とは他者の視点を取得することにより他者の心情を理解することであるとされている。(注3)

 上記の説明によれば、「empathy」は無意図的・自動的・無自覚的に生じる他者との情動的一体感を意味します。この意味での共感は、人間だけではなく、類人猿や猿や象や犬や猫などの哺乳類も持っている生得的な能力と考えられています。しかし、時空を超えて他者との情動的一体感を持つことができるのは人間だけで、それを可能にするのが人間の持つ「想像力」だそうです。他者の置かれている状況を、目の当たりにしなくとも、目に浮かべ想像することで、人間は他者との情動的一体感を持てると言われています。(注4)
 私たちは、この人間の素晴らしい能力である「想像力」をいま以上に高められるならば、「より良い社会」に向け一歩前進することができるように思います。

(注1)Theodor Lipps については石田三千雄(1999)「テオドール・リップスの感情移入論を巡る問題」『徳島大学総合科学部人間社会文化研究』(6): 1-23を、また「empathy」へと英訳された点は、澤田瑞也(1992)『共感の心理学:そのメカニズムと発達』世界思想社, 11-12頁とフランス・ドゥ・ヴァール(柴田裕介訳/西田利貞解説)(2010)『共感の時代へ:動物行動学が教えてくれること』紀伊國屋書店, 97頁を参照。
(注2)長谷川寿一(2015)「共感性研究の意義と課題」『心理学評論』, 58(3): 411-420, 415頁より引用。
(注3)大平英樹(2015)「共感を創発する原理」『エモーション・スタディーズ』, 1(1): 56-62, 56頁より一部削除のうえ引用。
(注4)ドゥ・ヴァール(2010)を参照。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.231

共感を考える(1)

 共感を考えるとき、私たちはアダム・スミスの『道徳感情論』における冒頭の一文を思い起こす必要があります。「人間がどんなに利己的なものと想定されようとも、人間の本性には、他者の運命に関心をもち、他者の幸福を眺めることで得られる喜び以外には何もなくても、他者の幸福をかけがえのないものとするような原動力が明らかに存在しています。」(注1)
 他者が感じていることを、その他者と同じ状況にあれば自分が何を感じるかを想像して、自分も同じように感じることが「共感」の一般的な意味内容です。このときの「共感」は英語の「sympathy」の訳語ですが、共感の英語表現には、「sympathy」の他にも「empathy」「compassion」「fellow-feeling」などがあります。「empathy」は、アダム・スミスの時代には存在しない言葉で、20世紀初頭に心理学の領域でドイツ語から英語に翻訳された言葉です(注2)。アダム・スミスは、「compassion」(同情)を含めどのようなパッション(激しい感情)でも、他者の感情を共有すること「fellow-feeling」を表す広い言葉として「sympathy」を用いています(注3)。
 しかし、現在の英語表現でいう「sympathy」「empathy」「compassion」にはニュアンスの違いがあるようです。同じ体験の有無でいえば、自分と同じ体験をした他者の感情を共有することを「empathy」、自分は同じ体験をしていないが想像で他者の感情を理解することを「sympathy」と表現することが一般的です。あるいは、「empathy」は相手の立場で感情を共有する “I feel with you.” なのに対し、「sympathy」は自分の立場から感情を理解する “I feel for you.” であると言われます。同情としての表現として用いるときに同情に関する感覚の強さでいえば、体験の有無からして「sympathy」よりも「empathy」の方が強い同情を表し、「empathy」(同情の共有)よりも「compassion」(献身的行動まで引き起こす同情)の方が強い感覚の同情を表すと理解されています(注4)。

(注1)Smith, A. (1759 [2002]), The Theory of Moral Sentiments, ed. by Knud Haakonssen, Cambridge: Cambridge University Press, eBook Academic Collection (EBSCOhost) –Worldwide の第1部第1編第1章「共感について」(Of Sympathy)の冒頭の英文 “How selfish soever man may be supposed, there are evidently some principles in his nature, which interest him in the fortune of others, and render their happiness necessary to him, though he derives nothing from it except the pleasure of seeing it.”(p.11)を、水田洋訳(1973)『道徳感情論』筑摩書房および高哲男訳(2013)『道徳感情論』講談社(学術文庫)を参考に、私なりに訳出しています。
(注2)詳しくは、次回以降に述べます。
(注3)このときのパッションは、喜怒哀楽に関係する激しい感情のいずれも考えられています。また、アダム・スミスの原文は次の通りですので、皆さんも皆さんなりに翻訳をしてみてください。“Pity and compassion are words appropriated to signify our fellow-feeling with the sorrow of others. Sympathy, though its meaning was, perhaps, originally the same, may now, however, without much impropriety, be made use of to denote our fellow-feeling with any passion whatever.” ( Smith, A. 1759 [2002], p.13)
(注4)次のURL(2021.8.10最終アクセス)を参照ください。
https://www.dictionary.com/e/empathy-vs-sympathy/
https://eednew.com/esl/difference-between-sympathy-empathy-compassion/
https://www.youtube.com/watch?v=uwyu0hx6wFo&t=42s
ただし、Merriam-Webster’s Dictionary of Synonyms(1984, p. 809)では、 “Empathy, of all the terms here discussed, has least emotional content;” とあり、「empathy」は同義語の中で感情的な内容が最も少ないと記述されています。これは、心理学用語としての「empathy」を含意していると理解できるでしょう。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.229

「見ることの意」

 この言葉は、日本のグラフィックデザイナーの草分け的存在であった粟津潔の『造型思考ノート』(河出書房新社、1975)に収められているエッセイ(28頁)の表題です。粟津は、「ものを創りだすことは、見ることだ」と言い、「見るということ。見えてくること。見抜くということが、ものを創りだす契機になっているような気がしてならない。そこが、『見ることの意味』なのである。」と書いています。そして、同書あとがきで、「作品をつくるということは、何を見ていたかということである。ここでいう見るということは、記憶と、これからあろうとする情動の衝突である。」(156頁)とまで言っています。
 この言葉は、視覚を研ぎ澄ませてはじめて絵と文字でメッセージを伝えることが可能になるグラフィックデザインの世界で、重みをもつのかもしれません。グラフィックデザイナーの手になる作品は、自主的につくられることもあるでしょうが、その多くがポスターや新聞広告や壁画や装幀などの制作依頼に基づいてつくられています。グラフィックデザインのみならず、インテリアデザイン、建築・環境デザイン、電子メディアデザインなど広く「デザイン」の世界では、「見ること」を通してメッセージが伝えられます。
 「見ること」を通したメッセージは、「見る」人それぞれの窓やフィルターの違いで、差異が出てきます。そこで、制作者と制作依頼者の窓やフィルターの違いだけではなく、作品を見る第三者である見手や、まだ生まれていない未来の見手の窓やフィルターの違いで、同じ作品でも多くの人びとに異なるメッセージを伝えことになるでしょう。そのとき、「素晴らしい」作品とは、メッセージの違いや時間を越えたものなのでしょうか。それは多くの人びとに、何か共通する感動や異なりながらも突出した感動を、与えるものなのでしょうか。
 また、「見ること」ではなく、「聴くこと」や「嗅ぐこと」や「味わうこと」や「触ること」を通してメッセージを伝える芸術作品では、「聴くことの意」(聴覚)や「嗅ぐことの意」(嗅覚)や「味わうことの意」(味覚)や「触ることの意」(触覚)が、大切にされ研ぎ澄まされることになるでしょう。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.223

異文化理解とは

 日本を代表する国際的な知識人であった加藤周一が、「翻訳の勧め」というエッセイで、次のように述べています。

「・・・異文化を理解するとはどういうことか。ある概念を理解するとは、それをその人自身の概念の体系へとり入れ、そこで位置づけ、他の概念と関係づけることであり、あるものを理解するとは、その人の世界観の体系に新たな要素としてそのものをつけ加えるだけではなく、体系の秩序へ組み入れることであろう。そういう体系は一般に特定の文化のなかでは、少なくとも大すじにおいて、与えられた概念的枠組みである。翻訳は異文化のー すなわち他の概念的枠組みのなかの特定概念を、自己の枠組みのなかで定義しなおすことである。」(注)

 翻訳の辞書的意味は、広辞苑第六版によれば、「ある言語で表現された文章の内容を他の言語になおすこと」ですが、加藤のいう翻訳はより広い意味内容を持っています。皆さんが古文を勉強しているのは、古文の内容を現代日本語になおす異文化理解なのです。加藤は、これを「通時的翻訳」と言っています。
 現代日本語を母語とする人々の間でも、他者理解には翻訳が必要になります。他者の書いた日本語の文章や他者の発した日本語を理解するということは、概念的枠組みが個人間で異なれば、自分の概念的枠組みの中で定義しなおすことに他ならないのです。つまり、他者の言葉を理解するには、その言葉を自分の言葉に翻訳する必要があります。加藤は、他者とりわけ強大なマス・メディアを利用することのできる力ある集団が発する言葉を、自分自身の言葉に翻訳することを勧めました。この翻訳を、加藤は「批判的翻訳」と言います。
 異文化理解の第一歩は、概念的枠組みの異なる他者が表現した言葉や文章の内容を、自分自身の概念的枠組みの中で自分の言葉に翻訳することです。次に、その翻訳の対応関係を手掛かりに、他者の概念的枠組みを推測して、自分の言いたいことを他者に分かるように自分の選択した言葉で伝え、本当に伝わったかを確認する作業を互いに繰り返すことで、相互に他者理解としての異文化理解を深め合うことができるようになるのです。

(注)加藤周一『夕陽妄語』第3輯、123-124頁、朝日新聞。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.220

人の選び方

 今回は、皆さんに人をどう選ぶのか、考えてもらいたいと思います。今回のお話しは、2年ほど前に書いたエッセイ「多様な判断基準」(No. 20)の続きでもあります。それは、皆さんが人事採用担当者だとして、英語と数学と国語の共通テストの得点(100点満点)で、次のような2人の候補者AとBのうち1人を採用する場面に直面したとするお話しでした。

英語数学国語平均
A100104050
B40506050

 運動能力やコミュニケーション能力や、協調性・勤勉性・忍耐力といった「非認知的能力」などの共通テスト以外の情報が候補者の選択に勘案される点については、既に書いた通りです。さらに、AさんとBさんの個別能力以外の情報、例えば年齢や性別や国籍や外見や出身大学や推薦者などの情報が候補者の選択に勘案されるかもしれません(注)。こうした情報で人を選ぶことは、今日では差別的な選抜方法と考えられ社会的に受容されないと思いますが、「緑の人と青い人」(No. 32)のお話しにも関連してきます。
 数値例のような共通テストの成績であれば、上記のような差別的な選抜方法で選ぶよりも、クジ引きで選ぶ方が良いかもしれません。あるいは、AさんもBさんも採用しないという選択や、両者とも採用するという選択も考えられるかもしれません。
 人が人を選ぶのは、入学試験や留学試験や国家試験などように一定の専門科目や技能水準といった共通尺度に基づく選択だけではありません。国会議員などの選挙でどの候補者を選び投票するのか、どのような人を自分の人生のパートナーとして選ぶのかなど、皆さんも色々な状況の中で人を選ぶ場面に直面します。人の選び方は、人それぞれ違いがあり、まさに十人十色です。若い皆さんは、どのようにしてパートナーを選ぶのでしょうか。
 人が人を選ぶことは、あるいは人が人に選ばれることは、人間社会で一番重要な問題でありながら、その選択についての定石・定跡はありそうですが、その正答は一つではないようです。それは、人が人を選ぶ連鎖の中で、人間社会が生成し変化しながら営まれていることにも関係しているからでしょう。

(注)C.N.パーキンソン著・上野一郎訳『新編 パーキンソンの法則:先進国病の処方箋』(ダイヤモンド社、1981年)の「7 適格者選択の原理:総理大臣の選び方」(78-90頁)も一読してみてください。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.217

祝いの言葉

 新入生に、次のような祝いの言葉を贈ったのは、四半世紀以上昔のことです(注)。

 「おめでとう」。何度聞いてもいい言葉ですね。ところで何がめでたいのでしょうか。いろいろあると思います。素晴らしい魅力ある人々の中にいる幸せ。皆さんの夢をかなえる舞台の大きさ。
 一級の舞台に一流の役者が揃いました。さてそこで、どんな劇が誰のために演じられるのでしょうか。皆さん一人一人が、脚本を書き演出をし主役を演じるのです。個性溢れる役者達を使いこなす努力も必要になります。恋敵や悪役も登場してきます。ある時ある状況のもとで人々を動かすには、何が必要なのでしょうか。
 人は一人で生きられないとすれば、 他者とどのような「つきあい方 」をしたら、 自らの夢を実現できるのでしょうか。当然、ある人々とは「つきあわない」という選択もありえます。しばらく静観する手もあります。
 さあ、舞台の幕を開ける時がきました。皆で楽しみましょう。

 いま、この祝いの言葉を読み返すと、定年退職した大学の新設学部1期生との出会いや、その後に四半世紀以上に亘り学生諸君と共同で築き上げてきたゼミナールや研究室の濃密な時間を思い出します。こうした出会いや時間は、それ以前に前任の大学で出会った学生諸君や同僚や研究者仲間と共に過ごした日々の連鎖、さらに遡れば大学院・大学時代に出会った多くの恩師や先輩や友人・後輩たちと共に過ごした日々の連鎖における、偶然と必然の綯い交ぜの中で、私自身が「選択」した帰結とも考えられます。
 その後も、これまでの人との出会いの連鎖の中で、新たな出会いや再会が生まれ、私自身の新たな時間が生み出されています。この時間の流れの中、縁あって、一人でも多くの人びとが「よりよく生きる」ための力添えをする人材を養成することを使命とする大学で、新年度から新たな時間を私なりに刻みはじめています。
 次世代を担う皆さんも、新たな出会いの中で、新たな時間を、ご自分なりに刻みはじめていただきたいと思います。新たな出会いを生み出すことこそ、新年度の素晴らしさであり、入学の「めでたさ」なのかもしれません。

(注)横山彰「大学は夢工房」(古田精司編著『カレッジライフのすすめ』57-68頁、慶應通信、1994年8月)58-59頁。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.211

“Start with the main point,”

 「まずは、要点から始めなさい。」この言葉は、2000年の国際財政学会プログラム委員長(Smolensky 教授)が、初めて学会報告をする若い研究者たちに発したメッセージの1節の冒頭部分です。この後に、次のようなフレーズが続きます。

 “not the model, nor the data. Be loud, punchy and brief. Act like you think your paper is worth the time and effort of everyone in the room, even if you don’t believe it.” 
 「モデルやデータからではなく。大きな声で力強く簡潔に。自分の論文が部屋にいるすべての人の傾注する時間や努力に値するものである、と思っているかのこどく振る舞いなさい。たとえ、そうとは信じられなくとも。」

 この1節は、私のゼミ生であった次世代の人びとに何年にもわたり、伝えてきました。そして、私の最後のゼミ生たちの卒業論文集に寄せた「2018年度卒業の皆さんに贈る言葉」には、この1節の後に次のような文章を添えました。

 「卒業後の色々な場面で、皆さんには、“Act like you think ~, even if you don’t believe it.” の『~』に、自分にとって大切な仕事の出来栄えや人間関係のあり方などを入れて考えていただきたいと思います。初舞台で震えながらも演じねばならない役者のように、4月に新たな社会の初舞台に立つ皆さんが、経験を積み上げることで存在感のある人物になって欲しいと願っています。
皆さんのご多幸を心よりお祈りいたします。」(2019年1月20日)

 1年を超えるコロナ禍の大学生活を終え、この3月に卒業式・学位授与式を迎えられる大学生・大学院生の皆さんは、これまでの先輩たちとは全く異なる環境の中でオンライン授業や課外活動を体験したことで、先輩たちとは違った眼差しをもって4月から新たな社会の初舞台に立ちます。皆さんには、学生時代の最後となる1ヶ月を皆さんにとって価値ある時間にして欲しいとも思います。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.204

いま、何を語るか(続)

 “This is America’s day. This is democracy’s day. A day of history and hope. Of renewal and resolve.・・・We have learned again that democracy is precious. Democracy is fragile. And at this hour, my friends, democracy has prevailed.” (注1)
 「きょうは米国の日だ。きょうは民主主義の日だ。再生と決意の歴史及び希望の日だ。…我々は改めて民主主義の貴重さを認識した。民主主義はもろいものだ。しかし今この瞬間、民主主義は勝利を収めた。」(注2)

 これは、アメリカ合衆国第46代大統領ジョー・バイデンが大統領就任演説(2021年1月20日)で語った一部です。この背景には、1月6日ドナルド・トランプ前大統領の発言をきっかけに発生したアメリカ連邦議会議事堂へのトランプ支持過激派の乱入事件がありました。それ以前から、トランプ前大統領の政権運営のもとで、人種や貧富や信念などによる社会の分断と、報道や選挙などを巡る民主主義の正義への不信感が、アメリカで深まっていました。
 民主主義は語る人が違えばその意味内容も異なるといわれますが、多大公約数的な辞書的意味をみれば、「(democracy)語源はギリシア語のdemokratiaで、demos(人民)とkratia(権力)とを結合したもの。権力は人民に由来し、権力を人民が行使するという考えとその政治形態」(広辞苑 第六版)です。また、Oxford English Dictionaryに基づけば、英語のdemocracyの語源を順に遡ると、フランス語のdémocratie、ラテン語のdemocratia、 ギリシャ語のδημοκρατίαで、demos「people」と cratia「power」の合成で、その辞書的意味は「government by the people」となります。(注3)
 バイデン大統領の就任演説は、こうした辞書的意味や語源的意味だけでなく、民主主義とは何かについて歴史・理論・政策の観点から考える糸口を、私たちに与えてくれています。(注4)

(注1)この英文は、日本の全国紙でも対訳付きで掲載されましたが、ホワイトハウスの下記ホームページでは1文ごと改行(行間1行)のスタイルで掲載されています。https://www.whitehouse.gov/briefing-room/speeches-remarks/2021/01/20/inaugural-address-by-president-joseph-r-biden-jr/ 
(注2)この翻訳は、日本経済新聞2021年1月22日「バイデン大統領 就任演説(全文)」(朝刊10面)から引用しましたが、全国紙で掲載されている翻訳は、新聞社ごとに違いがあります。この点は、朝日新聞2021年1月29日「池上彰の新聞ななめ読み:バイデン大統領就任演説 訳し方で違った印象に」(朝刊13面)を参照ください。
(注3)https://www.oed.com/ を参照。
(注4)このとき、宇野重規『民主主義とは何か』(講談社, 2020)が手がかりとして有益でしょう。
注のURLの最終アクセスは、すべて2021年1月29日。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.198

2021年元旦

 本年は、元旦に「新年明けまして、おめでとうございます」とは言い難い、お正月を迎えました。
 年頭にあたりまして、新型コロナウイルス感染症の猛威のもと、いまも大変なお仕事に従事なさっている医療関係者各位はじめ多くの皆さまに、心より感謝申し上げます。さらに、厳しい日常をお過ごしの皆さまのお心が少しでも休まるような日々が一刻も早く参りますよう、お祈り申し上げます。
 いまこそ、次世代の若い皆さんに考えていただきたいことがあります。皆さんは、これまでとはまったく異なる環境のもとで、一年近く生活をしてきました。コロナ感染症の不安と不確かな環境の中で、皆さんは何に一番時間を傾注したのでしょうか。もし手帳や日記やカレンダーにご自身のスケジュールを書き込んでいたならば、2020年の或る月や或る週の過ごし方を時間数で測ってみてください。例えば、2020年4月・8月・12月の生活時間の1日平均はどうだったでしょうか。1年前の同じ月の生活時間の1日平均とも比べてみてください。
 睡眠・食事・入浴など生理的に必要な活動(1次活動)の平均時間、通勤通学・仕事・学業・家事・育児・介護など社会生活を営む上で義務的な性格の強い活動(2次活動)の平均時間、テレビ・休養・学業以外の学習自己啓発・趣味娯楽・スポーツ・交際など一般に余暇活動といわれる自由な時間における活動(3次活動)の平均時間を概数でもよいので計算してみてください(注)。
 特に、3次活動の内訳に着目して、一番時間を傾注していた活動は何だったのでしょうか。その時間こそ、皆さんの未来の扉を開く鍵になります。その最大限に時間を傾注した活動を否定せず大切にして、その活動をご自身の個性や魅力や強みに結び付ける糸口を考えてみてください。その活動を、コロナ禍で大変な時間を過ごされている方々の一助となるように変換する活かし方を、是非とも考えていただきたいのです。その変換には、3年から5年あるいは、それ以上の時間がかかるかもしれません。
 しかし、若い皆さんには、そうした中長期の時間軸の中でご自身の個性や魅力や強みを活かした自己実現をして欲しいと願っています。本年が皆さんにとりまして、素晴らしい1年になりますようお祈りいたします。

(注)ここでいう1次活動・2次活動・3次活動の平均時間の定義については、「社会生活基本調査」の生活時間(https://www.e-stat.go.jp/koumoku/koumoku_teigi/M 最終閲覧2020.12.30)を参照ください。

(執筆:横山彰)