日々是総合政策No.118

年金ボランティア

 中国四国農政局長に着任早々、山陽新聞からコラム欄「一日一題」を毎週2か月間執筆を頼まれたので、農業政策などではなく日常の思いをエッセイ風に書くことにした。数回執筆して調子が乗って来たので、年金問題の持論を展開した。市町村が認定するボランティア活動に年間○○日以上参加した場合に年金を全額支給するが、給与を貰って常勤で働いている人やゴルフ三昧の人などで働きたくない人には年金を減額支給とする。もちろん、介護認定を受けている人や老々介護する人や通院・入院で参加できない人などの事情があれば例外とする。
 ボランティア活動は市町村が認めれば何でもよい。新たに仲間を集めてやってもよいし、すでにやっていることでもよい。民政委員や消防団員活動、公園や街路の清掃、街の防犯見回り、学童教育・通学支援、高齢者福祉の手伝い、駅前の自転車の片付け、海外や国内の貧困者支援、身障者施設への慰問・外出支援・料理の配達、公共施設の維持修繕、棚田の農作業手伝い、災害支援、難民支援など。何も思いつかない人のため、市町村による活動紹介や市町村主導の活動参加も用意する。
作家の塩野七生さんが言うように、我々は欧米人のようにエデンの園の「禁断の実」を食べた罰として働いているわけでない。老後の日向ぼっこは似合わない。介護が必要となるまで社会的に働き、美しく安全な街・村づくりなどに貢献する。ボランティア活動参加で孤独死もなくなり、個人の抱える悩みも社会として支援できる。自由への束縛という反論もあるかも知れないが、政策は日本社会の特質を前提にするべきだ。それに年金財政の状況を考えれば、高齢者は金銭負担でなく労働で社会的コストを軽減する。言わば、「大化の改新」の税制の租庸調にある労働で支払う庸である。
 若い女性秘書に原稿を見せたら、「反発が来ますよ」と忠告されたので、原稿の最後に「ほんの思いつき」と付け加えた。彼女は正しかった。掲載された次の日に局長室に「余裕のあるお前だからそんな事が言えるのだ」といった電話が入った。次週のコラムに、「読者の方から高齢者への配慮が足りないとお叱りを受けた。お詫びしたい。」と書く羽目になった。こうして、わが「大化の改新」は歴史から葬られた。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.107

デカップリング

 農林水産省入省後に灌漑用ダム建設現場に赴任した。設計や現場監督とともに用地買収も担当した。所有者毎の買収額を決めるには境界確定が必要だが、土地登記簿上の境界は曖昧だ。私は山の斜面の測量をしながら主要地点に木杭を打ち、ビニールの紐を結んで境界を明らかにし、隣接する所有者の立会の下で境界の確認をした。異議もなく、その日は終わった。翌日、面積測量に行ったら、木杭は無残に抜かれていた。どちらかが不満だったらしい。測量器具を手に山の斜面に呆然と立ち尽くした。
 それから月日は過ぎて退官も近づいた頃、デカップリング政策の立案に関与した。政策的に農産物価格を支持すれば生産が刺激されて過剰生産となるので、価格と切り離して(デカップルして)農家に対して直接的な所得補償を行う政策である。1990年代にEUで条件不利地域(農作業効率の悪い中山間地域など)の農業政策として採用された。中山間地域の農業は国土保全などの多面的な役割を果たしているので政策の意義は大きいが、一番の心配は適正な予算執行である。例えば、中山間地域でも条件の良い農地もあるので、一定以上の傾斜度の農地を対象とした。しかし、数枚の水田がバナナのように湾曲しながら下降傾斜している場合、一番上と下の水田を直線で結ぶ傾斜度と湾曲に沿った傾斜度は異なる。問題となる傾斜度の決め方は80種類近くあることが分かり、現場担当者に周知しないと混乱する。
 各農家は営農継続の協定を結んで直接支払を受けるが、各農家の所有農地面積の把握は困難だ。中山間地域では農地の区画整理の整備率は低く地籍調査も終えていないので、土地登記簿、農地台帳、固定資産税課税台帳などに農地面積は記されていても、どれも現実の面積とはかけ離れている。冒頭の経験がよぎった。ヨーロッパとは違うのだから、協定対象の全体面積で支払い、その分配は参加者に任せるよう提案をしたが、国際派官僚に押し切られた。そこで中山間地の一筆毎の農地面積と傾斜度を当時の技術で航空測量した(成果はその後の政策にも使用された)。
 総合政策では、研究者や官僚の提案・立案と現場担当者の予算執行の「デカップリング」を心配している。「総合」という言葉を付した意味を信じたい。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.98

精神的備蓄-黒川和美先生の思い出-

 霞が関中がうなされたPPBS(注)の熱も冷めた頃、農林水産省の担当部署であるシステム分析室で、法政大学助手だった黒川先生と知り合った。当時の農林水産省はコメの生産調整、政府買上げ米価引上げ、経営規模拡大の行き詰まりを抱え、日々批判を受けていた。私は灌漑などの土木事業を専門とする技術官僚(技官)で、国の助成による灌漑事業などへの影響を心配したが、先輩諸氏からは「農業は大切だ」位しか返ってこない。先生の公共経済学の視点は新鮮だった。
 「アフリカ東岸で使われている“スワヒリ語”で話してもダメだ。広く理解されるには“英語”でないと通じない。」と言われたことがある。霞が関(広く国民)の“英語”は法学や経済学ではないか。自分のライフワークの根源を知る旅には“英語”の習得が必要だ。思い立って、黒川先生を講師に半日出勤だった土曜日の午後に若手10人程度が集まって1回1人1000円会費で経済学の勉強を始めた。先生が素人質問に丁寧に答えられるので、毎回2時間が4時間になり、さらにビールを飲みながら役所の会議室で夜遅くまで続いた。雑誌への投稿や講演もお願いして、“英語”教育をして頂いた。
 そんな中で、聞きかじりの理論を借用したつもりで、「日本人は国際水準と比較して常に高価なコメを買っているので、もし国際市況が悪化してもコメを買うだけの心構えがすでに出来ている。一種の精神的備蓄ではないか。」と主張したら、先生は雑誌に紹介して「日本が高価格に対して最も精神的弾力性が高い」と解説し、長期的視点で別の視点から考える大切さを説いた。後日、各省庁の集まる会議で先生が精神的備蓄論を紹介したら、皆がその通りと云ったそうである。霞が関の役人は常に社会的政治的な安定を考えている。
 それから間もなくして第2次臨時行政調査会による行政の徹底的な見直しが始まった。あの時のメンバーが呼び出された。黒川学校で習った公共経済学を“英語”だと信じて、批判に対する反論も自己批判もした。あれから40年。黒川学校は私の役人人生で“精神的備蓄”だったのかも知れない。

(注)planning-programming-budgeting systemの略。1960年代に米国で採用された財政の管理を科学的にして限られた予算で最も効率よく目的を達成するための制度である。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.87

「これは国家公務員倫理法で受取れません!」

 最近NHKで放映された「これは経費で落ちません!」は、サラリーマンにとって身につまされるドラマだった。私の役人人生では国家公務員倫理法に困惑した。情報収集のために必要な会食禁止も困るのだが物品の贈与受取り禁止でも苦労した。ある地方農政局長は視察先で農村の女性達が地域活性化のために手作りした饅頭の受取りを拒み、女性達の涙を誘ったという話まで伝わってきた。
 農林水産省事業で農地を整備していたキャベツの大産地から、キャベツの詰まった段ボール20箱位が霞が関の私の課に贈られてきた。毎年のことなのだが、在任中は法の施行直後だった。生ものだし宅急便で段ボール箱を送り返すのも大変だ。折角の農家の方々の心情を思い遣ると「返却!」とは言えず、廊下に積上げられた段ボール箱を前に、課長の私が全責任を取ることにして受取った。「ところで、このキャベツどうするの?」と課長補佐に聞いたら、「毎年、執務室内でバーベキュウー・パーティーして、残りは家に持ち帰ります」と言って、「でも今年は肉が贈られてきませんが・・・」と付け加えた。結局、私の負担で40人程の課員の牛肉を買う羽目になった。
 地方農政局長の時に畜産流通施設の竣工式に出席したが、帰り際に骨壺位の箱と折詰の弁当を渡された。箱の中身が1万円以上なら受取れない。弁当は3千円以下ならOKと頭を巡らせた。弁当は大丈夫だろう。包装紙に確かビトンと書いてあった。危ない。しかし、フーテンの虎さんのような風体の方が「局長!」と凄みのある声で渡されたので、怯んでしまった。
 役所に戻り、弁当は若い女性私書に渡し、すぐに部長以上の関係者を集めた。「ルイ・ヴィトン製かも知れない、包装紙を破らずすぐに返却を」とか「地元との関係から目を瞑って局長室に飾っておく」とかまとまらない。結局、私の責任で包装紙を取り外した。蚊取り線香用の豚の素焼置物で、備前焼の豚をビトンとしたらしい。とても1万円に届かない。こうして緊急会議は解散した。秋の昼下がり、「局長!とても美味しいお弁当でした」という軽やかな声を背に、局長室の置物となった豚がほほ笑んでいた。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.80

美しい誤解

 本コラムNo.33「サーベル行政」でお話したように、補助金予算の執行は案外難しい。地方分権の御旗の下で都道府県や市町村に予算を交付しても、恐らく国の役人に代わって多数の地方の役人が苦労するに違いない。私は1980年前後に農林水産省で補助金により市町村を支援する公共事業を担当した。農村の生活環境を改善するために、灌漑排水施設・農道などとともに集落道路や排水路といった生活施設を整備する事業である。各地区の事業内容は予算額の制約とともに補助金の対象になるための要件で制約される。事業目的、公共性、技術的妥当性、費用対効果と整備水準の妥当性、各種法令との整合性などであるが、要綱などの文書に書かれているものの、抽象的な場合や逆に明確すぎて現地の状況に合わない場合も多い。
 例えば、公共性の判断なら、公共事業なのだから公道から家の玄関に通じる私道は整備できない。国語辞典では「広く社会一般に利害を有する性格」を公共性とするが、「広く社会一般」の範囲は国か都道府県か市町村か集落か。公共事業では「2戸(軒)以上」とする場合が多い。とても明確な要件で、「この井戸は2戸の家が使用しているのでOK」となる。しかし、ある時、1軒の家の裏山に土砂崩壊防止用の擁壁を整備する計画があった。被災するのは1戸だから当然補助対象外としたが、老練な県の担当者から「あの家が押し流されるのではないかと集落の全員が心配している。それが集落(村)というもので1戸でも公共性はある。」と反論された。つまり、「利害を有する」は物理的利害ばかりでなく精神的利害を含むと解釈したのである。
 これを認めると農村での公共事業は公共性の縛りがなくなり何でもできることになる。その時、若い私がどう対応したか忘れたが、きっとこんな具合だっただろう。地図や図面に目を凝らす。在った!想定される被災ゾーンに小屋が。犬小屋ではない。他家の作業小屋に違いない。小屋で仮眠しているうちに被災する。とか何とか。地元要望を認めつつ「2戸以上」を死守する。「行政は芸術だ」とか勝手に酔いしれつつ終電車に急ぎながら、「男女の恋愛と行政は美しい誤解で成り立っている」と自分に言い聞かせる。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.65

カツ丼文化論

 先日開催された本フォーラムの設立記念集会で、「多文化共生」が本年度の研究テーマとして取り上げられ、総合政策も文化まで踏み込んでいることを知った。確かに周りに外国人が増えた。ところで、外務省の研修で人類学者から「成田空港に降り立つと頭が混乱する。」という話を聞いたことがある。一人一人の顔や体形を見て、○○系と判断する人類学者にとって日本人はそれだけ混血が進んでいるという。これは顔や体形だけでなく文化にも言えることである。
 日本は文化面でも中国や欧米の文化をその都度取り込んで和風化する “文化的混血国家”である。和風ハンバーグに和風スパゲッティ。ポルトガル発祥の天ぷらは醤油と大根おろしを加えられ、米飯に載せられて天丼になる。明治になってカツレツが登場するとカツ丼になる。食文化だけではない。表意文字の漢字から表音文字のひらがなを作り、欧米語は微妙な距離感を表示するカタカナで対応するといった和風化を行い、宗教でも神道と仏教を平気で併存させ、キリスト教徒でもない人々がクリスマスからハロウィンまで楽しんでしまう。
 これは何を意味しているのか。異物が入ってきても自分流にアレンジし位置付けて受容してしまう。免疫力のように異物を抹殺するのではなく、思考の座標が広くて何でも位置付け自分に合うようにアレンジできることである。ごみ収集などの日常生活のルールでも、良い意味で「郷入れば郷に従え」という教えで、地域社会で共生し、そのうちに日本風のやり方が導入される。どんな他文化も自己流に受容する。
 そうなら、他の国や地域の人々も○○国風や△△地域風にアレンジして他の文化を受容できないのだろうか。文化を融合させる和風化が広い思考の座標を前提しているならば、究極的にはその座標はどの文化にも共通になるのではないか。いつの間にかラーメンは味噌ラーメンに進化し和食になり、近年、和食が世界の人々から評価されている。多文化共生では“文化的混血国家”日本の流儀はガラパゴス化でなく、世界がガラパゴスになるかも知れないと淡い夢を持った。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.51

水戸黄門民主主義

 数年前に団体旅行で中国に行ったことがある。通訳兼添乗員は大学の日本語学科を卒業した26歳の中国人男性だったが、話す日本語がよく分からない。観光の説明なら良いが、「何時どこで集合」と伝える時は困る。でも私には彼の日本語が何となく理解でき、私が若者の通訳になってしまった。「この人の言いたいことは・・・です。」と言うと、若者が頷き自由行動が始まる。そのうち若者と話し込む機会が増えた。一人っ子で親元を離れ上海で単身アパートを借りている。家賃が高くて困っている。マンションを買わないと結婚して貰えない・・・。
 ある時、中国は自由が無くて不満ではないかと聞いてみたら、政治的な自由とか表現の自由とかなくてもビジネスができて豊かになれば良いのだと言う。チベットでもウイグルでも混乱を抑えて秩序を守り、一方で汚職や詐欺などをする悪い奴を捕まえてくれればよい。ふと元米国国務長官のキッシンジャーの「『秩序を取るか、正義を取るか』と問われれば、自分は間違いなく秩序をとる。」という言葉(A Biography、別宮貞徳監訳)を思い出した。でも、いつか自由などの基本的人権がないことに不満を覚えないか。
 欧米諸国は中国も経済発展すれば共産党独裁の政治体制は維持できなくなり、民主主義の価値観を共有出来るようになる。だから経済発展を支援するべきだという今までの信念が誤りだと気づいた。どんなに経済が発展してもどんな政治体制を取りうるし、経済発展による経済力や軍事力や高度な情報技術などを国内外の圧政に使うこともあり得る。
 19世紀初頭のドイツの哲学者ヘーゲルは、「東洋人は、(中略)自由であることを知らないから自由はないのです。かれらは、ひとりが自由であることを知るだけです。(中略)このひとりは専制君主であるほかなく」(歴史哲学講義、長谷川宏訳)と言った。中国は歴史上未だに真の民主主義を経験していない。若者は水戸黄門のように悪人を懲しめながら上手に統治し秩序を守り豊かになれば良いとする。この国はどうなるのだろうか。
 別れ際に「2~3年後にまた中国に来たら通訳に指名してあげるよ。」と言ったら、若者は「馬鹿にするな!その時は社長になっている。」と言い放った。そして雑踏の中に消えた。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策 No.33

サーベル行政

 昭和40年代に農林水産省は毎年政府が買入れるコメの価格決定に苦労していた。政治家は農家のために毎年価格の引上げを求めるし、そうするとコメは増産され余り、会社勤めの裕福な小規模な農家(兼業農家)が増えて効率的な大規模な経営農家(専業農家)が育たない。そこで、若い政治家の方々に米価引上げから劣悪だった農村の生活環境の改善に興味を向けてもらう意味もあって、市町村に対し生活環境整備に補助金を出すことになった。
 といっても、都市に比べて遅れた生活環境整備だけが問題でなかった。農地の区画整理をやって農業機械を使えるようになっても自宅の周りの道路(集落道)が整備されていない。家庭から汚水が農業用水路に流れ出す。農林水産省は効率的で生産力の高い農業の実現のため、こうした問題を解決したかったのである。
 補助金の制度では、予算額の制約の他に、様々な思惑と財務省などから認められ易い目的や補助金の対象などを決めたルール(要綱や要領)に従い適正に効率的に使わなければ、会計検査院から国会へ報告されてしまう。様々な入り組んだ制約が霞が関の30歳前の係長である私に降りかかる。政治家や市町村長さんから要望(陳情という)が来る。例えば、草野球広場の夜間照明の整備の要望で、当時の状況を踏まえ「都会でも夜間照明のある野球場なんて少ない」と断ったら、「娯楽も少ない農村で農家に昼に遊べと言うのか」と言われて閉口した。
 当時の課長の口癖は、戦後廃止された内務省(地方行財政・警察・土木・衛生などを担当)の強圧的な行政への批判で、「サーベル(刀)で脅しながらやるようなサーベル行政をやってはいけない」だった。そのため各地からの要望を聞くこととなり、益々迷うことになる。見かねた別の課長から、「迷うときは農林水産省も要綱も何もかも忘れて一人の人間として決断しなさい。決心したら君の全英知を動員して理由を付けてやりなさい。」と言われた。そうした決断なら誰もケチを付けられないし信念も揺らがない。
 補助金批判は多いが、地方との真剣な会話と苦労は中央省庁の役人として的確な政策を行うときに後々大いに役立った。一方で大学の若き先生方と高尚な議論をしながら、「じっと手を見る」といった日々だった。補助金の具体的な苦労話は、次回以降にしよう。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策 No.8

ハエ取りコンクール

 30年余り農林水産省で勤務したが、その間に政策づくりに携わったことも多かった。現状と目標との間のギャップという問題の解決策が政策で、色々な手段で人々を誘導する。手段には、法律で規制する、勧告する、情報を提供する、補助金や利子の安い融資を与える、税金を重くする・軽くするなど様々である。

ハエ取コンクールの記事
出典:広報まつど昭和32年4月15日

 そんな中に、私の小学生時代には、一定期間内に殺して集めたハエの死体数を競い、市町村から賞品が貰える「ハエ取りコンクール」があった。ハエが多く不衛生(現状)なので、ハエを少なくする(目標)という政策である。学校や役所から茶封筒と割り箸を貰い、放課後自宅からハエ叩きを持って魚屋などの店先に行ってハエを取りまくる。大人は昼間働いているから子供の活躍の場だが、近所に戦争で夫を亡くされた無職の方がいて、子供の授業中もハエを取るからいつも賞を取っていた記憶がある。戦前も戦後も各地で行われていたらしく、鹿児島市では2週間で211万匹強という記録もある(インターネット-軍政部の功績: 鹿児島ぶら歩き-より)。賞品代など僅かの予算で衛生環境の向上に絶大な効果のある事業であった。

 そこで、ミャンマーの日本大使館に勤務していた時に、自信満々に「ミャンマーの衛生環境の向上のため、大使館が賞品を出してハエ取りコンクールをやってはどうか」と会議で提案した。その時、老練な大使は、「戦前の中国では日本が提案してハエ取りコンクールをやったが、ハエを大量に人工的に繁殖させて受賞する者が出てきた」と話され、提案はあえなく退けられた。現状も目的も明確で、とても効率的に見えるのだが、政策を受け取る人々の反応を見まちがえると、ハエが増えてしまうといったとんでもないことが起きる。
 人々の反応は国や地域の文化にも関係する。政策づくりはハエを取るように簡単ではない。でも、そこに政策作りの面白さもある。

(執筆:元杉昭男)