日々是総合政策No.234

自宅療養を克服する地域医療

 友人のお嬢様一家がコロナに感染とのメールに驚愕しました。「中学2年と3年の男の子と両親の4人家族ですが、最初に中学2年生の男の子が学校で感染、日をおかずに在宅勤務中の父親と3年生の男の子が発症、高い熱と激しい頭痛、強い倦怠感に襲われほとんど動くことが出来ない状態になりました。その後、一人で3人の面倒を見て頑張っていた母親も動けなくなりました。保健所から一日一回、電話があるとのことですが、自宅療養とはこういうことでしょうか。父親は基礎疾患があり入院を頼んでいますが、ベッドに空きがないとのことで待機しているところです。」と書かれていました。              
 肺炎や呼吸不全に苦しむ中等症の患者、集中治療室や人工呼吸器を要する重症患者を治療する医師と看護師、加えて設備・器具の不足が軽症者、無症者の自宅療養を強いています。しかし、自宅療養中に病状が急変、死亡する事例が目立ち始め、自宅療養を減らす対策が急務になっています。しかし、既に2014年に質の高い医療を効率的に提供する連携構想が制度化、2016年には2025年の医療需要と病床の必要量を想定した地域医療構想が策定されています(注1)。今こそ、この構想を実現すべき時ではないでしょうか。
 地域社会において市民を支えているのが保健所(注2)、公立・民間病院、かかりつけ医です。しかし、保健所にしても、帰国者・接触者の受診調整、患者の入院・宿泊療養措置、地方衛生研究所への検体搬送さらに疫学調査などの業務が山積し、地域の住民、医師からの電話も通じないとの苦情が寄せられるほどです。医療機関も急増した患者に思うように応じられない状況に追い込まれています。
 この事態を打開するのが、医療従事者間のコミュニケーションを促進、治療効率を高める広く安全な場所であるように思われます。期間を限り、オリンピック選手村や競技場を活用できないでしょうか。また、地域住民の健康を守る保健所のスタッフの増員を急ぐ必要があるのではないでしょうか。しかし、外食・観光業などが苦境に喘ぐ中、有効な政府支出と民間の協業が不可避と思われます。昨年、民間部門でもコロナ債が発行されました。さらに個人向けコロナ債(注3)が発行され、コロナ克服意識の高揚に期待が掛かりそうです。

(注1)2020年10月時点の新型コロナ患者受入率は、100床あたりの常勤医師数を基準として、医師数10人未満が22%、以下、10人以上20人未満50%、20人以上30人未満79%、30人以上40人未満87%、40人以上50人未満89%、50人以上93%となっています。ただし、受入率は、医療機関等情報支援システム(G-MIS)に報告があった全医療機関のうち急性期病棟を有する医療機関から、100床未満の医療機関を除いた医療機関(2,811医療機関)を対象にしています。厚生労働省「地域医療構想」および「新型コロナウイルス感染症を踏まえた地域医療構想の考え方について
(注2)緒方剛「新型コロナウイルス対応における保健所の役割と課題」
(注3)2020年9月、三菱UFJ銀行が個人向けコロナ債を1,500億円発行することになりましたが、世界初の試みでした。その目的は、新型コロナによって収入が減少した中小企業や感染防止策を要する病院・製薬会社への融資です。日本経済新聞2020年8月22日。
注のURLのアクセスはいずれも2021年8月27日。

(執筆:岸 真清)

日々是総合政策No.233

コロナ禍での「夜の余暇」を開発しよう

 新型コロナウイルス感染症の流行拡大に伴い、初めての緊急事態宣言が発出された2020年4月以来、1年半が経過しようとしています。コロナ禍の前は、「ナイトタイムエコノミー(夜の経済)の活性化」なども地域の経済活性化策として取り上げられ、ハロウィン等の機会には、様々なイベントも開催されたことも記憶に新しいと思います。
 「ナイトタイムエコノミー(夜の経済)」と言えば、なんだかお酒を飲みながら、時間を過ごすことをイメージしやすいかもしれませんが、例えば、スポーツを楽しんだり、芸術文化に触れるために、美術館に足を運んだり、映画を見に行ったり、街中で行われる芸術祭を楽しんだりすること、さらには街中で開催されるイベントに参加することなどが挙げられます。仕事が終わった後、夜に余暇の空間と時間を創り出し、消費機会を増やしていくこと、これがナイトタイムエコノミーの意義であるように思います。
 これは都市部だけではなくて、地方部においても、経済活性化の起爆剤と考えられてきました。ナイトタイムエコノミーと地域資源を組み合わせることで、魅力ある観光資源を生み出していこうという取り組みです。例えば、北海道の阿寒湖のように、デジタルアートによる演出を行い、夜の阿寒湖を散策する体験型アクティビティの提供も、そのひとつです。
 コロナ禍が続く中で、緊急事態宣言が発出されている地域では、お店で酒類の提供することは停止するよう要請がされています。また営業時間の短縮も要請され、夜20時には、街の明かりも消えていき、人通りもまばらになっていきます。一方、長く続く自粛によって、我慢の限界だという声も聞こえてきます。
 いま、考える必要があるのは、コロナ禍の中でのナイトタイムエコノミーの在り方ではないかと思います。もちろん、感染を拡大させてしまうような取り組みや混雑の発生は避けるべきですが、仕事帰りに美術館で静寂な空間の中でじっくりと芸術に触れることができる「ナイトミュージアム」、プロジェクションマッピングなどのデジタルアートと自然を家族で楽しむ夜のお散歩、またはVRなどの技術を活用して、自宅で「ナイトズー」(夜の動物園)を体験したりするなど、地域の資源や技術を活用することで、夜の新たな余暇を開発しすることで、地域の経済活性化を促していくことができると思います。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策No.232

公に議論する文化の醸成

 日本人は意見の違いを公に議論したがらない習慣があり、匿名でないと真実を話さない。
 こう語ったのは、第一次世界大戦中から日米開戦まで、東京から日本社会の姿を世界に伝えたイギリス人特派員ヒュー・バイアス(Hugh Byas)です。バイアスは、日本の情報発信の問題点を、「原則のない検閲」(Blind Censorship)、つまり恣意的で原則のない秘密主義であると指摘しました。彼によれば、情報は原則として開示されるべきであり、国民には何が起こっているかを知る権利がある。報道規制を行うときは、明白な必要が認められる場合に限り、しかもはっきりしたルールに基づいて実施しなければならない。日本政府の各省庁は、信頼できる報道関係者からの問い合わせに対しては、適切な情報を提供しているので、合理性を欠く秘密主義は、日本の立場を必要以上に悪くしている、と述べました。
 さらにバイアスは、日本には「言論の自由」がない。「言論の自由」とは、正確な報道をする以上のことを示すものであり、それは自由な討論が行われ、国民の利益に影響を及ぼす様々なアイデアに対して寛容であること、つまり知的活動の自由を保障することだと語りました。
 1930年代、日本が、満州事変、国際連盟脱退、日中戦争、第二次世界大戦へと突き進むなかで、国内では「言論の自由」が無くなり、政府や軍部の批判は取り締まられ、ついに1945年の敗戦を迎えました。戦後日本は、「言論の自由」を重視してきましたが、昨今のコロナ禍や東京五輪などへの政府や大会関係者の情報発信を見ていると、バイアスの時代から、日本社会はどの程度変わったのかという思いを禁じ得ません。
 今後、多文化共生を目指す日本社会の新しいインフラを創るために、様々な観点から熟議を行い、公論を形成していく必要があります。それは簡単なことではありませんが、時間をかけた議論の内容をきちんと記録に残し、公表していくことが、人々に参加意識を持たせることになり、「言論の自由」を保障することになるのです。公に議論する文化を根付かせましょう。

(執筆:木村昌人)

日々是総合政策No.231

共感を考える(1)

 共感を考えるとき、私たちはアダム・スミスの『道徳感情論』における冒頭の一文を思い起こす必要があります。「人間がどんなに利己的なものと想定されようとも、人間の本性には、他者の運命に関心をもち、他者の幸福を眺めることで得られる喜び以外には何もなくても、他者の幸福をかけがえのないものとするような原動力が明らかに存在しています。」(注1)
 他者が感じていることを、その他者と同じ状況にあれば自分が何を感じるかを想像して、自分も同じように感じることが「共感」の一般的な意味内容です。このときの「共感」は英語の「sympathy」の訳語ですが、共感の英語表現には、「sympathy」の他にも「empathy」「compassion」「fellow-feeling」などがあります。「empathy」は、アダム・スミスの時代には存在しない言葉で、20世紀初頭に心理学の領域でドイツ語から英語に翻訳された言葉です(注2)。アダム・スミスは、「compassion」(同情)を含めどのようなパッション(激しい感情)でも、他者の感情を共有すること「fellow-feeling」を表す広い言葉として「sympathy」を用いています(注3)。
 しかし、現在の英語表現でいう「sympathy」「empathy」「compassion」にはニュアンスの違いがあるようです。同じ体験の有無でいえば、自分と同じ体験をした他者の感情を共有することを「empathy」、自分は同じ体験をしていないが想像で他者の感情を理解することを「sympathy」と表現することが一般的です。あるいは、「empathy」は相手の立場で感情を共有する “I feel with you.” なのに対し、「sympathy」は自分の立場から感情を理解する “I feel for you.” であると言われます。同情としての表現として用いるときに同情に関する感覚の強さでいえば、体験の有無からして「sympathy」よりも「empathy」の方が強い同情を表し、「empathy」(同情の共有)よりも「compassion」(献身的行動まで引き起こす同情)の方が強い感覚の同情を表すと理解されています(注4)。

(注1)Smith, A. (1759 [2002]), The Theory of Moral Sentiments, ed. by Knud Haakonssen, Cambridge: Cambridge University Press, eBook Academic Collection (EBSCOhost) –Worldwide の第1部第1編第1章「共感について」(Of Sympathy)の冒頭の英文 “How selfish soever man may be supposed, there are evidently some principles in his nature, which interest him in the fortune of others, and render their happiness necessary to him, though he derives nothing from it except the pleasure of seeing it.”(p.11)を、水田洋訳(1973)『道徳感情論』筑摩書房および高哲男訳(2013)『道徳感情論』講談社(学術文庫)を参考に、私なりに訳出しています。
(注2)詳しくは、次回以降に述べます。
(注3)このときのパッションは、喜怒哀楽に関係する激しい感情のいずれも考えられています。また、アダム・スミスの原文は次の通りですので、皆さんも皆さんなりに翻訳をしてみてください。“Pity and compassion are words appropriated to signify our fellow-feeling with the sorrow of others. Sympathy, though its meaning was, perhaps, originally the same, may now, however, without much impropriety, be made use of to denote our fellow-feeling with any passion whatever.” ( Smith, A. 1759 [2002], p.13)
(注4)次のURL(2021.8.10最終アクセス)を参照ください。
https://www.dictionary.com/e/empathy-vs-sympathy/
https://eednew.com/esl/difference-between-sympathy-empathy-compassion/
https://www.youtube.com/watch?v=uwyu0hx6wFo&t=42s
ただし、Merriam-Webster’s Dictionary of Synonyms(1984, p. 809)では、 “Empathy, of all the terms here discussed, has least emotional content;” とあり、「empathy」は同義語の中で感情的な内容が最も少ないと記述されています。これは、心理学用語としての「empathy」を含意していると理解できるでしょう。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.230

続 ミャンマーのこと ビルマのこと

 今回の政変を掘り下げたい。市民レベルでは、タイのようにタクシン派と反タクシン派といった分裂はなく、連邦選挙結果を見ても、ほとんどがアウン・サン・スーチー派と言ってよい。とすれば、国軍内に政変に至る要因があったのだが、その主張する連邦議会選挙の不正とは思えない。先ず次の背景を確認したい。①軍政下の2008年に制定された現憲法では、連邦議会の1/4を国軍に割り当てられ、憲法改正には3/4以上の賛成が必要で、地位は実質守られている。②優秀と言われる将校と40万人を超える兵士がおり、直接経営する国営企業とその系列会社や緊密な民間企業があり、鉱物・宝石採掘をはじめ広範囲な業種に関係している。
 その上で3つの政変の要因が語られている。①2015年連邦選挙で国軍支持政党が大敗しスーチー政権が成立した時から、国軍幹部が憲法改正による権力と利権の喪失を恐れて計画した。②ミン・アウン・フライン国軍総司令官が個人的な野心として権力基盤の確立や大統領就任を狙った(クーデター直後に軍司令撤廃し自身の65歳定年を回避した)。③国軍総司令官がロヒンギャの虐殺に関しICJ(国際司法裁判所)の刑事訴追を逃れるために大統領就任を狙った。
 民主化の進展とともに、国軍は少数民族との和解進展、政権離脱による政府役職給の喪失、憲法改正と利権縮小の懸念の中で、昨年の選挙に惨敗した。つい明治維新後の勝海舟を思い浮かべてしまった。海舟の余命は、旧幕府勢力の暴発防止、幕臣への経済的支援、生活苦や不平不満訴えの処理に尽きる。茶の生産など産業振興に努め、人材不足の新政府に有能な旧幕臣の登用を促すため自らも新政府の官職に就いた。旧幕臣の移住した静岡で、数種の小銭を入れた紙袋を常に手元に苦情聞き、その価値を高めるためにわざわざ出掛けて手渡したという。
 開明派もいたという国軍の中で何が起きたか。敗軍の将の生き方は歴史の1ページでは済まない。

(参考引用文献)
永杉豊「ミャンマー危機」、扶桑社新書、2021年7月
テウインアウン「日本在住17年目のミャンマー人が見たクーデター 第2回 なぜクーデターがおきた?」、ミャンマージャポンON LINE、2021年7月
半藤一利「それからの海舟」(ちくま文庫)、筑摩書房、2008年6月

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.229

「見ることの意」

 この言葉は、日本のグラフィックデザイナーの草分け的存在であった粟津潔の『造型思考ノート』(河出書房新社、1975)に収められているエッセイ(28頁)の表題です。粟津は、「ものを創りだすことは、見ることだ」と言い、「見るということ。見えてくること。見抜くということが、ものを創りだす契機になっているような気がしてならない。そこが、『見ることの意味』なのである。」と書いています。そして、同書あとがきで、「作品をつくるということは、何を見ていたかということである。ここでいう見るということは、記憶と、これからあろうとする情動の衝突である。」(156頁)とまで言っています。
 この言葉は、視覚を研ぎ澄ませてはじめて絵と文字でメッセージを伝えることが可能になるグラフィックデザインの世界で、重みをもつのかもしれません。グラフィックデザイナーの手になる作品は、自主的につくられることもあるでしょうが、その多くがポスターや新聞広告や壁画や装幀などの制作依頼に基づいてつくられています。グラフィックデザインのみならず、インテリアデザイン、建築・環境デザイン、電子メディアデザインなど広く「デザイン」の世界では、「見ること」を通してメッセージが伝えられます。
 「見ること」を通したメッセージは、「見る」人それぞれの窓やフィルターの違いで、差異が出てきます。そこで、制作者と制作依頼者の窓やフィルターの違いだけではなく、作品を見る第三者である見手や、まだ生まれていない未来の見手の窓やフィルターの違いで、同じ作品でも多くの人びとに異なるメッセージを伝えことになるでしょう。そのとき、「素晴らしい」作品とは、メッセージの違いや時間を越えたものなのでしょうか。それは多くの人びとに、何か共通する感動や異なりながらも突出した感動を、与えるものなのでしょうか。
 また、「見ること」ではなく、「聴くこと」や「嗅ぐこと」や「味わうこと」や「触ること」を通してメッセージを伝える芸術作品では、「聴くことの意」(聴覚)や「嗅ぐことの意」(嗅覚)や「味わうことの意」(味覚)や「触ることの意」(触覚)が、大切にされ研ぎ澄まされることになるでしょう。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.228

スウェーデンのSKVの活動(2)

 今回は注1に基づき、SKV(課税庁)によるIDカード(日本のマイナンバーカードに該当)の交付を取りあげます。スウェーデンでの実際の生活では、IDカードによってPIN(マイナンバーに該当)の確認が為されます。
 たとえば、銀行口座や証券口座の開設、クレジットカードでの取引、保険取引、賃貸住宅の契約、運転免許証の申請、新聞購読、レンタカーの使用、医療の受診、処方箋による薬の購入など、日常生活の多くの場面でIDカードの提示が求められます。また、IDカードは、民間や公共部門が提供しているe-サービスを利用するためのe-認定(認定とサイン)機能をも持ちます。
 IDカードを申込む際にもSKVに出向きます。申込み資格は、13歳以上で原則住民登録をした人(日本は0歳から-注2より)です。SKVに、本人証明書(パスポートや運転免許証等)を持参し申込みます。その際、身長の測定と顔写真の撮影をなされます。成人では身長があまり変化しないからでしょう。なお、18歳未満の申込者は申込みについて保護者の許可を、さらに申込みに際し保護者1名の付添いを求められます。またIDカードの発行は有料で400クローナ(最近のレート、1クローナ=約13円で5200円)かかります。マイナンバーカード(以下、マイカードと表記)は無料です。高福祉国家は「がっちり」しています。
 申込みが認定されると、SKVから登録した住所にその旨を知らせる通知が送られ、申込み者はその通知をSKVに持参しIDカードを受取ります。IDカードの有効期間は5年(日本は20歳以上が10年、20歳未満は5年-注2より)です。
 IDカードとマイカードの共通点は、顔写真・氏名・生年月日・性別・有効期限がカードの表に表示されている点です。異なるのは、①IDカードでは写真が大小三つ、マイカードでは写真が一つ表示②PINはIDカードの表に、マイナンバーはマイカードの裏面に表示、③IDカードのみに身長・氏名のサインが表示④IDカードに住所表示がなく、マイカードには表に住所が表示され、⑤マイカードのみに、表に臓器提供意思の署名欄がある点です。
 筆者は概ねIDカードの方が厳格に作成されていると思いますが、皆さんの感想はいかがですか?


1.SKV URL
https://www.skatteverket.se/download/18.1927c51b15e7ee438722ae9/1561977558450/identitetskort-for-folkbokforda-i-sverige-skv720-utgava06.pdf
2.総務省URL
https://www.soumu.go.jp/kojinbango_card/03.html
最終アクセスはともに2021年7月5日。

(執筆:馬場 義久)

日々是総合政策No.227

ミャンマーのこと ビルマのこと

 「砂の牢獄」というと、砂漠のまん中では鉄格子もないのに牢獄にいるイメージを浮かべる。ところが、40年近く前に住んでいた当時のビルマ(ミャンマー)は「緑の牢獄」と言われていた。緑と牢獄はどうも似つかわしくなく哲学的に感じるが、それは現実だった。
 厳しい軍政下で政治的にも経済的にも自由がない。お金があっても賛沢できない。金持ちでも植民地時代の建物を修繕した自宅に大型テレビとビデオデッキを買うくらいである。派手に事業を行うと国有化される恐れがある。闇市で高額な外国製品を買っても目を付けられる。といって、高級食材を買っても召使などを沢山雇っても安すぎる。結局、金持ちはお金の使い道がなく、隠れて宝石を買い集めるとか、朽ち果てたゴルフ場でパッティング一打10万円の賭け事をやる(お金が金持間で移動)とかになる。政策的に金持ちに貧しい生活を強いる。貧乏人は元々物を買えないので、誰もが不幸な国であった。もちろん、政治的な話をすればいつ密告されるか分からない監視社会だ。
 ミャンマーは1948年の独立後も政治混乱が続き、1962年のクーデター後の軍政は、武力で少数民族の武装勢力などを抑え込むとともに、仏教思想を取り入れた「貧しさを憂えず、等しからざるを憂う」というビルマ式社会主義を掲げ、農業部門では地主への小作料廃止や商工業部門での国有化が推進された。同時に外国資本の排除、消費物資等の輸入制限、外国人の入国・海外渡航制限など鎖国体制を築いた。結果、1人当たりGDPは170米ドル(1985年)で最貧国となった。それでも有史以来飢餓のない国で、どんなに貧しくとも主食のコメだけはあり、仏教に裏打ちされた互助的な社会システムもある。
 昨年まで数回訪れた最大都市ヤンゴンでは、新築のビルが目立ち、道路は渋滞し、ショッピングセンターに人が溢れ、近代的なレストランもホテルも増え、明るい笑顔と活気があった。クーデターを起こした国軍も経済的自由を保障して経済発展を進める意向だが、外国投資は減少し発展は困難になる。しかもクーデター前の政権政党は少数民族の武装勢力と連携を取り、混乱は長引きそうである。
 夏が来る。目に焼き付いた眩しい緑。人々は緑の牢獄に耐えられるだろうか。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.226

収穫逓増社会に掛かる期待

 新型コロナ禍の中、ワクチン接種と雇用維持、それに成長戦略としてグリーン社会の構築およびデジタル化が政策目標に掲げられています。
 しかし、政府債務残高/GDP比は、2020年10月時点で、すでに266%に上っています(注1)。一般政府(中央政府、地方政府、社会保障基金)、民間企業、家計の2019年末と2020末の資金過不足を見てみますと(注2)、一般政府は13.5兆円から48.4兆円に赤字が拡大しています。反対に、民間企業は14兆円から19.7兆円にまた家計は15.7兆円から38兆円に黒字が増加しています。すなわち、家計と民間企業特に家計の貯蓄が赤字財政を支えていることになります。さらに、対家計民間非営利団体(学校教育、宗教、労働団体など)が1.7兆円の赤字から2.9兆円の黒字に変わり、少なからず赤字財政補填に貢献していることに着目できます。                            
 現況では赤字財政に頼らざるを得ませんが、今後、効果をさらに重視した財政支出が必要になります。しかし、収穫逓増型(労働、資本、技術・知識などの生産要素の投入によって産出物が増えるだけでなく、その増え方も増加します)の生産体制の強化が急務ではないでしょうか。対家計民間非営利団体の資金過不足が示唆するように、コミュニティビジネスがその可能性を秘めているように思われます。日常生活を共にするコミュニティを基盤とするビジネスであるだけに、コミュニケーションが密であり、情報の非対称性が少なく、取引費用を低く抑えることができます。柔軟なコスト構造がイノベーションを生みやすくします。
 コミュニティビジネスのうち、たとえば、中小・零細企業(小規模事業)、ベンチャービジネスなどが大規模な産業ビジネスにまで成長した段階では、一般的に、生産要素を投入してもそれに見合った産出物が得られない収穫逓減現象に直面することになります。この状態がさらに続きますと、ますます、収穫逓減の程度が大きくなり、資金が投機的な活動に向けられ、やがてバブルの発生・崩壊に至ることになります。それを避けるためにも、収穫逓減の傾向が強くなった時期に、見込みがあるコミュニティビジネスに生産要素を向ける、絶え間のない新しい経済・社会の創生が望まれます。 

(注1)政府債務残高/GDP比が日本に次いで高いのが、イタリアの162%。財務省主計局 
 「我が国の財政事情」(https://www.mof.go.jp>budget>seifuan2021
(注2)2020年の数値は速報値。日本銀行「資金循環」(https://www.boj.or.jp/statistics/sj/index.htm/) 
※URLの最終アクセスは、いずれも2021年6月20日

(執筆:岸 真清)

日々是総合政策No.225

消費者トラブルと契約

 6月8日に、令和3年度版の消費者白書が公表されました。近年、通信販売による健康食品、化粧品、飲料等の定期購入に関する消費生活相談件数は急増しており、2016年に13,673件であったのに対し、2020年は59,172件となりました。具体的に、どのような消費者トラブルであるのか、例で考えてみましょう。


 インターネットで、健康に良いと宣伝がなされている商品を見つけた。初回は「お試し、無料」と書いてあったので、申し込むことにした。商品が到着してみると、5か月分の請求書が入っていた。自分は「お試し」だけするつもりであったので、5か月分の代金を支払うつもりはない。販売元に抗議のメールをすると、「初回が無料となるのは、短くとも半年間の定期購入が条件です。それをホームーページに記載しているので、契約は成立しており、解約はできません」と言われた。


 そもそも「契約」とは、どのように成立するのでしょうか。民法522条では、「契約の内容を示してその締結を申し入れる意思表示に対して相手方が承諾をしたときに成立する」とされています。つまり、「この商品を、このような条件で売ります」ということに対し、「購入する」という買い手側が意思表示をして、買い手側が「あなたに売ります」と承諾すすれば、口頭でも、インターネットのボタンをクリックするだけでも成立したとみなされます。つまり、上記の例の場合、「6か月分の定期購入の申し込みで、初回は無料になります」ということが、ホームページ上のどこかに記載されていれば、この契約は成立してしまっています。
 もちろん契約を取り消すこともできますが、それは錯誤(95条)、詐欺又は強迫(96条)の場合です。錯誤とは、例えば、1万円と記入すべきところ、10万円と記入してしまったこと、または健康に良いと思って商品であると理解して購入意思を表示したが、実際に、その品質を備えていなかったことなどが挙げられるでしょう。さらに、錯誤が意思表示をした者の重大な過失によるものであった場合は、意思表示を取り消すことができないとも定めています。また、通信販売には、特定商取引法によるクーリング・オフ制度は適用されません。その理由は、購入意思を表示する際に、十分に検討する時間があったと見なされるからです。
 デジタル社会化が進展する中で、注意する必要がある政策論点であると言えます。

(執筆:矢尾板俊平)