日々是総合政策No.154

コロナ禍と不確実性:キッシンジャーの「推測の問題」

 7月6日現在、東京都の新規感染者数は5日連続で100名を超え、コロナ禍の心配が続いています。新規感染者数の推移をどう評価し、いかなる対応処置をとるかについては、医療分野や経済分野などの有識者でも種々の意見があります。しかし、そうした意見の基になる新型コロナウイルス感染症やその対策の政策効果に関する情報は、コロナ禍の全体像を把握できるほどではないようです。有識者を含めすべての人々がいま不確実性に包まれた状況下にある、といえます(注1)。
 不確実性に包まれた状況下においては、公共政策の最終決定権者は、ファーガソンが引用するキッシンジャーの「推測の問題」(the problem of conjecture)に直面します(注2)。


 あなたが首相だったとして、大惨事の危険に気づいたとします。でも確実とは言えない危険で、どれほどの確率かも言えません。確率を示せない不確実な領域にあるものの、[大惨事の発生する]危険がある状態です。危険を排除する、または軽減させるべく困難な行動に出ますか。もしかしたら成功するかもしれません。一方で、何もせず最善の結果を祈るだけという手もあり、幸運にも大惨事は起こらないかもしれません。予測[推測]の問題とは、大惨事を阻止しようと先手を打っても見返りがないということです。なぜなら避けられた大惨事、起こらなかった事件に対して感謝する人はいないからです。何もしなければ行動のコストを被ることはありません。ですが不運にも大惨事が起こるかもしれません。意思決定者[最終決定権者]の利得は極めてアンバランスなのです。
 民主主義[社会]においては何もせず最善の結果を祈る方が簡単です。なぜなら予防策のための先行投資はほぼ確実に無駄になるからです。大惨事を阻止することに成功した場合でも、起こらなかった大惨事には誰も感謝しないので利得はありません。


 これがキッシンジャーが明らかにした問題で経済の領域にも当てはまる、とファーガソンは言っています。しかし、コロナ禍の大惨事に関しては、予防策をとる「行動のコスト」を誰が負担するのかを再確認する必要があります。この大惨事を阻止する行動を見せなければ、指導者としての資質を問われるかもしれません。
皆さんが最終決定権者だったら、どうしますか。

(注1)この状況は、No.58 で触れた「合理的無知」(追加的な情報を獲得することの便益と費用を比較考量して費用の方が便益よりも大きければ、それ以上の情報を獲得せず情報欠如となること)の状況とは異なります。たとえ費用がかからずできる限りの情報を獲得できたとしても、その情報は完全ではなく限定的である状況です。
(注2)以下は、NHK BS1スペシャル「欲望の資本主義2020スピンオフ ニーアル・ファーガソン 大いに語る」 (2020年4月29日放送)でのファーガソンの言説(字幕)を一部加筆修正したものです。ここでの「危険」は‘risk’で、字幕では「リスク」と訳出されています。しかし、一般に経済学では、事故の発生確率が分かっている事象を「リスク」、事故の発生確率が分からない事象を「不確実性」として区別しています。一般的な意味での‘risk’は、つまり事故の発生確率の分かっている「リスク」と分からない「不確実性」の両方を含めた‘risk’なので、ここでは「危険」と訳しています。 [ ]部分は加筆しています。
 また、Niall Ferguson, “The Problem of Conjecture,” in Melvyn P. Leffler and Jeffrey W. Legro (eds.), To Lead the World: American Strategy after the Bush Doctrine, Oxford, New York: Oxford University Press, 2008, pp. 227-249の分担執筆章(第10章)冒頭部分(p. 227)に引用されている “Decision Making in a Nuclear World,” Henry Kissinger Papers, Library of Congressの中のキッシンジャーの「推測の問題」(the problem of conjecture: ‘conjecture’ は「明確な知識に基づいておらず推測によって形成される意見や考え方」や「明確な知識に基づいていない意見や考え方の形成」を意味していますので、「推測」の問題は「推測によって形成される意見」の問題もしくは「推測による意見形成」の問題といった方が正確になります)における選択問題は、以下の通りで、BS1スペシャルでのファーガソンの選択問題とは若干ニュアンスが異なっています。
 「おそらく最も難しい問題は外交政策における推測の問題である。・・・各政治指導者は、最小限の努力しか必要ないと評価するか、より多くの努力が必要であると評価するかの選択がある。・・・彼が早く動くならば、彼はそれが必要であったかどうかを知ることができない。彼が待つならば、彼は幸運かもしれないし不運かもしれない。それはひどいジレンマである。」

(執筆:横山彰)

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