日々是総合政策 No.14

国民一人あたり年間所得と国民の幸せ

 こんにちは、ふたたび池上です。前回(No.4)は、先進国と開発途上国を区別するのに国民一人あたり年間所得が用いられているというお話でした。今回は、経済学者は国民一人あたり年間所得を重要視しているようだが、国民一人あたり年間所得は、国民の幸せと本当に関係があるのか、というお話です。
 まず、貧困者が少ない国ほど幸せな国だという主張に異論がある人はあまりいないと思います。ここで、貧困者の定義を世界銀行の定義にならい、一日あたりの所得が1.90ドル以下の人だと定義します。この1.90ドルは、各国の物価の違いを調整した後の1.90ドルです。1.90ドルは、円に換算すると195円です(2019年5月19日現在で入手可能な最新の世界銀行による各国の物価の違いを調整した為替レート2017年1ドル102.47円)。1日195円でどうやって生活するのか疑問に思う人は多いと思いますが、その話は将来にとっておこうと思います。国民のうち、貧困者の占める比率を、貧困者率と呼びます。国民一人あたり年間所得が小さい国ほど、貧困者率が大きいこと、関係が強いことがわかっています。2つの指標の間の関係が強いことを、相関が大きいと呼びます。
 貧困者率も国民一人あたり年間所得もどちらも所得に基づいているのだから相関が大きくて当然という反論を持つ人もいるでしょう。では、所得以外に国民の幸せを示す指標として何が考えられるでしょうか?まず、思い浮かぶのは健康でしょうか?国民一人あたり年間所得が小さい国ほど、乳幼児死亡率が大きく、平均余命が小さいこともわかっています。ただ、これらの健康の指標は、貧困者率ほど、国民一人あたり年間所得との相関は大きくありません。
 上記の所得や健康の指標は客観的な指標ですが、国民の幸せの指標として、国民の生活満足度という主観的な指標を取ることもできます。ここでも、国民一人あたり年間所得と国民の生活満足度の間に相関があることがわかっています。日本は労働時間が長すぎる人の数が多そう、自殺率が高そう、など、他の国民の幸せの指標が気になる人もいるかも知れません。それらについては、興味に応じて各自で調べてもらうことにして、次回は、国民一人あたり所得の増加の仕組みのお話にする予定です。

(執筆:池上宗信)

日々是総合政策 No.13

高等教育無償化と地方私大の公営化(上)

 2018年の文部科学省「高等教育の将来構想に関する参考資料」と同省「平成30年度学校基本調査(確定値)の公表について」によれば、18歳人口は、ピーク時1992年の205万人から減り続け2018年には118万人になり、さらに2030年には103万人になると予測されている。その中で、逆に大学(学部)進学率は1989年度の24.8%から2018年度には53.3%にもなり、大学・短大・高専を合わせた高等教育機関進学率も2018年度には81.5%にも達し、いずれも過去最高となった。大学数は、1989年度の499校から2018年度には782校にまで増加している。大学の定員増が大学進学率の上昇をもたらしているのは間違いない。しかし、このような高等教育の発展も、今後18歳人口がさらに減少していく見通しの中で、手放しでは喜べない厳しい現実に既に直面している。
 日本の高等教育費の負担は、公的負担依存型の北欧諸国等と違って、家計依存型となっている。そのため、財務省の資料「所得階層別の高等教育進学率」によると、所得格差が大学や高等教育機関の進学率格差となって表れている。そこで政府は、2017年に「新しい経済政策パッケージについて」で、全世代型社会保障改革の一環として高等教育の無償化・負担軽減政策を打ち出し、10%への消費税引上げを財源に2020年4月からそれを実施する予定である。
 2019年5月10日成立の高等教育無償化法によると、その内容は、大学、短大、高専、専門学校の学生に対し、授業料・入学金の減免と返済不要の給付型奨学金支給を行うものである。住民税非課税世帯及び世帯年収380万円未満の低所得世帯の学生が対象となる。教育の機会均等の点から評価できる施策であるが、懸念される事柄もある。大和総研レポート(2019年4月5日)も指摘しているように、高等教育無償化措置により、大都市圏への学生の集中と地方の学生流出超過の加速化が起こるのではないかという点である。

(執筆:片桐正俊)

高等教育無償化と地方私大の公営化(下)

日々是総合政策 No.12

家計の電力消費量を減らすには

 多くの家計の電力消費行動に変化をうながし,社会全体として節電するための公共政策の手段には何があるだろうか.ここでは電力料金の引き上げといった金銭的な誘因に基づく伝統的な政策手段ではなく,行動経済学に基づいた公共ナッジ(つまり選択の自由を維持しながら,人々を特定の方向へ導く介入)による政策実践の可能性を紹介する.
 アメリカとシンガポールの共同研究グループは,シンガポールの小中学生を対象とした省エネ・コンテストが,その家族全体の節電行動を導く効果的なナッジとなり得るかについて検証した(Agrawal et al., 2017).これは,小中学生向けの省エネ・コンテストを「介入」とし,ブロック(街区)単位の家計電力消費量を「アウトカム」とする準フィールド実験である.
 2009年にシンガポールは10%以上の省エネを目指すために“Project Carbon Zero”という小中学生向けのコンテストを行った.コンテストの参加は学校単位で行われ,省エネの重要性を説明する授業だけではなく,「自宅のエアコンの温度設定は25℃に設定しようね」といった特定の省エネのヒントを与えた.参加校の生徒はコンテスト期間の前後(2009年1〜8月,介入は5月)に渡って,家計の電力使用量を毎月報告した.電力消費の削減を達成した上位3名や上位3校は表彰され,期間中に10%の省エネを達成できた全ての学生に図書券が配られた.
 主な結果は以下の通りである.参加学校から2キロ以内に自宅がある生徒の家計は,2キロ外に自宅がある生徒の家計よりも,期間中のブロック単位の家計電力消費量が1.8% 少なかった.さらにコンテスト終了後においても,省エネ効果は存続した(限界貯蓄で1.6%).また,小学生はより多くの節電を導くナッジとなる一方で,中学生はより長い効果を持つナッジとなることも分かった.
 つまり条件続きではあるものの,小中学生の日常行動の変化は,家計行動の変化を導く.子供たちの行動は家族を巻き込むことで,社会全体を良くする公共ナッジとなる可能性を秘めている.

(出所) 
Sumit Agarwal, Satyanarain Rengarajan, Tien Foo Sing, and Yang Yang, 2017, Nudges from school children and electricity conservation: Evidence from the “Project Carbon Zero” campaign in Singapore, Energy Economics, 61: 29-41.

(執筆:後藤大策)

日々是総合政策 No.11

 多文化共生を考えよう(上)

 2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会、ラグビーワールドカップ2019日本大会の開催を前に、多文化共生に取り組むことの重要性の認識が広がっている。総務省の「多文化共生の推進に関する研究会報告書2018」によれば、日本における在留外国人数は2018年6月末時点で約264万人と過去最高となっており、総人口に占める割合も過去最高を記録している。また、2019年4月には、新たに外国人材の受入れのための在留資格(「特定技能1号」「特定技能2号」)の創設等を内容とする法改正が施行された。これも考えると、今後の人口減少社会の地域社会において、外国人のプレゼンスが、今まで以上に増大し、これに伴って多文化共生政策が、ますます重要な課題となっていくことも、間違いないだろう。
 地域社会に外国人が増えることについて、治安その他の面で不安感をもつ地域住民がいることは否定できない。四方を海に囲まれている日本だから強調される面があるにせよ、イギリスのブレグジット論議も、そのきっかけの一つが移民問題であったことやアメリカの大統領選挙やEU各国の選挙をみても、在留外国人問題は、世界共通の課題である。そのことを認識した上で、筆者は今後の地域活性化の「鍵」は、「多文化共生にある」と考えて取り組んでいくことが重要と考えている。かねてから、いずれ「多文化共生が、我が国の公共政策上の大きな課題になる」と考えていたが、その原点は、今から四半世紀以上前の、1990年代前半のアメリカ西海岸の生活体験である。当時、多文化共生という言葉はなかったが、多様な民族、言語、文化、国籍の存在を多とするアメリカ社会に驚愕したことが思い出される。印象的だったのは、多文化共生をやっかいなものと考えるのではなく、むしろ積極的にとらえていることだった。多様な文化に触れられることは喜びであり、多様な文化があることは社会の強さにつながる、という強い意思を感じた。

(執筆:平嶋彰英)

多文化共生を考えよう(下)

日々是総合政策 No.10

中国は先進国か?

 10年近く前のこと、2010年に中国が日本を経済規模(GDP=国内総生産という指標によって測られる)で追い越し、世界第2位になったことが報じられた。多くの日本人は驚きながらも、あれだけ人口が大きいのだから全体規模では追いついても1人当たり平均ではまだまだ大きな差があると自らを慰めていた。今もこのように思っている人が多いとしたら問題だ。
 IMF(国際通貨基金)の最新統計(World Economic Outlook Database、2019年4月)によると、2000年段階で、中国の経済規模は日本の4分の1だった(1990年には日本の13%だった)。それが10年後には追いついたのだ。この勢いは若干弱まっても、現在も高速であることは間違いない。実際、2020年には中国の経済規模は日本の2.8倍となり、2023年には3倍を超えると予測されている。
 1人当たり平均の経済規模(米ドルで測った名目GDP)をみると、2000年に日本は中国の40倍だったが、2010年には10倍にまで縮小し、2020年には4倍弱にまで低下する。日本の1人当たり平均の名目GDPを約4万ドルとすればすでに中国は約1万ドルとなる(IMFの予測では、2019年の場合、日本は4万1021ドル、中国は1万153ドル)。
 前回見たように、1人当たり平均の経済規模1万2000ドル以上を高所得経済=先進国経済とすると、中国は先進国に近いところまで来ている。実際、IMFの予測では、2021年に約1万2000ドル、2024年には約1万5000ドルになるとされている。つまり、数年以内に、中国は先進国の経済水準に達するということだ。
 中国の勢いは経済だけにとどまらない。今や、理工系の先端技術分野では中国は米国と並ぶ「2強」となり、科学技術分野をリードしている。人工知能(AI)の研究開発水準でも「米中2強」であり、中国の自動車製造・販売は米国+日本の合計を上回り、世界の工場で働くロボットの約3割は中国国内で稼働している。2019年3月末の移動電話ユーザー数は16億(15億9655万)で、日本(2018年12月末、1億7261万)の10倍近い。(それぞれの数値は、OICA=国際自動車工業連合会、IFR=国際ロボット連盟、中国工業情報化部、一般社団法人電気通信事業者協会、が公表する統計資料に基づく。)
 中国に対する我々のイメージと理解は大幅に修正される必要がある。

(執筆:谷口洋志)

日々是総合政策 No.9

地方創生への道

 「地方創生」の願いがかなわない日々が続いています。しかし、政府も手をこまねいていたわけではなく、さまざまな地方創生政策が試みられてきました。アベノミクスをみただけでも、第3の矢であった成長戦略(「日本再興戦略」)、「一億総活躍社会」を目指す「新三本の矢」、地方創生を強力に推進する「まち・ひと、しごと創生基本方針2015-ローカル・アベノミクスの実現に向けて-」と矢継ぎ早でした。ローカル・アベノミクスは、毎年、新たな方針を打ち出す中で、2018年にも情報支援、人材支援、財政支援を軸とする「地方創生版・3本の矢」を提示しています。 
 これらの政策にもかかわらず、なぜ、地方創生が達成されないのでしょうか。地域社会(コミュニティ)の主役であるはずの住民(市民)の意志を反映するしくみが不十分であることが、その主因になっていると考えられます。  
 地域の最も小さな単位は、家族であり、近隣に暮らす人々が集うコミュニティです。このコミュティを基盤とするのがコミュニティビジネスです。そこには、農業、中小企業・小規模事業、ベンチャービジネスなどの営利事業と、医療・介護、教育、環境関連事業などの社会的・非営利事業が含まれます。このうち、営利事業は日常のコミュニケーションを通じて、アイデアを持ち合い、技術革新を起こし、経済規模を拡大する可能性を秘めています。社会的・非営利事業も補助金、助成金に頼るよりも存続を可能にする資金を自ら獲得しようとの考え方が強まっています。それどころか、高齢化社会の中で重みを増す医療・介護事業などは社会的・営利事業(ソーシャルビジネス)に発展する可能性も有しています。
 コミュニティビジネスの可能性を高め、地方経済・社会を豊かにするのが、NPO(非営利組織)・NGO(非政府組織)などの市民団体、信用金庫などの金融機関、地方政府(自治体)と、コミュニティの連携です。このボトムアップ型の意志伝達メカニズムが確立したとき、中央政府の立案がスムーズに受け入れられるのではないでしょうか。

(執筆:岸真清)

日々是総合政策 No.8

ハエ取りコンクール

 30年余り農林水産省で勤務したが、その間に政策づくりに携わったことも多かった。現状と目標との間のギャップという問題の解決策が政策で、色々な手段で人々を誘導する。手段には、法律で規制する、勧告する、情報を提供する、補助金や利子の安い融資を与える、税金を重くする・軽くするなど様々である。

ハエ取コンクールの記事
出典:広報まつど昭和32年4月15日

 そんな中に、私の小学生時代には、一定期間内に殺して集めたハエの死体数を競い、市町村から賞品が貰える「ハエ取りコンクール」があった。ハエが多く不衛生(現状)なので、ハエを少なくする(目標)という政策である。学校や役所から茶封筒と割り箸を貰い、放課後自宅からハエ叩きを持って魚屋などの店先に行ってハエを取りまくる。大人は昼間働いているから子供の活躍の場だが、近所に戦争で夫を亡くされた無職の方がいて、子供の授業中もハエを取るからいつも賞を取っていた記憶がある。戦前も戦後も各地で行われていたらしく、鹿児島市では2週間で211万匹強という記録もある(インターネット-軍政部の功績: 鹿児島ぶら歩き-より)。賞品代など僅かの予算で衛生環境の向上に絶大な効果のある事業であった。

 そこで、ミャンマーの日本大使館に勤務していた時に、自信満々に「ミャンマーの衛生環境の向上のため、大使館が賞品を出してハエ取りコンクールをやってはどうか」と会議で提案した。その時、老練な大使は、「戦前の中国では日本が提案してハエ取りコンクールをやったが、ハエを大量に人工的に繁殖させて受賞する者が出てきた」と話され、提案はあえなく退けられた。現状も目的も明確で、とても効率的に見えるのだが、政策を受け取る人々の反応を見まちがえると、ハエが増えてしまうといったとんでもないことが起きる。
 人々の反応は国や地域の文化にも関係する。政策づくりはハエを取るように簡単ではない。でも、そこに政策作りの面白さもある。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策 No.7

1人1票と1円1票

 前回、ある人が自分のビルを白壁よりも好きな色の赤壁に塗り替えると、他の人に不快な思い(損失)を与える場合、このビル壁を赤くした社会は「より良い社会」と言えるのか、という問いかけをしました。憶えていますか(⇒No.1 を参照)。
 いま、隣接の住民4人とビル所有者1人の5人からなる社会を想定しましょう。この社会で、ビル壁を赤くしたときの利得(便益)は、ビル所有者が+200万円、隣人1が−100万円、隣人2が−30万円、隣人3が−20万円、隣人4が−10万円だと仮定しましょう。損失を被る隣人は、マイナスの利得を得ています。利得のみに基づき、人々が「このビル壁を赤くする」という政策を判断しますと、賛成がビル所有者1名、反対が隣接住民4名です。したがって、1人1票の多数決ルールでは、この政策は否決されます。
 しかし、1円1票では、賛成が+200万円、反対が−160万円ですので、この政策は可決されます。この政策が社会全体にもたらす純便益は+40(=200-160)万円ですから、この政策は社会全体で見れば望ましい。こうした1円1票による政策評価が、補償原理や功利主義に基づく価値判断です。
 補償原理とは、社会のある変化で得をした人々が損を被る人々の損害額を補償して余りあるだけのプラスの利得を得ていれば、その変化は社会全体にとって良いことと判断するものです。これは、損を被る人々を変化前の状態に保つよう各々の損害額を補償すれば、何人をも悪化させることなしに得をした人々が良化できるという点でパレート改善になると考えるのです。補償原理は、社会的純便益の最大化を望ましいとする功利主義につながります。
 しかし、1円1票による政策評価は、各人が自分の利得を正直に表明したとしても、お金による問題解決を是認することになり、分配の公平が考慮されません。また、1人1票による政策評価も、少数派の人々が多数派の決定に従わねばならないという「政治の外部性」の問題が生じます。皆さんは、どちらの政策評価を選びますか。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策 No.6

民主主義のソーシャルデザイン‐ 公職選挙法の改正

 いよいよ「平成」も残り数日となりました。来週から「令和」の時代が始まります。「令和」の時代とは、どのような時代になるのでしょうか。新たな「令和」の時代に、自分が住んでいる地域の「未来」を誰に託すのか、ということを決める平成最後の統一地方選挙が行われました。読者の皆さんが住んでいる「まち」でも選挙が行われていたかもしれません。
 選挙期間中は、駅前など、人が集まる所では、拡声器を使い、候補者が自身の主張を訴え、街中で選挙カーが走り回り、候補者の名前があちらこちらから聞こえてくる、賑やかな日が続いたと思います。そんな喧噪も、過ぎ去ってしまえば、それまで騒がしかった分、少し寂しさに似た感情も湧くことがあるような無いような。
 さて近年、公職選挙法の改正が続いています。2013年の参議院選挙は、インターネットを活用した選挙運動を解禁した初めての選挙、2016年の参議院選挙は、選挙権年齢が「18歳」に引き下げられた初めての選挙でした。今回の統一地方選挙では、候補者が選挙期間中に、「ビラ」を配布することができるようになりました。(国政選挙や知事選等の首長選挙では、すでに認められていました。)。このような公職選挙法の改正は、「公職選挙法の現代化」と言えるかもしれません。
 法律が作られたのは、昭和25年。今から、約70年前のことです。公職選挙法の基本的な理念は、選挙の公正性と候補者間の平等性の確保にあります。その理念を理解するために、ひとつの喩えをしてみたいと思います。候補者間の平等性の確保とは、同じ選挙に、お金を持っている人とお金を持っていない人が、それぞれ立候補したとき、持っているお金の違いで、有利不利を生じさせないようにしよう、選挙活動で「できること」が異ならないようにしよう、ということです。
 お金を持っている人は、大量のビラや看板を作ることができるかもしれませんが、お金を持っていない人は、ビラや看板を大量に作成することができないかもしれません。選挙活動とは、「自分に一票を入れてください」ということを訴える活動ですから、物量の違いは、当然、選挙結果に大きく影響する可能性があります。
 そのため、公職選挙法の規定では、選挙期間中に「できないこと」が多く、選挙とは、「知恵比べ」の様相を帯びています。そこで活躍するのが「選挙プランナー」であり、「選挙デザイナー」です。(こうした仕事の話は、また後日)
 70年前には「できなかった」ことが、現代では、技術進歩の結果、お金をかけることなく、様々なことが「できる」ようになりました。それならば、法律の基本的な理念を守りながら、「できること」の範囲を広げようという流れにより、近年の公職選挙法の改正につながってきている、すなわち、法律の現代化がなされてきていると言えるのです。今後は、「電子投票」、すなわち、自宅でインターネットを通じて投票する、ということなどもできるようになるかもしれません。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策 No.5

人口減少のインパクト

 人口減少社会という言葉を耳にする機会も多くなりました。人口減少社会とは、「産まれる人数よりも死亡する人数が多くなり、総人口が減少する社会」と捉えることができます。総務省統計局によれば、総人口が継続して減少し始めたのは2008年からとのことです。したがって、日本は2008年から人口減少社会に突入したと言えるでしょう。私たちがこれから生きていく日本社会は、人口が継続的に減少していく社会です。それでは、人口減少は私たちの社会にどのような影響を与えるのでしょうか。本コラムでは「人口減少のインパクト」と題して、数回に分けてこの問題を探っていきます。
 国立社会保障・人口問題研究所という機関が、日本の将来人口について推計を行っています。将来の人口を予測するためには、出生数と死亡数についてある仮定をおいて計算することになります。それぞれ、低位・中位・高位という仮定をおき、合計9パターンの計算を行っていますが、ここでは出生数・死亡数いずれも中位の仮定をおいた推計結果を紹介します。
 人口推計の出発点となる2015年の日本の総人口は1億2,709万人でした。2053年には1億人を割って9,924万人となり、2065年には8,808万人となると推計されています。実に、50年間で3,901万人が減少することになります。この数字の大きさは、2015年時点での東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県に茨城県を加えた人口(3,905万人)とほぼ等しくなります。つまり、今後50年(正確には46年)で、1都4県に等しい人口が日本からいなくなるということです。
 あまりに数字が大きいため、やや呆然としてしまいますが、少なくともこのコラムを読んでくださっている若者の多くは、この急激な人口減少の体験者となるのです。2015年に15歳だった皆さんは、2065年には高齢者の入り口となる65歳です。まさに、当事者としてこの人口減少社会を乗り越えていかなければならないのです。

(執筆:中澤克佳)