ふるさと納税泉佐野市訴訟最高裁判決について(下):林景一裁判官「補足意見」への違和感
林景一裁判官「補足意見」は、制度そのものに内在する本質的な問題点を指摘した宮崎裕子裁判長自身の「補足意見」の見解を和らげようとしているようにすら見えるのである。
林裁判官「補足意見」が上告人泉佐野市への批判を判決本文以上に厳しく書いていることに、筆者の違和感の大きな原因がある。
判決本文自体が、「このような本件不指定に至るまでの同市の返礼品の提供の態様は、社会通念上節度を欠いていたと評価されてもやむを得ない」と述べているのに、林裁判官補足意見はさらに加えて、「特に、同市が本件改正法の成立後にも返礼割合を高めて募集を加速したことには、眉をひそめざるを得ない。」とまで述べている。そして、その上で被告であった総務省、あるいは、その後ろにいる官邸に忖度するかのように、「新たな制度の下で、他の地方団体と同じスタートラインに立って更なる税収移転を追求することを許されるべきではないのではないか、あるいは、少なくとも、追求することを許される必要はないのではないかという感覚を抱くことは,それほど不当なものだとは思われない。それは、被上告人が他の地方団体との公平と呼ぶ観点と同種の問題意識である。」とまで述べる。
判決本文が指定除外は、「実質的には、同大臣による技術的な助言に従わなかったことを理由とする不利益な取扱いを定める側面がある」と指摘している行為を「不当なものだとは思われない。」と、言っているようですらある。まるで、悪いのは勝訴した「泉佐野市」で、「ふるさと納税制度は悪くない」、「泉佐野市を除外したのは悪くない」と、被告であった総務省、あるいは、その後ろにいる内閣官邸にメッセージを伝えようとしているような感じさえ覚えてしまい、気味悪さがあります。
そういえば、最高裁判事の人事も内閣官邸が慣例破りをしていると話題になっていたこともあった。そうした内閣官邸の人事権への忖度が補足意見にあったのだとしたら、日本の三権分立と司法権の独立に不安を感じざるを得ないのではないのだろうか。そんなことは、私の杞憂に過ぎないのであれば、いいのだが。
(執筆:平嶋彰英)