日々是総合政策No.73

対IBM政策にみる総合政策

 政策研究は仕組み作りと筆者は考えています。
 法などに基づく制度,人材の維持更新制度,運営経費負担の仕組み,などが主な領域として多くの方々にご理解いただけるかと思います。
 筆者がその渦中にあって経験した,今までで最も大きな事例は1970年代前後におけるコンピュータ関連の政策でした。これを主導したのは通商産業省(当時,通産省と略す,現在は経済産業省)でした。
 戦後,国内産業の保護育成を主導した通産省は,希少な外貨を運用する外国為替予算制度(1950年~1964年)を用いて外国製製品の輸入を統御していました。コンピュータの輸入もこの仕組みの中で取り扱われていました。また,外資法(1950年~1980年)を用いて外国資本を制限しました。そのほか,「日本電子計算機株式会社」(1961年~)を設立し,国産コンピュータを一括購入して44月で割った月額で企業にレンタルする仕組みを用意しました。
 IBMは,コンピュータについては後発企業でしたが,資金力や営業力そして開発力は抜きん出ており,1965年には「システム/360」,1970年には「システム/370」を開発するなどコンピュータ業界を牽引する企業へと巨大化していきます。日本へも門戸開放を迫って来る中で,通産省は粘り強く交渉を重ねたことで,日本のコンピュータ企業による「IBM互換機」開発への道が開かれました。この合意後,通産省は国内企業の強化を目指し,1972年から稼働します。政府開発資金の集中投入,重複の研究開発禁止,販売会社の一本化を課し,国内の2大企業(日立,富士通)でMシリーズを,技術導入先が同じ2社(NEC,東芝)で ACOSシリーズを,残る2社(三菱,沖電気)で COSMOシリーズを形成させました。筆者の経験したことは,国内企業が成果を目に見える形にし始めた時期だったのです。
 紹介した通産省の例では,時限立法によって仕組みの終了を図っていますが,希な例でしょう。一度組み立てられた仕組みの大枠は容易に変更できない以上,仕組みの提案の中に組み込めれば良いのですが,具体的にどうすれば良いのか見当も付きません。諸々のことを踏まえながら,より良い方法を見いだして行けたらと思っています。

(執筆:小林仁)