本能寺の変の「謎」
いよいよ最終回まで数回となった2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」。明智光秀(十兵衛)の主君であった斎藤道三は、命を散らすことになる長良川の戦いに向かう前、十兵衛に、「信長とならば、お主やれるかもしれん。大きな国を作るのじゃ」と言い残し、出陣しました。
時を経て、十兵衛と信長は、将軍足利義昭を奉じ、京に上洛を果たし、「大きな国」を作ります。その後、将軍足利義昭を京から追放した後、織田信長政権は最盛期を迎えます。ここまでが信長と十兵衛にとって、「大きな国」の創業期であると言えます。
その後、信長は家督を嫡男の信忠に譲ります。これを現代的に表現すれば、企業経営者が自分の子どもに「社長」職を譲り、自分は「会長」になったと言えるでしょう。
いま、株式会社織田家には、信長社長時代から会社を支えてきた重役たち、信長の息子たち、次世代の社員たち、大きくは3つのグループが存在するようになりました。
ここで、信長は人事異動や配置転換を始めます。重役の柴田勝家常務を北陸支社長、羽柴秀吉常務を中国支社長、滝川一益常務を関東支社長に任命し、本社から遠ざけてしまいます。まだ支社長に任ぜられた重役たちは良かったのですが、解任された重役たちもいました。これらの重役に代わり、信長の息子たちが本社の重役となっていきます。ただし、経営戦略担当常務である十兵衛だけは本社に残りました。
このとき、信長は、「息子たちのために、いま役員の世代交代と組織変更をしておかなければならない」と考えたのかもしれません。信長から離反する社員たちも出てきて、信長は、ますます疑心暗鬼になり、暴走し、信長を取り巻く人々の心も離れていきます。その中には、「次は自分が制裁を受ける番だ」という恐怖もあったかもしれません。十兵衛は、信長を諫め続けますが、信長にはその声は届きません。「信長の暴走を止めるのは、大きな国を一緒に作ってきた自分しかいない」と思ったのかどうかはわかりませんが、十兵衛はある決意をします。「ときは今 あめが下しる 五月かな」。
本能寺の変を現代的に見れば、「事業承継」を失敗した結果と見ることができます。後継者問題や事業承継は、経営のリスクと言えます。秀吉も事業承継に失敗をしています。歴史から現代の経営者が得る教訓は多いのではないでしょうか。
(執筆:矢尾板俊平)