日々是総合政策No.55

『論語』と「論点整理マップ」(1)

 現代における様々な既存の社会の仕組みに無理や限界が感じられる今の時代、私たちは新たな「何か」を中心軸として制度化する必要があるのではないかと感じています。その「何か」とは、地球に住む人たち誰もが皆が納得できる「何か」である必要があります。最近、温故知新の模索の中で論語に出会う事ができたことから、その息吹を紹介しつつ、私の研究テーマについて触れていきたいと思います。

 論語に、このような言葉があります。

 「互郷は与に言い難し。童子、見えんとす。門人惑う。子曰わく、其の進むに与し、其の退くに与せざるなり。唯だ、何ぞ甚だしきや。人、己を潔くして以て進まば、其の潔きに与せん。其の往(むかし)を保せざるなり。」(野中根太郎『全文完全対照版 論語コンプリート』より)

 孔子は進歩向上したいと心から教えを乞いに来た人には身分や出身を問わず受け入れる。なぜ孔子はこのような考えをされたのでしょうか。それは、学びに来た人が教えを社会で実践することで広がり、社会全体が少しでも良くなるかもしれないと考えたからです。
 このような哲学は例えば、私たちからわずか数世代前の西郷隆盛さんにも引き継がれています。

 「第二八条 道を行うには尊卑貴賤(そんぴきせん)の差別なし。」 『南洲翁遺訓』

 その人の地位の高さ、低さ、尊さ卑しさなどといったことは、自分から見ても他人から見ても恥じない道を実践する際には、全く関係ないとする哲学です。
 私はこれらを踏まえた上で、その「何か」とは、「社会を良くしたいと願う純粋な心」にするべきだと考えています。「社会を良くしたいと願う純粋な心」には、何ものにも代えがたい、すべてを凌駕した人類共通の哲学になり得る「原動力」になるのではないかと思うのです。
 私が提案する「論点整理マップ」とは、この「社会を良くしたいと願う心」を社会に具現化する為に必要なプラットホームになるのではないかと考えます。次回に続きます。

(執筆:椎橋一樹)