日々是総合政策No.80

美しい誤解

 本コラムNo.33「サーベル行政」でお話したように、補助金予算の執行は案外難しい。地方分権の御旗の下で都道府県や市町村に予算を交付しても、恐らく国の役人に代わって多数の地方の役人が苦労するに違いない。私は1980年前後に農林水産省で補助金により市町村を支援する公共事業を担当した。農村の生活環境を改善するために、灌漑排水施設・農道などとともに集落道路や排水路といった生活施設を整備する事業である。各地区の事業内容は予算額の制約とともに補助金の対象になるための要件で制約される。事業目的、公共性、技術的妥当性、費用対効果と整備水準の妥当性、各種法令との整合性などであるが、要綱などの文書に書かれているものの、抽象的な場合や逆に明確すぎて現地の状況に合わない場合も多い。
 例えば、公共性の判断なら、公共事業なのだから公道から家の玄関に通じる私道は整備できない。国語辞典では「広く社会一般に利害を有する性格」を公共性とするが、「広く社会一般」の範囲は国か都道府県か市町村か集落か。公共事業では「2戸(軒)以上」とする場合が多い。とても明確な要件で、「この井戸は2戸の家が使用しているのでOK」となる。しかし、ある時、1軒の家の裏山に土砂崩壊防止用の擁壁を整備する計画があった。被災するのは1戸だから当然補助対象外としたが、老練な県の担当者から「あの家が押し流されるのではないかと集落の全員が心配している。それが集落(村)というもので1戸でも公共性はある。」と反論された。つまり、「利害を有する」は物理的利害ばかりでなく精神的利害を含むと解釈したのである。
 これを認めると農村での公共事業は公共性の縛りがなくなり何でもできることになる。その時、若い私がどう対応したか忘れたが、きっとこんな具合だっただろう。地図や図面に目を凝らす。在った!想定される被災ゾーンに小屋が。犬小屋ではない。他家の作業小屋に違いない。小屋で仮眠しているうちに被災する。とか何とか。地元要望を認めつつ「2戸以上」を死守する。「行政は芸術だ」とか勝手に酔いしれつつ終電車に急ぎながら、「男女の恋愛と行政は美しい誤解で成り立っている」と自分に言い聞かせる。

(執筆:元杉昭男)

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