日々是総合政策No.94

「公」に対応すべきこと:東京2020と公共交通機関の多言語対応から考える

 訪日外国人旅行者数が2018年に初めて3000万人を突破し、東京でオリンピックを迎える2020年にはさらに多くの国や地域から大勢の外国人が日本を訪れると予想されている。そのため公共交通機関等には多言語対応が求められ、たとえば東京メトロの車内表示は4か国語(日・英・中・韓)で対応している(Tokyo Metro News Letter 2019年3月 第73号)。
 この背景には2014年に観光庁が公表した「観光立国実現に向けた多言語対応の改善・強化のためのガイドライン」がある。駅名等の表示は「日本語・英語」の併記を基本ルールとしつつ、英語以外の表記の必要性が高い場合は「中国語・韓国語・その他」の表示を求めている。また、スクロール・切替等により外国語を併記する際は「伝えるべき情報量、外国人の利用実態等を考慮し、適切な内容・頻度・言語でこれを実施することが望ましい」と規定している。
 東京メトロの車内表示は次の停車駅が日・英・中・韓の順に約3秒ずつ表示され、同様の案内は国内の鉄道でよく見かけるようになった。この問題は、表示言語がわからない乗客には情報が伝わらず、理解できる言語が表示されるまで待たなければならないことだ。先の場合、1つの言語しかわからない人は10秒程度待つことを強いられる。その間に電車を降り損ねるかもしれない。
経済学では待つことにはコストが伴うと考える。機会費用とは、あることを選択した費用はそれを選択しなかった場合に得られたはずの価値に等しい、という概念だ。車内表示の場合、乗客が表示言語を選択しているわけではなく事業者による選択を強いられているので、機会損失や逸失利益と呼ぶ方がふさわしいかもしれない。多言語対応によって便益を得る人がいる一方で、私たちはこうしたコストを強いられているといえる。
 車内表示は一つの画面に表示できる情報量に限りがあり、希少資源の配分の問題に直面する。だが、多言語対応に頼らずとも駅ナンバリングがあるのだし、Google翻訳ならスマートフォンをかざせば瞬時に翻訳できる。「公」に対応すべきことは同時に多数に便益を提供することであり、あとは個々の対応に任せれば良いのである。基本ルールに立ち返り、表示は日本語と英語の併記だけに戻すべきだろう。

(執筆:川瀬晃弘)

日々是総合政策No.93

産業構造2

 こんにちは、ふたたび池上です。第7回は、経済発展に伴い経済の中心が農業から工業にシフトする、工業が経済発展を牽引するルイス・モデルのお話でした。今回は、それでも、農業も重要です、というお話です。
 ルイス・モデルは、外国との輸出入のない閉鎖(鎖国)経済のモデルなので、工業の発展に伴い、労働者が農業から工業に移動すると、農業生産が縮小、食料が不足するという状態が続きます。その状態は、農業の労働者の数が減少し、農業が労働者を引き止めるために、工業の賃金と同じ額の賃金をオファーし始めるまで続きます。
 皆さんの中には、そもそも、なぜ、農業は、労働者を引き止めるようために、そのような賃金を経済発展の最初からオファーしないのかと思うかも知れません。その理由は、ルイス・モデルが、農業は、市場の原理で賃金が決まるのではなく、伝統的な村社会の原理で賃金が決まり、かつ、伝統的に続いてきた、かつての収穫量をかつての労働者の数で分け合った額に等しい、伝統的な賃金で動かないと仮定しているからです。
 さて、なぜ、工業だけでなく農業も重要なのかですが、農業が発展すると、上記の食料不足状態の期間が短く、もしくは、なくなるからです。農業が発展すると、経済発展の初期に、食料が不足し始める時期が遅く(後回しに)なります。また、農業が発展すると、経済発展の後期に、農業が労働者を引き止めるために、工業の賃金と同じ額の賃金をオファーし始める時期が早まります。これら2つの時期にはさまれた、経済発展の中期に食料が不足する期間が短く、もしくは、なくなるのです。
 この結果は、経済発展につれて経済の中心が農業から工業に移動する、経済発展が工業発展に牽引されるからといって、農業発展をおろそかにしてはいけないことを示しています。ルイス・モデルでは、経済は農業と工業の2部門でしたが、現実の途上国の経済には、工業という言葉から推測できる大きな工場における安定した職ではなく、個人レベルのとても小規模で不安定な職に従事する労働者がたくさんいます。次回はこのお話の予定です。

(執筆:池上宗信)

日々是総合政策No.92

予防医療(下)

 前回(No.70)は労働者の予防医療を取り上げ、その意義を考えました。今回はこれまでの経緯を概観して、今後の課題と方向を整理します。
 一般に予防医療は、一次予防としての健康リスク・発症率の低減、二次予防としての重症化・長期入院の抑制を指しています。前者の方法は定期健診と健康管理・保健指導、後者の方法は検診による早期発見・早期治療が基本になります。労働者の予防医療の一例として、1988年の「トータル・ヘルスプロモーション・プラン」があげられ、主な目的は、一次予防による「心とからだの健康づくり」にあります。
 近年では、これを生産性の維持・向上と医療費の削減にも応用しようとする「健康経営」が提唱され、2009年頃より大企業を中心に導入されています(注1)。健康経営は、アメリカの「Health and Productivity Management」が日本に取り入れられたものとされ、民間のプログラムとして多くの企業に浸透することが期待されています(注2)。今後の課題として、主に次の3つがあげられます。
第1は、労働者の主体的参加と行動の促進策です。健康経営の基本的方法は「企業と保険者のコラボヘルス」にあるとされますが、IT(情報技術)の活用等による労働者参加型の予防プログラムが重要になります。また、成果向上のための経済的誘因の導入が有用とされます。
 第2は、一次予防と二次予防の連携です。前者の成果(健康リスク・発症率の低減)は後者の成果(重症化・長期入院の抑制)につながり、これらは生産性や医療費にも影響を与えます。このためには、一次予防と二次予防(あるいは健康経営と医療制度)の連携により、早期発見・早期治療を強化する政策が必要になります。
 第3は、長期的予防プログラムの導入です。健康経営により期待される成果の一つに健康寿命の延伸があげられ、このためには就労期の予防の取り組みが高齢期にも継続される必要があります。これについては、国民健康保険等での保健事業の強化やセルフケアの促進それぞれのプログラムが重要になります(注3)。
 前回と今回は労働者の予防医療を基本にその意義、経緯と課題を整理しました。次回以降は、医療制度の概要と改革の経緯を整理した上で、各人の生涯の予防医療の意義と方向を考えます。

(注1)「健康経営」は、NPO法人健康経営研究会の登録商標です。
(注2)「Health and Productivity Management」の概要については次の2つが参考になりますが、企業の業種や労働者の職種あるいは保険団体によりプログラムの内容は多様です。
ACOEM GUIDANCE STATEMENT(2009)“Healthy Workforce/Healthy Economy:The Role of Health, Productivity, and Disability Management in Addressing the Nation’s Health Care Crisis”, Journal of Occupational & Environmental Medicine. Vol.51, No.1, pp.114-119.
Hymel, P., R, Loeppke. and C, Baase, et al.(2011)“Workplace Health Protection and Promotion A New Pathway for a Healthier—and Safer—Workforce”, Journal of Occupational & Environmental Medicine. Vol.53, No.6, pp.695-702.
(注3)アメリカでは、以上の3つの課題に関連して参考になる事例がありますが、これについては別の機会に取り上げます。

(執筆:安部雅仁)

日々是総合政策No.91

地方創生の現場から(上)

 2015年度からスタートした5か年の「地方創生」の取り組み(総合戦略)は、今年度で最終年を迎えています。そして、今まさに各地方自治体は来年度からスタートする第2期の総合戦略を練っているところです。私自身も複数の自治体で総合戦略推進会議という外部機関等でこの過程に携わっています。本コラムでは2回に分けて、「地方創生」の現場で感じた課題について述べたいと思います。
 「地方創生」は「まち・ひと・しごと創生法」(2014年11月公布)を根拠にしており、そのもとで、国は2060年に1億人程度の人口を確保する展望を示した「長期ビジョン」と2015年度から19年度の人口対策を示した「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を策定し、都道府県と市区町村も同様に「地方人口ビジョン」と「地方版総合戦略」を策定しました。
 「地方人口ビジョン」は国立社会保障・人口問題研究所の将来推計人口をベースに、各自治体が独自に推計した2040年頃の(「将来展望」と呼ばれる)将来人口を示したもので、「地方版総合戦略」は、「将来展望」を実現するために、5年間で実施する出産・子育てや移住・定住等の戦略とその目標を示したものです。
地方創生の結果はどうなったのでしょうか。残念ながら、国と地方の総合戦略は全体としてみると惨憺たる結果になっています。出生数は減少の一途を辿り、地方から東京圏への人口流出は減少するどころかむしろ増えています。
 その一方で、自治体の現場に足を運ぶと、この5年間で起きた数字に表れていない質的な変化を確認することができます。例えば、ある地域では若い移住者の存在が目立つようになりました。彼らは仕事がないといわれる地方において、地域課題解決型のビジネスモデルを創り出し、行政との連携を始めています。また、地域課題解決のための若者たちの自主的な活動が生まれた地域では、若者のアイディアが行政の事業に採用されています。反対に、外国人の旅行者や就業者が増えたことで、雇用面や生活面での新たな地域課題も発生しています。
 各自治体の総合戦略の結果は、人口ビジョンとともに、ホームページで公開されています。他の自治体と比較すれば、人口問題に取り組む姿勢もわかるはずです。読者の皆さんにもぜひ確認していただきたいと思います。

(執筆:鷲見英司)

日々是総合政策No.90

相手の立場に立って考える(1)

 相手の立場に立って考えてみると、見えなかったことが見えてくることがある。これはかなり汎用性のある考え方であり、きわめて経済学的な見方でもある。
 たとえば、2000年代前半に、日本の携帯電話がなぜ中国では売れずに撤退することになったのかを考えてみよう。2005年3月末から1年間の予定で上海にて在外研究をすることになった私は、当時、上海の渋谷と言われた徐家匯(xujiahui)の近代的高層ビルの2階か3階のフロアにあった携帯売り場に行った。野球場のような広さの売り場では通信機器(電話機)や情報機器(コンピュータ)が売られ、その一角に携帯電話売り場があった。
 売り場に行くと、数ある携帯電話の中で、日本メーカーの携帯電話は高機能・高品質・高級品であった。値段は最低でも2000元(3万円前後)以上で、3000~4000元の機種もあった。その価格は、多くの人の月収を上回る金額であった。私の知人も携帯電話を見に行ったが、高くて手が出せず、高根の花と言っていた。
 しかし、韓国製品や中国製品は日本製品の2分の1から3分の1の価格で売られていた。結果として、売り上げの中心が、高額商品でなく、中低額商品であったことは言うまでもない。そのとき、このような高額商品を買うのは誰だろう、どれだけの人がこれを買いたいと思うだろうかと考えてしまった。しかも、高層ビル近くには中古の携帯電話を100~500元で売る店がいくつもあった。
 まだ豊かな人が少なかった当時の上海では、若い人を中心に携帯電話を持つ人が増えていたが、中古の携帯電話を持つ人が多かった。こうした状況をみて、私は、(収入が相対的に少ない)若者が集中する繁華街でなぜ高額・高級品を日系メーカーが販売するのか理解できなかった。買う人間などほとんどいないだろうと思っていたら、案の定、日系メーカーの中国からの撤退報道が伝わってきた。いったい、どのような顔を浮かべて製造し販売しようとしたのか。おそらくは、相手のことなど眼中になかったのだろう。日本の製品・サービスに関するこうした事例は枚挙にいとまがない。

(執筆:谷口洋志)

日々是総合政策No.89

「信用乗車」の公共政策(下)

 「車の通行がない場合でも信号を守る」という日本人の習性は『交通道徳』として語られ、日本人が幼児期から身に着けた規範であるとされる。もっとも、規範破りの事例は交通ルールに限らず見受けられるので、必ずしも国民性に根差しているとは言えない。
無賃乗車などズルをしないようにするには、qかfを大きくする必要がある。鉄道運輸規定第19条によれば、「有効の乗車券を所持せずして乗車し又は乗車券の検査を拒み若は取集の際之を渡さざる者」に対しては2倍以内の割増運賃を請求できる。単純に考えればf=2×料金なので、ズルをする条件はq<0.5ということになる。つまり、3回に1回しかズルがばれないと期待されるときは、ズルが有利になるのである。いわば、日本の法律は、「不信用乗車」のシステムが前提であったと考えられる。
 「不信用」を前提に規範云々を語ることはできないが、そもそも「信用乗車」がより望まれる理由は何であろうか。「信用乗車」のメリットは、乗降の利便性が増す、交通遅延が減少する、モニタリング費用が抑制できる、等が挙げられる。「信用乗車」システムのもとで犯罪者をつくらないようにするためには、fかqを十分に高くする必要がある。日本では「割増運賃」が欧米に比して極端に低く設定されており、不正乗車に対して十分な抑止力を持たないことが指摘されている。このため、「信用乗車」システムを受け入れるためには、「割増運賃」をより高く設定しておく必要がある。法的、歴史的観点からこの問題を取り上げた西川(2007)は、この施策の遂行は実際的に困難であるとしながらも、今後の自治体の政策や技術的問題解決の方策の可能性を指摘している。
 車両の重層化、多連結化が進む中で、より乗降を効率的にするために「信用乗車」システムの必要性が増している。もし、法的に対応することが困難であれば、道路と同じように運賃無料とするか、モニタリングの成功確率を引き上げるしかない。このためには、乗降時のチェックを厳格化する自動化の技術導入が必要となる。しかし、これは事実上「不信用乗車」システムにすることに他ならないので、「信用乗車」のシステムを目指す方向での公共政策は、結局は、「不信用乗車」を目指す政策であることになる。

(執筆:薮田雅弘)

参考文献
 宇都宮浄人(2011)「海外のLRTの現状とわが国の課題」『国際交通安全学会誌』,Vol.43,No.2,pp.155-162.
 西川健(2007)「信用乗車方式と割増運賃制度について」『運輸政策研究』,Vol.10, No.2,pp.2-6.

日々是総合政策No.88

代議制民主主義:投票と棄権

 代議制民主主義の基礎は選挙における有権者の投票にありますが、すべての有権者が投票するわけではありません。選挙で投票せず棄権する有権者もいます。そもそも、有権者はなぜ投票するのでしょうか。
 有権者は、自分が棄権せず投票することから得られる期待便益が正であれば投票すると考えられます。これは、合理的投票者の仮説で、次のような式で表されます。
         pB – C + D > 0
 ここで、p は自分の投票が自分の望む選挙結果になるかどうかを左右することになると思える主観的確率、Bは自分が望んだ選挙結果になったときに得られる便益、Cは投票費用、Dは投票行為それ自体から得られる便益を示しています。
 不等式の左辺の第1項(pB)は、選挙結果に影響を及ぼす手段としての投票がもたらす便益で、投票の「手段としての便益」といわれます。これに対し、左辺の第3項(D)は、選挙結果に関係なく、選好する候補者や政党への支持表明をする満足や、市民としての義務の履行や民主主義システムの維持への貢献から得られる満足から生ずる主観的便益で、投票の「表現としての便益」といわれています。また、投票費用(C)は、投票に行くために犠牲にしなければならない費用で、投票に行くための交通費だけではなく、投票に行くために仕事や音楽鑑賞やスポーツなどで得られたであろう便益を犠牲にすることによる機会費用を含みます。
 有権者にとっては、自分の1票が選挙結果を左右して1票を投ずることで自分の望む選挙結果になるような状況は皆無だったり(p≈0)、どの候補者や政党でもほとんど違いがなかったり(B≈0)するので、「手段としての投票便益」は皆無になるのが普通です(pB≈0)。そこで、有権者は、投票行為それ自体から得られる便益が投票費用を上回る(D>C)ならば投票しますが、逆ならば棄権します。ここに棄権の原因があるのですが、棄権することは良くないことですか。考えてみてください。
 もし棄権が良くないことだとしたら、皆さんは、どうすれば棄権を減らすことができると思いますか。例えば、インターネット投票の導入や、棄権した人にペナルティーを科すことはどうでしょうか。あるいは、選挙の大切さを訴える社会教育を行うことはどうでしょうか。考えてみてください。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.87

「これは国家公務員倫理法で受取れません!」

 最近NHKで放映された「これは経費で落ちません!」は、サラリーマンにとって身につまされるドラマだった。私の役人人生では国家公務員倫理法に困惑した。情報収集のために必要な会食禁止も困るのだが物品の贈与受取り禁止でも苦労した。ある地方農政局長は視察先で農村の女性達が地域活性化のために手作りした饅頭の受取りを拒み、女性達の涙を誘ったという話まで伝わってきた。
 農林水産省事業で農地を整備していたキャベツの大産地から、キャベツの詰まった段ボール20箱位が霞が関の私の課に贈られてきた。毎年のことなのだが、在任中は法の施行直後だった。生ものだし宅急便で段ボール箱を送り返すのも大変だ。折角の農家の方々の心情を思い遣ると「返却!」とは言えず、廊下に積上げられた段ボール箱を前に、課長の私が全責任を取ることにして受取った。「ところで、このキャベツどうするの?」と課長補佐に聞いたら、「毎年、執務室内でバーベキュウー・パーティーして、残りは家に持ち帰ります」と言って、「でも今年は肉が贈られてきませんが・・・」と付け加えた。結局、私の負担で40人程の課員の牛肉を買う羽目になった。
 地方農政局長の時に畜産流通施設の竣工式に出席したが、帰り際に骨壺位の箱と折詰の弁当を渡された。箱の中身が1万円以上なら受取れない。弁当は3千円以下ならOKと頭を巡らせた。弁当は大丈夫だろう。包装紙に確かビトンと書いてあった。危ない。しかし、フーテンの虎さんのような風体の方が「局長!」と凄みのある声で渡されたので、怯んでしまった。
 役所に戻り、弁当は若い女性私書に渡し、すぐに部長以上の関係者を集めた。「ルイ・ヴィトン製かも知れない、包装紙を破らずすぐに返却を」とか「地元との関係から目を瞑って局長室に飾っておく」とかまとまらない。結局、私の責任で包装紙を取り外した。蚊取り線香用の豚の素焼置物で、備前焼の豚をビトンとしたらしい。とても1万円に届かない。こうして緊急会議は解散した。秋の昼下がり、「局長!とても美味しいお弁当でした」という軽やかな声を背に、局長室の置物となった豚がほほ笑んでいた。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.86

大学研究所が核となる地域振興・地方創生に思う:先端研と鶴岡サイエンスパーク

 本学の事例で恐縮だが、2001年に山形県鶴岡市に開設された慶應義塾大学先端生命科学研究所(以下、先端研)、及び先端研を中心とした鶴岡サイエンスパークをご紹介したい。
 先端研の立ち上げから今日まで、18年間所長として研究所運営の中心的役割を担ってきた冨田勝環境情報学部教授によれば、当初は少なからぬ鶴岡市民が、税金を投入して先端研の誘致を行う事に批判的であったが、当時の富塚陽一市長は、短期的な地元貢献や経済効果ではなく、サイエンスの領域で世界的な成果を上げる事を期待し、その事により市の文化的な価値が高まる事を目指したとの事である。そしてそうした思いに応えるかの如く、次々と先端研発のバイオベンチャー企業が立ち上がった。メタボローム解析受託事業のヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ株式会社(2013年東証マザーズ上場)、世界に先駆けてクモ糸事業を展開したSpiber株式会社、唾液を用いた癌の早期発見を事業化する株式会社サリバテック、ヒトの便から腸内環境に基づき健康評価、健康維持、疾病予防の方法を開発する株式会社メタジェン等であり、こうして先端研を中心とした鶴岡サイエンスパークが形成されていったのである。
 ところで、シルバー民主主義の弊害の是正等、将来世代の視点を取り入れる必要がある諸課題に対して、フューチャー・デザインを主唱する実験経済学の第一人者、西條辰義教授率いる高知工科大学の研究グループが、大阪府吹田市の住民を集めて2050年の将来プランを考えてもらう際に、「仮想将来世代」を設ける事に効果があるかどうか調べる為の討論型実験を行った。こうした研究で分かった事は何かというと、元々人間には将来世代の事を考えて、社会的な意思決定に「将来世代の意思(と思われるもの)」を反映させられる高い能力が備わっているという事なのである。
 鶴岡の地域振興の核になっているのが、民間ディベロッパーでも地方自治体でもない、より長期的な視点に立てる先端研という大学の研究機関である事と共に、地域振興、地方創生の為に共に手を携える自治体が短期的な成果を求めず、将来世代の為に何をなすべきかを考える覚悟を持つ事が非常に重要であった事は、実験で得られた結果の正しさの実例を示したという意味で大きな意義があるのではないだろうか。

(執筆:小澤太郎)

日々是総合政策No.85

累進所得税のタイプ(2)

 前回No.71では限界税率一定の累進所得税制を紹介しました。それは
 T= t(Y-E) (1) でした。
 Tは税額、Yは所得,tは税率, Eは控除です。tとEは一定です。日本の地方所得税ではt=0.1です。
 累進所得税制の第二のタイプは、tが一定ではなく、課税所得、つまりY-Eが大きくなるほど高いtを採用します。日本の所得税(国税)の場合、下の表のように課税所得の段階を7グループに分け、tは0.05から0.45の値をとります。このようなtを超過累進税率と言います。

(出所)国税庁ホームページ「所得税の税率」に基き、一部表示法を修正。

 限界税率一定型と超過累進税率型を比べると、後者の方が本格的な累進所得税制と言えます。限界税率一定型はtが一定のため、再分配機能に関して二つの限界を持っています。
 一つは、所得Yが高くなるほど比例的負担に近づくことです。(1)は
 T/Y=t(1-E/Y)  となるので、
 Yが高くなるほどE/Yが低下し、T/Y=t、つまり、高い所得の領域で比例所得税に接近します。
 第二は、低所得層に対して高所得層より低いtを適用できないことです。
 興味深いのは日本でもスウェーデンでも、地方政府が限界税率一定型を、国が超過累進税率型を採用している点です。その理由の一つは、所得再分配は地方ではなく国が担うべきという伝統的な国と地方の機能配分論に求められます。
 いま、地方政府が所得税の税率構造を自主的に決定できるとします。そこで地方Aが独自に累進所得税制を採用すると、地方Aの高所得層は高率の税負担を逃れるため累進税制でない地方Bへ移動し、逆にB地方の低所得層は低率の税負担を求めAに流入しかねません。以上の住民移動が生じると、A地方の累進税制は有名無実となります。他方、国が累進所得税を採用しても、同一国内における地域間の住民移動は生じません。租税政策は、税制による納税者の移動可能性を考慮して立案されるべきでしょう。

(執筆:馬場 義久)