公に議論する文化の醸成
日本人は意見の違いを公に議論したがらない習慣があり、匿名でないと真実を話さない。
こう語ったのは、第一次世界大戦中から日米開戦まで、東京から日本社会の姿を世界に伝えたイギリス人特派員ヒュー・バイアス(Hugh Byas)です。バイアスは、日本の情報発信の問題点を、「原則のない検閲」(Blind Censorship)、つまり恣意的で原則のない秘密主義であると指摘しました。彼によれば、情報は原則として開示されるべきであり、国民には何が起こっているかを知る権利がある。報道規制を行うときは、明白な必要が認められる場合に限り、しかもはっきりしたルールに基づいて実施しなければならない。日本政府の各省庁は、信頼できる報道関係者からの問い合わせに対しては、適切な情報を提供しているので、合理性を欠く秘密主義は、日本の立場を必要以上に悪くしている、と述べました。
さらにバイアスは、日本には「言論の自由」がない。「言論の自由」とは、正確な報道をする以上のことを示すものであり、それは自由な討論が行われ、国民の利益に影響を及ぼす様々なアイデアに対して寛容であること、つまり知的活動の自由を保障することだと語りました。
1930年代、日本が、満州事変、国際連盟脱退、日中戦争、第二次世界大戦へと突き進むなかで、国内では「言論の自由」が無くなり、政府や軍部の批判は取り締まられ、ついに1945年の敗戦を迎えました。戦後日本は、「言論の自由」を重視してきましたが、昨今のコロナ禍や東京五輪などへの政府や大会関係者の情報発信を見ていると、バイアスの時代から、日本社会はどの程度変わったのかという思いを禁じ得ません。
今後、多文化共生を目指す日本社会の新しいインフラを創るために、様々な観点から熟議を行い、公論を形成していく必要があります。それは簡単なことではありませんが、時間をかけた議論の内容をきちんと記録に残し、公表していくことが、人々に参加意識を持たせることになり、「言論の自由」を保障することになるのです。公に議論する文化を根付かせましょう。
(執筆:木村昌人)