日々是総合政策No.131

世界にはびこる不正義を許せるか(3):「加害者にやさしい国 日本」

 2018年1月に前橋市で交通事故があり、当時85歳の男が運転する乗用車によって女子高校生2人が死傷した。その判決が2020年3月6日、前橋地裁であった。結果は無罪であった。事件の概要と無罪判決の論理はこうである(以下の内容は、上毛新聞社「女子高生死傷事故 87歳被告に無罪判決 前橋地裁 静まり返る傍聴席 遺族『頭、真っ白に』」2020年3月6日6:06配信、https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200306-00010000-jomo-l10、ニュース基づく)。
 ①男は排尿障害の薬を服用→②乗用車を運転→③急激な血圧変動で意識障害→④車は対向車線の路側帯へ→⑤路側帯を自転車で走っていた高校生2人がはねられる→⑥1人は死亡、1人は脳挫傷などで大けが
 男には、低血圧やめまいの症状があった。検察側によると、③の可能性があるので、医師は運転しないように注意していた。しかし、裁判長は、慢性的な低血圧が意識障害になった事実はない、①が③の副作用をもたらすという説明を受けた証拠はない、意識障害の発生は予見できなかった、という理由で無罪判決を行った。しかも、「事故は事実だが、男の責任ではない」とした。要するに、薬が予見できない行為を引き起こしたので男には責任がない、というわけだ。
 この判決のように、罪のない人を殺傷し、その人たちの幸せと将来の可能性を抹殺した人間に対して、ほとんど罪が問われないケースが日本では少なくない。実際、麻薬等を服用して刃物を使って無差別殺人をおかしても、責任能力がないとして無罪もしくは極めて軽い罪を言い渡すだけの判決が多い。
 高校時代に私は正義の味方になりたいと思って法学部受験を考えていた。しかし、私の考えは間違っていたようだ。日本の法律は、正義のためにあるのではなく、加害者の権利を守るためにあるかのようだ。すでに声を出して反論できなくなった犠牲者や被害者の権利には何の配慮もない。日本に正義の味方はいないのか、少なくとも裁判長は正義の味方ではなく、加害者の味方のようだ。

(執筆 谷口洋志)

日々是総合政策No.130

再分配政策(2):政府の再分配政策と個人の私的動機づけ

 前回(No. 121)は、最悪の事態に対する備えとしての社会保障制度を、再分配政策に対する立憲的な政策需要の観点から考えました。立憲後段階(社会の基本構造や基本ルールの設定後の段階)で、政府の再分配政策を求める個人の私的動機づけもあります。
 政府の再分配政策を考える前に、チャリティーや贈与や援助のような私的な再分配行動をとる個人を分類してみましょう。(1)貧しい他者の所得や効用(満足・福祉)が高くなると自分の効用が高くなる個人、(2)貧しい他者の特定の財・サービス(医療・教育・食料など)の消費水準が高くなると自分の効用が高くなる個人、(3)貧しい他者に自分が手を差し伸べ贈与を与えたという慈善行為そのものから効用を得る個人、(4)貧しい他者に手を差し伸べ贈与を与えた慈善家(良い人)という評判を得ることから効用を得る個人、が考えられます。
 以上の4類型のいずれの個人も、自発的に貧しい他者に所得移転や特定財・サービス移転を行う私的動機を持っています。しかし、類型(3)(4)の個人が行う贈与は私的財の性質を持つのに対し、類型(1)(2)の個人が行う贈与は公共財の性質を持ちます。つまり、類型(1)(2)のような個人にとっては、自分以外の誰かが貧しい他者に手を差し伸べて所得移転や特定財・サービス移転をするならば、自らがそうした移転をしなくとも自分の効用を高めることができますので、フリーライダーが可能になります。言い換えれば、類型(1)(2)のような個人と同じような人々にとっては、貧者である個人の所得や特定の財・サービスの消費水準は、公共財となります。
 したがって、こうした貧者に対する公共財としての再分配を供給する政府の再分配政策を求める個人の私的動機づけとしては、類型(1)(2)のような個人と同じような選好をもつことが考えられのです。ただし、類型(1)の場合には貧者への現金移転が効率的な移転形態ですが、類型(2)の場合には貧者への特定の財・サービスに対する価格補助金が効率的な移転形態になります。

(注)本エッセイは、横山彰(2018)「再分配政策の基礎の再考察」『格差と経済政策』(飯島大邦編、23-45頁、中央大学出版部)の一部を分かりやすく書き直したものである。

(執筆:横山彰)

新型コロナウィルス感染症の拡大予防による「多文化共生社会の総合政策研究」プロジェクト活動休止について

連日の報道等にて皆様ご承知のことと思いますが、新型コロナウィルス感染症が拡大しております。この状況に鑑み「多文化共生社会の総合政策研究」プロジェクトの研究会は、当面のところ休止といたします。今後の研究会開催につきましては、新型コロナウィルス感染症の動向を見つつ判断の上、HP等にてご連絡いたします。

「多文化共生社会の総合政策研究」プロジェクト

横山彰・山内勇人

日々是総合政策No.129

累進所得税と低所得者支援(3)

 前回No.120 では、勤労所得税額控除(EITC: Earning Income Tax Credit)による低所得者支援を取りあげました。今回は低所得者支援に所得税制が使用される背景について考えます。
 さて、低所得層には社会保障政策で対処し、高所得層には累進所得税による高率課税政策を行うという役割分担論があります。今日でもこの分担論は基本的に有意義と考えられますが、では、なぜ低所得者支援にEITCという租税政策が援用されるのでしょうか?
 その大きな理由の一つは、失業などで労働を止め社会保障を受益している人が、「労働に再び参加するコスト」(=以下、Participation Tax Rate=参加税率と記す)が高いことにあります。生活保護手当や失業手当など社会保障を受益している人が再び労働に参加すると、これらの手当が給付されなくなり、さらに所得税や社会保険料などの負担が生じます。
 いま、簡単なかたちで
 参加税率=(勤労復帰による社会保障給付の減少+所得税・社会保険料負担等の増加)÷勤労所得、
 と定義します。

参加税率の国際比較(% 2018年)

(出所)https://stats.oecd.org/viewhtml.aspx?datasetcode=PTR&lang=en 
より作成(最終アクセス2020/2/25)。

 上の表は、子供二人の両親のうち、一人が労働ゼロ、そのパートナーはフルタイムの勤労者で平均賃金の67%を得ており、労働ゼロの親は最低所得保障(生活保護タイプ)を給付されているとし、仮に労働ゼロの親が平均賃金の67%を得る場合の参加税率を示します。
 最低所得保障政策は多くの場合、勤労所得の増加に伴い給付を減額するシステム=差額主義を採用しています。つまり、労働参加すると労働による成果が「給付の減少」という形で取られてしまいます。そこで、経済的自立=労働参加を促す政策として、労働の成果自体を補助するEITCが登場したわけです。
 なお、参加税率を高める要因として、勤労所得税や社会保険料という公的負担も重要です。日本の参加税率の高い原因として社会保険料負担が注目されています。

(執筆 馬場 義久)

日々是総合政策No.128

民主主義のソーシャルデザイン:リスクとクライシスのマネジメント(2)

 もうひとつの言葉、「クライシスマネジメント(危機管理)」についても考えてみましょう。リスクマネジメントが損害が発生する前までの「予防」的な活動であるのに対し、クライシスマネジメントとは、損害が発生した後に行われる「発生した”損害(ダメージ)”をいかに拡大させないか、または、その影響を小さいものとするか」という活動であると言えます。
 例えば、企業が何らかの不祥事を起こしてしまったとします。起きてしまった不祥事は、タイムマシーンが無い限り、不祥事が起きる前に戻って、それを食い止めるということはできません。できることは、その不祥事によって生じる企業の損害(ダメージ)を最小化し、できるだけ早く、その損害(ダメージ)から回復することです。
 これは企業の不祥事に限らず、災害や感染症などによる「危機(クライシス)」に対しても同じことが言えます。クライシスマネジメントにおいて最も重要な活動は「コミュニケーション活動」です。災害や感染症などの「危機」においては、多くの根拠のないデマ(今風に言えば「フェイクニュース」でしょうか)が飛び交い、時に人々の間でパニックが生じます。パニックが増大していけば、その「危機」はさらに拡大し、それによる損害も大きくなり、または新たな「危機」が生じることさえあるかもしれません。
 このような「パニック」を避けるためには、人々が信頼たり得ると考える機関が、人々が冷静に行動することができる「正確な情報」を、適切な「タイミング」で提供することです。例えば、政府であっても「未確認情報」を無暗に提供してしまえば、それにより、混乱やパニックが起きることがあり得ます。
 さらに「コミュニケーション活動」に加え、適切な「意思決定活動」が行われることがクライシスマネジメントの条件となります。適切な「意思決定活動」とは、意思決定される内容それ自体だけではなく、意思決定の「ライン(系統)」が守られることが大切です。「危機時」だからといって、意思決定の「ライン」が崩れることは、組織の崩壊につながりますし、それにより、混乱が増幅する要因となり得ます。
 「船頭多くして船山に登る」ことにならないようにしなければなりません。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策No.127

大阪都構想と公共選択論(下)

 大阪都構想は、大阪市と大阪府の二重行政を解消するために、大阪市を廃止して四つの特別区にし、東京のような都区制度をつくるというものです。現在大阪市にある24の行政区の区長は大阪市長が任命する大阪市職員です。大阪都(法律の関係で名称は大阪府のままとされています)のもとでの特別区区長は選挙で選ばれますし、区議会もできます。住民自治が進むでしょう。現在大阪市が行っている消防や都市計画といった本来都道府県が担う権限は、大阪都にうつります。府と市で別々に行われている水道事業も統一されるでしょう。大阪府には現在33市9町1村の自治体がありますが、これが4区32市9町1村となり、自治体の数も増えます。ただ、4区には都区財政調整制度が残り、この4区は大阪都の中では別格の扱いとなります。他の市町村にはない区への大阪都政府の裁量も残るのです。
 大阪都構想は公共選択論からはどのように評価されるでしょうか。第1に、大阪市を廃止し四つの特別区にすることは、Wagner and Yokoyama (2014)にある単中心主義から多中心主義への移行とみることができ、望ましい。大阪市を民主的な四つの特別区にする大阪都構想は競争的連邦主義を促進するでしょう。
 第2に、大阪府による大阪市の吸収合併となる大阪都構想は、Migué (1997)が指摘する外部性の問題の内部化とみることができ、望ましい。Miguéは上位政府と下位政府が政治競争をすることによって共有地の悲劇が起こることを指摘しました。これは大阪市と大阪府の二重行政をうまく表現しているように思います。意思決定主体を一つにすることによって、この悲劇を回避できます。
 第3に、大阪都全体で見れば、4区に都区財政調整制度を残すのは、多中心主義の観点から望ましくない。Wagner and Yokoyama (2014)の競争的連邦主義は、政府の数を増やすことだけでなく、構成下位政府間の対等な関係を重視します。都区財政調整制度を持つ4区と持たない32市9町1村は、対等でなくなります。他の市町村におろしているが旧大阪市地域だけおろすことができない都道府県業務があるのでしょうか。引き続き考えていきたいと思います。

(執筆:奥井克美)

研究プロジェクト「多文化共生社会の総合政策研究」第3回公開研究会「多文化共生と農業」(2月22日開催)延期のお知らせ

2020年2月21日

研究プロジェクト「多文化共生社会の総合政策研究」第3回公開研究会「多文化共生と農業」(2月22日開催)延期のお知らせ

2月22日の公開研究会は、新型コロナウイルス感染症予防の観点から、報告者ともご相談のうえ延期いたします。今後の日程などは、改めてご案内いたします。

日々是総合政策No.126

民主主義のソーシャルデザイン:リスクとクライシスのマネジメント(1)

 2020年2月20日時点での厚生労働省の発表によると、日本国内における新型コロナウイルス感染症の患者さん(有症状者)は70名(うちチャーター便で帰国された方が10名)となっています。これまでも世界ではSARSやMERSなどの感染症に対応してきた経験があります。約10年前には、鳥インフルエンザの脅威もありました。ここで、リスクマネジメントや危機管理(クライシスマネジメント)について考えておくことにしましょう。
 まず、「リスク」とはどのように考えれば良いのでしょうか。
 自転車に乗った時に歩行者とぶつかってしまったというケースを想像してみてください。相手も自分も怪我をしたり、自分の自転車が壊れたりと、いろいろな損害が発生すると思います。こうした損害を発生させないようにするためには、どうすれば良いでしょうか。答えはシンプルで、事故を発生させなければ良いということになります。ただ不可抗力的な事故もありますから、完全に事故を発生させないというのは困難です。そこで、自転車に乗っている人も、歩行者も、できるだけ「事故が発生させないようにする」、つまり「事故の発生率」を小さくするように安全運転をしたり、注意しながら歩いたりすることでしょう。つまり、リスクとは「事故が起きたときの損害の大きさ」に「事故の発生確率」を掛け合わせた「実際に起こり得る損害の大きさ」であると言えます。リスク管理で行うことは、「事故の発生確率」をできるだけ小さくすることであると言えます。
 人為的な事故や事件、さらには戦争や紛争などは、発生確率を小さくするというリスク管理を行うことは可能です。しかし、今回の感染症や災害など、どうしても人為的にコントロールすることができないリスクや予見が困難なリスクもあります。この「予見可能性」は損害賠償責任の有無の判定に大きな影響を与えます。つまり、「予見できていたのに損害発生を避けるための努力をしていなかった」のか、「そもそも予見できていなかった」のかということは、同じ「損害発生」を避けられなかった状態であっても意味が違うのです。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策No.125

大阪都構想と公共選択論(上)

 大阪都構想は公共選択論からはどのように評価されるでしょうか。今回と次回は、この点について考えてみたいと思います。
 公共選択論は政治の世界も経済学の原理でみていこうと問題提起し、多くの政治の失敗を明らかにしてきました。公共選択論では、政府がリバイアサンという怪獣になって人々を苦しめます。Brennan and Buchanan (1980)は、リバイアサン政府が税収最大化をはかるので課税権の制限を定めた憲法でこれを抑制することを説きますが、連邦主義での政府間競争が憲法の替りとなるといいます。地方政府間で競争が生じ、まずい行政サービスを提供していると、人々はその地を離れていくからです。
 これは地方政府の数が増えて競争する環境が望ましいとの意味を持ちますが、Oates (1985)は、政府の数が増えたからといって税収が減っているといえない、との計量分析結果を提示してBrennan and Buchananの主張に反対しています。Zax (1988)もデータ分析によって、政府の数が増えたからといって財政指標がよくなっているわけではない、と述べています。
 Migué (1997)は、上位政府と下位政府間の競争が過大な公共サービスの提供につながるといいます。Miguéが考える競争は、上位政府政治家と下位政府政治家が政治的利得のために競って共有地の石油を掘る公共事業を行うような状況です。どちらの政治家も自分にとって政治的利得を最大化するだけの公共事業を行いますが、結果として石油資源が枯渇します。政府間競争が望ましくない結果をもたらすとの議論で、注意しておかねばならないと思います。
 Wagner and Yokoyama (2014)は、連邦主義を競争的連邦主義とカルテル連邦主義に分け、前者が「自由」の概念と親和的で望ましいとの規範的な議論を展開しています。前者は対等な下位政府が自然発生的な合意に基づいて形成する多中心主義(polycentrism)を、後者は上位政府が独占的な力を持つ単中心主義(monocentrism)を特徴とします。政府の数を増やすという形だけの連邦主義ではなく、対等な主体が合意に基づく政策形成がしやすい環境をつくることが大切だとの議論です。

(執筆:奥井克美)

(注)参考文献
Brennan, Geoffrey and Buchanan, James (1980), The Power to Tax: Analytical Foundations of a Fiscal Constitution, Cambridge: Cambridge University Press.(深沢実他訳『公共選択の租税理論』文眞堂, 1984年.)
Migué, Jean-Luc (1997), “Public choice in a federal system,“ Public Choice, Vol. 90, pp. 235-254.
Oates, Wallace (1985), “Searching for Leviathan: An Empirical Study,” American Economic Review, Vol. 75, pp: 748-57.
Wagner, Richard E. and Yokoyama, Akira (2014), “Polycentrism, Federalism, and Liberty: A Comparative Systems Perspective,” George Mason University – Department of Economics, Working Paper in Economics, No. 14-10, pp. 1-30.
Zax, Jeffrey (1988), “The Effects of Jurisdiction Types and Numbers on Local Public Finance,” In Fiscal Federalism: Quantitative Studies, edited by Harvey Rosen, Chicago: University of Chicago Press, pp. 79-103.

「多文化共生社会の総合政策研究」第2回公開研究会 報告

開催日:2020年1月25日(土) 13:00~15:00

場所:中央大学多摩キャンパス11号館11410教室

研究会概要: 以下2名にご報告いただいた。その後行った全体討論では多くの質問が出され、活発な議論が行われた(各講演のタイトルをクリックすると、各資料が表示されます)。

報告者1:小﨑敏男氏(東海大学政治経済学部教授、総合政策フォーラム客員研究員)

 報告1:「日本における外国人の就業行動」

報告者2:鞠重鎬(クック・ジュンホ)氏(横浜市立大学国際商学部教授、総合政策フォーラム客員研究員)

 報告2:「日韓の考え方の比較:ストックの日本vs.フローの韓国」