日々是総合政策No.109

累進所得税と低所得者支援(1)

 これから累進所得税による低所得者支援策を取りあげます。その準備として
 今回は所得控除について説明します。所得控除は納税者やその家族の経済事情等を考慮して所得税を軽減する制度で、扶養控除や配偶者控除などがあります。いま、Aさんの所得を500万円、所得控除を100万円とすると、その課税所得は500-100=400万円です。この400万円に税率を乗じて所得税額が決まります。以下、本コラムNo.85で説明した超過累進税率タイプの累進所得税を前提にします。
 下の表は、日本の所得税における課税所得と税率の関係を示します。課税所得が多いほど高税率になることに留意しましょう。このとき、Aさんの税額Tは以下のように計算されます。
 T=0.05×195+0.1×(330-195)+0.2×(400-330)  (1)
  =37.25万円

(出所)国税庁ホームページ「所得税の税率」に基き、一部表示法を修正。

 課税所得の最初の195万円に0.05を、次に196万円から330万円までの135万円に0.1を、最後に331万円から400万円までの70万円に0.2を適用します。つまり、課税所得の段階ごとの限界税率を適用するわけです。
 式(1)の下線部に注目しましょう。
 0.2×(400-330)=0.2×{(500-100)-330}なので、
 100万円の所得控除による減税額=0.2×100=20万円となります。つまり、Aさんの減税額は、0.05、0.1、0.2の中で一番高い0.2、すなわち、Aさんにとっての最高限界税率0.2に100万円を乗じた額です。したがって、たとえば課税所得が5000万円の人の減税額は、上の表から0.45×100=45万円です。結局、所得控除による減税額は限界税率の高い高所得者ほど多額になります。
 これに対して、税額控除は税率の影響を受けません。税額控除を10万円とすれば、適用者全員について10万円減税できます。累進所得税による低所得者支援には、所得控除よりも税額控除が適しているでしょう。

(執筆 馬場 義久) 

(注)本エッセイは馬場義久・横山彰・堀場勇夫・牛丸聡著『日本の財政を考える』、有斐閣、141-142頁をより平易に解説したものである。

日々是総合政策No.108

リゾート開発の公共政策:ボラカイ島の場合(上)

 世は観光の時代。海外からの観光客(インバウンド)によって所得や雇用増大を図ろうとする動きが活発になっています。しかし、急激な観光発展がもたらす負の影響を忘れてはいけません。世界危機遺産に陥ったガラパゴスやイエローストーン、日本のリゾート開発の失敗例など多くの事例があります。そんな中、フイリピンの有名リゾート地である「ボラカイ島」の環境汚染問題を解決するために「観光施設の60日間閉鎖」を打ち出したドゥテルテ大統領のニュースが報じられました。リゾート開発については、事前に規制やルールを講じるケースが一般的ですが、リゾート地の閉鎖といった強硬的な措置は稀有な例です。一体、「ボラカイ島」に何が起こっているのでしょうか。
 「銃規制」や「麻薬撲滅」など過激な政策で知られる第16代大統領ドゥテルテ氏。2016年の就任以降、フイリピン経済は6%の経済成長率を実現し、一人当たりのGDP(PPPベース) は2017年には8000ドルを超えました 。経済成長に伴う環境悪化は、フイリピンでも深刻な問題を引き起こしており、「ボラカイ島」の事例は、環境に配慮しない開発一辺倒の帰結であったといえます。この問題を考えるためには、そもそもフイリピンの観光開発政策がどのように展開したか、観光開発に伴う水質汚濁や固形廃棄物処理の問題がどのように深刻化したか、それに対して、どのような実効性のある環境政策が行われてきたか、といった点をみなければなりません。
 まず、観光発展について。UNWTO(The World Tourism Organization of the United Nations:国連世界観光機関) のデータによると、フイリピンの観光の伸びは、観光客数ベースでも観光収入ベースでも極めて高いといえます(表-1)。言うまでもなく、観光が発展するためには、空港、港湾、鉄道、道路などの交通インフラの他に、ホテルやレストラン、アトラクションの整備が不可欠です。これら観光関連の産業は労働集約的であるために、観光地での雇用や人口の増加が生じます。世界遺産登録後、ガラパゴ諸島では、急速な観光客と流入人口の増加が生じ、これに伴い環境悪化が起きました。

(注)ちなみに、PPPベースのGDP(国内総生産=国内で1年間に生産された付加価値の総計)とは、フイリピンの通貨であるペソと米ドルの購買力の比率(あるいは、その変化率)をもとに為替レートが決まるとする考え(購買力平価説(Purchasing-Power-Parity)という)にもとづいて算出されるGDPのことである。

表-1 フイリピンの観光発展

(執筆:薮田雅弘)

日々是総合政策No.107

デカップリング

 農林水産省入省後に灌漑用ダム建設現場に赴任した。設計や現場監督とともに用地買収も担当した。所有者毎の買収額を決めるには境界確定が必要だが、土地登記簿上の境界は曖昧だ。私は山の斜面の測量をしながら主要地点に木杭を打ち、ビニールの紐を結んで境界を明らかにし、隣接する所有者の立会の下で境界の確認をした。異議もなく、その日は終わった。翌日、面積測量に行ったら、木杭は無残に抜かれていた。どちらかが不満だったらしい。測量器具を手に山の斜面に呆然と立ち尽くした。
 それから月日は過ぎて退官も近づいた頃、デカップリング政策の立案に関与した。政策的に農産物価格を支持すれば生産が刺激されて過剰生産となるので、価格と切り離して(デカップルして)農家に対して直接的な所得補償を行う政策である。1990年代にEUで条件不利地域(農作業効率の悪い中山間地域など)の農業政策として採用された。中山間地域の農業は国土保全などの多面的な役割を果たしているので政策の意義は大きいが、一番の心配は適正な予算執行である。例えば、中山間地域でも条件の良い農地もあるので、一定以上の傾斜度の農地を対象とした。しかし、数枚の水田がバナナのように湾曲しながら下降傾斜している場合、一番上と下の水田を直線で結ぶ傾斜度と湾曲に沿った傾斜度は異なる。問題となる傾斜度の決め方は80種類近くあることが分かり、現場担当者に周知しないと混乱する。
 各農家は営農継続の協定を結んで直接支払を受けるが、各農家の所有農地面積の把握は困難だ。中山間地域では農地の区画整理の整備率は低く地籍調査も終えていないので、土地登記簿、農地台帳、固定資産税課税台帳などに農地面積は記されていても、どれも現実の面積とはかけ離れている。冒頭の経験がよぎった。ヨーロッパとは違うのだから、協定対象の全体面積で支払い、その分配は参加者に任せるよう提案をしたが、国際派官僚に押し切られた。そこで中山間地の一筆毎の農地面積と傾斜度を当時の技術で航空測量した(成果はその後の政策にも使用された)。
 総合政策では、研究者や官僚の提案・立案と現場担当者の予算執行の「デカップリング」を心配している。「総合」という言葉を付した意味を信じたい。

(執筆:元杉昭男)

「多文化共生社会の総合政策研究」第1回研究会報告

開催日:2019年11月9日(土)13:00~16:40(13:00~15:10 全体会 15:20~16:40 分科会活動)

場所:中央大学多摩キャンパス11号館

(全体会:11410号室 分科会:11508・11510号室)

参加人数:全体 12名(分科会1:8名,分科会2:4名)

活動内容:

 今回は初回の研究会であったため、プロジェクト・リーダーの横山代表理事と山内研究員の2人から、「多文化共生社会の総合政策研究」プロジェクト全体及び分科会1、2についての説明を行った。

 プロジェクト全体の説明の中では、プロジェクト名にも含まれる「多文化共生」や「総合政策」といった概念の定義づけが行われた。具体的には、多文化共生の「文化」概念が、国家や民族に限定されず、世代や職業、趣味まで含む広い意味でとらえられていること、総合政策的視座として、複数の時点、社会、政策について、複数の学問の知見に基づき、複数の主体がどのように関与し、価値判断を行うのか、という点が重要であると考えられていること、などである。

 分科会1、2の説明の中では、オストロムらの定義を踏まえた「ポリセントリック」の意味(分科会1)や、岡本智周の定義に基づいた「カテゴリ更新としての共生」という概念(分科会2)が提示された。

 発表の内容は「定義」に若干偏ったようにも見えるが、おそらく重要なのは、これらの発表から「多文化共生」や「総合政策」の普遍的な意味を読みとることではない。発表の中で横山プロジェクト・リーダーは、「独立した決定主体が活動すると、他者との交渉・軋轢などが生じるが、そのプロセスをへて、新しい文化が誕生する場合がある」という重要な視点を提示したが、定義をめぐっての議論を否定するわけではないにせよ、唯一解の提示に過度に拘泥することは、結果的にそのような「新しい文化」の生成を妨げてしまうであろう。

 研究プロジェクト全体及び各分科会の説明に続いて行われたのは、研究会メンバー個々人の研究関心についての発表がなされた。先に本プロジェクトにおいては、文化の単位は国民や民族だけではないことに言及したが、個々人の関心においてもその対象は、「外国人」との関係にはとどまらず、金融やジェンダーも含む広いものであり、また「外国人との関係」に関心がある者であっても、その注目する点や背後にある経験、専門知識の多寡などが異なっていた。

 こういった経験や知識量の違いが、そのまま発言力の違いとなってしまうならば、「新しい文化」の生成は妨げられてしまうだろう。個々人の発表を受けて、参加者の一人ひとりが他者の来歴に真摯に向き合うことの重要性を共有できたかと思えた。こうした姿勢こそが、研究会や学界に限らず、広く社会において他者と共生するためには欠かせない姿勢である。その姿勢の重要性が認識されたことは研究会としては、この上ない船出であったといえよう。

(執筆: 山内勇人)

日々是総合政策No.106

民主主義のソーシャルデザイン:自分ゴトの政策変更

 平成から令和へと時代が移り変わった2019年も終わり、2020年を迎えようとしています。新しい年が明けて、実施される大学入試センター試験は、「センター試験」としては最後の試験になります。再来年の2021年からは、「大学入学共通テスト」と名称も変わり、新しい試験の方式も導入される予定でした。しかし、読者の皆さんもご存知の通り、「大学入学共通テスト」への改革の大きな2本柱がいずれも見送りになることが決まりました。
 1本目の柱は、英語科目の「民間資格・試験」の活用。受験生は、大学入試英語成績提供システムを通じて、2回まで、民間の資格や試験の成績を「大学入学共通テスト」で活用できる予定になっていましたが、民間資格・試験の受検機会の公平性等に課題が残り、11月に見送りが決まりました。
 2本目の柱は、国語科目と数学科目の「記述式問題」の導入。これも記述式問題の採点性の問題が指摘され、その課題が残されてしまい、12月に見送りが決まりました。
 大学入試改革は、2014年12月の文部科学省中央教育審議会答申「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について」(高大接続答申)を踏まえて、取り組みが進められてきました。「高大接続答申」の背景には、政府の教育再生実行会議の「高等学校教育と大学教育との接続・大学入学者選抜の在り方について(第四次提言)」(2013年)があり、いわば官邸主導の改革と言えます。
 2006年の第1次安倍政権においても、教育基本法の改正や教育再生会議が設置されるなど、教育改革は政権の重要な政策課題に位置付けられてきました。その意味では、教育改革は、安倍政権にとって、第1次政権以来の一貫したテーマであることがわかります。
 高校生にとっては、大学入試の仕組みがどのように変わるのかは、自分の人生にも関わる大きな関心事(自分ゴト)だと思います。受験の仕組みでは、1にも2にも「公平性」の確保が絶対的な条件になるでしょう。高校生の皆さんは、どのような意見をお持ちでしょうか。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策No.105

産業構造3

 こんにちは、ふたたび池上です。第7−8回は、経済発展に伴い経済の中心が農業から工業にシフトするルイス・モデルのお話でした。今回は、その拡張版とも言える、ハリス=トダロ・モデルのお話です。
 ルイス・モデルでは、農業と工業の2部門でしたが、ハリス=トダロ・モデルでは、農業、都市インフォーマル部門、都市フォーマル部門の3部門を仮定します。都市フォーマル部門は、都市における工業とサービス業の合計、かつ、毎月、月給をもらえる安定した部門だと考えてください。フォーマルは、フォーマル・スーツ(正装するときのカチッとしたスーツ)のフォーマルで、和訳は公式です。
 一方、インフォーマルの和訳は非公式です。都市インフォーマル部門は、都市における工業とサービス業の合計、かつ、月給ではなく、日雇いなどの不安定な部門です。途上国で頻繁に観察される、従業員の人数が、社長かつ従業員の一人だけ、もしくは社長と従業員の2人だけなどの零細自営業も、都市インフォーマル部門に含まれます。ルイス・モデルでは捨象されていたのですが、途上国で実際に存在する都市インフォーマル部門を取り入れたモデルが、ハリス=トダロ・モデルです。
 3部門それぞれの所得の大きさですが、大きい順から、都市フォーマル部門、農業、都市インフォーマル部門の所得とします。都市フォーマル部門の社長は、なぜ、事業を拡大するために、賃金を下げてより多くの労働者を雇わないのでしょうか?理由としては、現在の労働者の所得・栄養状態・健康・福利厚生を高めに設定・維持し、離職を防ぐ、やる気を高める、生産性を高めるなどが考えられています。
 経済発展につれて、人々は農業(農村)から都市に移動するのですが、次回は、その移動するかしないかという個々人の意思決定のお話の予定です。

(執筆:池上宗信)

日々是総合政策No.104

孤立した母親への支援について考える

 現代日本社会において、子育て期の母親の孤立は、防ぐべきもの、あるいは解決すべきものとしてとらえられているようである。背景には、母親の孤立は、児童虐待や無理心中などにつながるおそれがあるという認識があるのだろう。
 家族社会学の分野においても、母親にとっての育児ネットワークの重要性に着目した研究の蓄積があり、それらもまた、母親の孤立を防ぐべきものと見なす議論の正当性を裏付けるものと言えよう。
 私は、母親の孤立は防ぐべきという議論に異論を唱えるつもりはない。しかし、今日では、育児ネットワークの重要性が論じられる一方で、それが母親に与えるストレスについて、盛んに語られているのもまた事実である。古くからある嫁姑問題に加えて、近年ではママ友関係がもたらすストレスや実母との確執についても様々なメディアでとりあげられている。育児ネットワークとは、母親にとって支えともなりうるが、ストレスにもなりうるという両義性のあるものなのである。
 既存の研究は、育児ネットワークが母親のストレスになりうるという点に関して、十分に意識的であったと言える。しかし、では実際に、ストレスに追い詰められて、あるいはストレス回避のために、孤立状態にある母親は、どのように考え、行動すれば育児が行き詰まらないのか、という視点はあまりなかったように思われるのである。
 マスメディア等で仕事を継続してきた、発信力のある女性たちでさえ、ママ友作りに躓いたことを打ち明ける現代社会である。母親の孤立を防ぐための議論は重要であるが、仮に孤立していると見なされる状態であっても、必ずしも不安に思う必要はないし、育児を楽しむこともできる、というメッセージもまた必要とされているのではないだろうか。孤立そのものを防ぐことも重要であるが、情報化社会の中で孤立した母親が自らを普通ではないと感じ、焦燥感に駆られ、自尊心を低下させることを防ぐのも重要である。母親たちに対する子育て支援に際しても、母親の孤立の防止とともに、孤立した母親の自尊心の低下を防ぐことについても、さらに理解が深まればと願っている。

(執筆:仁科薫)

日々是総合政策No.103

相手の立場に立って考える(2)

 今から50年前のこと。生徒のほとんどが大学受験をする県立の進学校にいた私は、硬式野球部に所属していたせいか、受験勉強には熱がはいらなかった。否、野球部に入っていたことを言い訳に受験勉強を怠っていたといったほうが良いかもしれない。食べ物と同じく、科目に対しても好き嫌いの激しかった私の成績は、だいたい「中の上」だった(英数社は良かったが、国理は良くなかった)。
 当時の高校では、男子は制服制帽、丸刈りであった。他の高校では丸刈り廃止の動きはあったが、わが高校は県内で最も歴史があり、良くも悪くも保守的な学校であり、私は3年間を通じて丸刈りで通した。
 あるとき、また聞きで、ある進路指導の先生の指導の仕方を耳にした。その指導方法はこうだった。「君は大学名で大学を選ぶのか、それとも専門分野で大学を選ぶのか」を尋ね、「大学名」と答えた生徒には、その大学で一番偏差値の低い学部学科を受験せよと指導し、「専門分野」と答えた生徒には、偏差値が高くて合格可能性が低い大学でなく、偏差値がその大学よりもかなり低くて、合格可能性がほぼ100%の大学を受験せよと指導したという。
 ついでながら、受験指導の教員は、難易度の高い私立の早慶よりも、難易度の低い地方の国立大学の受験を優先し、指導する生徒のうち国立大学に何人入ったかを自慢していた。早慶やMARCHはすべての国立大学よりも劣る存在として蔑視されていた。何年か前に、別の県立高校を訪問した際にも、受験指導の教員が同じような指導を自慢していたことに驚かされた(その教員は地方の国立大学出身だった)。
 こうした指導は、相手の立場に立った有益な指導に見えるが、実際には自分の価値を相手に押し付けるものでしかなかった。県で最も古い県立高校で長年受験指導を行ってきた先生の強圧的な言葉で、その権威を振りかざしての発言だった。
私はこの指導方法を聞いて非常に腹が立った。受験指導の先生に腹が立ったのではなく、先生の話を黙って聞いて帰ってきた生徒に対して腹が立った。「アドバイスはうれしいが、自分の進路は自分で決める」となぜ答えなかったのか、と。今も私の考えは変わらない。

(執筆:谷口洋志)

日々是総合政策No.102

うそと真実

 あなたは「うそ」をついたことがありますか?
 小さい頃、外から帰って手を洗ってからおやつを食べるように言われて、洗ってないのに「洗ったよ。」と言ったことはないでしょうか?宿題をしていないのに、終わったことにして遊びに行ったことはないでしょうか?大体の人は何かしら「うそ」をついたことがあるのではないかと思います。
 では、なぜ人は「うそ」をつくのでしょうか?小さい頃の自分を守るうそとは違い、大人になるにつれ、うそに対する意識は変わってくるようです。学生に聞いたところ、うそをついてはいけないという意識はあるものの、「他人を傷つけない」ためにつくうそは、あったほうが良いと思っている人がほとんどでした。
 では、企業についてはどうでしょう?企業は、利害関係者を傷つけたくないという理由で、うそをつくことは認められるでしょうか?
 証券取引所に上場している法人は、企業の決算書である有価証券報告書に「うそ」の記載をすると、金融商品取引法上の有価証券報告書虚偽記載罪で、7億円以下の罰金が課されます。上場していてもいなくても、「うそ」をついた株式会社の取締役等は、会社法の特別背任罪に問われます。
 企業会計原則一般原則の最初に「真実性の原則」があります。「企業会計は、企業の財政状態及び経営成績に関して、真実な報告を提供するものでなければならない。」と書かれています。この企業会計原則とは、「必ずしも法令によって強制されないでも、すべての企業がその会計を処理するに当って従わなければならない基準」であるとその前文に謳われているのですが、企業のうそ、すなわち粉飾決算(window dressing)は枚挙に暇がありません。粉飾決算については、次回また考えてみたいと思います。

(執筆 渡部美紀子)

日々是総合政策No.101

ふるさと納税について思っていること

 平成26年度以降、ふるさと納税受入額は急増し、平成30年度には約5,127億円となりました。一方、過熱する返礼品問題も大きな問題として取り上げられています。
そのきっかけとなったのは、平成27年度税制改正における「ふるさと納税制度の特例控除額の倍増」と「ワンストップ特例」の導入と言われます。当時、筆者は総務省の自治税務局長、つまり、この制度の事務方の責任者でした。そうした立場から、ふるさと納税制度をめぐる様々なことについて、この場をお借りして、現時点でのコメントを申し上げたいと思います。それは、一言で言えば、「内心忸怩たる思い」という言葉に尽きます。
 ふるさと納税は、当時から高額納税者にはお得な(比較的富裕な方には利用しなければ損な)節税策としての認識が広がっていました。そうしたことも背景にしながら、地方自治体間の返礼品競争が過熱となることの萌芽が既に現れ始めていました。
当時の同僚や優秀な部下諸君とも、いろいろなことを調べ、何度も何度も議論を行い、その後に起こる過熱な返礼品競争もある程度予見し、懸念していました。しかし、事務方の責任者である私の自らの力不足により、関係者の十分な理解を得ることができず、結果として、皆が納得できるような有効な対応策を講じることができませんでした。
 ふるさと納税をめぐる返礼品問題の混乱は、それにより招いた事態であるという面があることは否定できない、という認識でおります。
 自治体関係者で大変な苦労をされた方や税務現場の職員等で不愉快な思いを感じられた方がおられるだろうと思います。
 ふるさと納税について、様々なことを耳にするたびに、この混乱がある程度予見できたにも関わらず十分な対応策を講じられなかったことについて、当時の事務方の責任者としての責任を感じており、忸怩たる思いをしております。
 現状については、現在の担当者がいろいろと苦労しているところと思います。当時、この問題の事務方の責任者の立場にありながら有効な対策を講じられなかった者にどの程度コメントをする資格があるのか、という思いもありますので、これ以上のコメントは差し控えたいと思います。

(執筆:平嶋彰英)