日々是総合政策No.45

政策の外部性をどう解決するか

 ある国や地方政府で実施される公共政策は、一部の国民や住民にマイナスの影響を及ぼしたり、他の公共政策にプラスやマイナスの影響を及ぼしたり、他の国や地方政府にプラスやマイナスの影響を及ぼしたり、いまは生まれていない将来世代にプラスやマイナスの影響を及ぼしたりします。こうした影響が、「政策の外部性」です。
 一部の国民や住民にマイナスの影響を及ぼす場合は、「1人1票と1円1票」(No.7)で述べたことの応用問題になります。また、ある公共政策が他の公共政策にプラスやマイナスの影響を及ぼすのは、政策間に補完関係や競合関係があるか、2つの政策課題をもたらす諸要因に共通項や何らかの関係性があるかです。そして、他の国や地方政府あるいは将来世代にプラスやマイナスの影響を及ぼしたりする公共政策の例としては、地球温暖化対策やエネルギー政策が考えられます。

 化石燃料の燃焼による二酸化炭素(CO2)排出は、地球温暖化をもたらし、経済的な損失を発生させる。

 この「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC:Intergovernmental Panel on Climate Change)の見解を前提にすれば、ある国(地方政府)のCO2排出削減のための地球温暖化対策は、他の国(地方政府)や将来世代にプラスの影響を及ぼします。このプラスの影響には、国と地方政府の相互間の影響もあります。他方、CO2排出増大をもたらすようなエネルギー政策は、マイナスの影響を及ぼします。
 地方政府間の政策の外部性(水平的外部性)や、国と国内の地方政府との間の政策の外部性(垂直的外部性)に係る問題については、当事者間交渉による問題解決、中央政府である国の政治による問題解決、裁判所の司法による問題解決が考えられます。これに対して、国家間つまり国際間の政策の外部性に係る問題については、世界政府が存在しないゆえに、2国間なり多国間の当事者間交渉(外交交渉)による問題解決や、国際司法裁判所や他の国際裁判所の司法による問題解決や、経済制裁や軍事行動による力による問題解決があります。
 しかし、将来世代への政策の外部性に係る問題については、将来世代との当事者間交渉はできなく、現在世代がどのように解決するのかを確りと考える必要があるのです。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策 No.32

緑の人と青い人

 いまから20年以上前に日本で初めて誕生した「総合政策研究科」という大学院の講義で、「緑の人と青い人」というレポート課題を出したことがあります。その後、学部の講義や関西で設置された学部を持たない総合政策系大学院の講義などでも同じ課題を出して、総合政策の醍醐味を私なりに受講生に伝えてきました。その課題は、次の通りです。

「ある社会で緑の人が右に進もうと言い青い人は左に進もうと言ったところ、その社会は緑の人の言うことに従い右の進路をとった。こうした現象が生起する状況を列挙し、その政策的含意を考察しなさい。」

 社会人院生も含む当時の受講生の皆さんのレポート内容は、極めて多彩で色々な考察が加えられ、大変に示唆に富んだものでした。中高生はじめ若い読者の皆さんには、まずもって、ご自身で少し考えてみていただきたいと思います。
 こうした現象が起こるのは、(1)その社会の構成員のほとんどが緑の人であったから、(2)緑の人が法的権限を持った代表者であったから、(3)その社会の支配的な宗教の最高責任者が緑の人であったから、(4)その社会の審美眼からして緑の人が美しい人だったから、(5)緑の人が科学的根拠を示したから、(6)過去の言動からして社会的信頼は緑の人の方が高かったから、(7)緑の人が言う右の進路の方が得をする人数が多かった(1人1票の結果)から、(8)緑の人が言う右の進路の方が社会全体の純便益が大きかった(1円1票の結果)から、(9)左より右の進路の方が歩きやすそうだったから、(10)緑の人の演説の方が良かったから、などなど(そうした諸要因の重なりも含め)色々な説明が考えられるでしょう。
 一度限りの科学的根拠からすれば青い人の言説の方が正しかったとしても、過去の言動からして青い人が「狼少年」だった場合には、その科学的根拠だけでは社会の進路は決まらないかもしれません。また、青い人の言うことが本当に正しくても、青い人の言うことだけは絶対に受け入れたくない、といった感情が政策決定を左右する場合もありえます。
これらの点から、「政策は人なり」の側面も考える必要があるのです。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策 No.20

多様な判断基準

 前回(No.7)は、1人1票と1円1票の政策評価について述べました。そのときは、個人単位での政策評価を考えました。個人の政策評価の背後には、その人独自の価値判断がありますが、その判断基準も多様です。
 いま、皆さんが人事採用担当者だとして、次のような2人の候補者AとBのうち1人を採用する場面に直面したとします。英語と数学と国語の共通テストの得点(100点満点)は、Aが (100, 10, 40)、Bが (40, 50, 60) でした。この与えられたデータだけで、どちらの候補者を選ぶかを考えてみてください。
 単純な平均点は、AもBも50ですが、次のような違いがあります。A よりも Bの方が点数のばらつき(分散)が小さく、安定した点を取っている。最高点を比較すると、Bが国語60であるのにAは英語100なので、Aの方が最高の能力水準は高い。最低点を比較すると、Aが数学10なのにBは英語40であるから、Bの方が最低の能力水準は高い。真ん中の中位点を比較すると、Aの国語40に対しBは数学50であるので、Bの方が中位の能力水準は高い。平均点を比べる、分散を比べる、最高点を比べる、最低点を比べる、中位点を比べる、それらの組み合わせで比べるなど比較する基準すなわち、判断基準次第で、採用する候補に違いが出てきます。
 さらには、採用担当者が候補者に何を期待するかで、例えば英語力の高い人材が欲しい場合には、数学や国語のデータを無視して英語の点数だけを比べ、BではなくAを選ぶでしょう。共通テストの参加者全体の中でのA とBの科目素点の優劣を比較するには、素点より偏差値などのデータが必要になります。言うまでもなく、履歴書・面接などによる、共通テスト以外の情報(社会活動実績や運動能力やコミュニケーション能力や、協調性・勤勉性・忍耐力といった「非認知的能力」など)も、候補者の選択に勘案されます。
 採用担当者が複数いるとき、各々の判断基準に基づき候補者AとBに関する担当者個人の選択がなされ、その個人的選択が候補者の最終決定にいかに結びつくは、最終的な意思決定ルールに左右されるのです。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策 No.7

1人1票と1円1票

 前回、ある人が自分のビルを白壁よりも好きな色の赤壁に塗り替えると、他の人に不快な思い(損失)を与える場合、このビル壁を赤くした社会は「より良い社会」と言えるのか、という問いかけをしました。憶えていますか(⇒No.1 を参照)。
 いま、隣接の住民4人とビル所有者1人の5人からなる社会を想定しましょう。この社会で、ビル壁を赤くしたときの利得(便益)は、ビル所有者が+200万円、隣人1が−100万円、隣人2が−30万円、隣人3が−20万円、隣人4が−10万円だと仮定しましょう。損失を被る隣人は、マイナスの利得を得ています。利得のみに基づき、人々が「このビル壁を赤くする」という政策を判断しますと、賛成がビル所有者1名、反対が隣接住民4名です。したがって、1人1票の多数決ルールでは、この政策は否決されます。
 しかし、1円1票では、賛成が+200万円、反対が−160万円ですので、この政策は可決されます。この政策が社会全体にもたらす純便益は+40(=200-160)万円ですから、この政策は社会全体で見れば望ましい。こうした1円1票による政策評価が、補償原理や功利主義に基づく価値判断です。
 補償原理とは、社会のある変化で得をした人々が損を被る人々の損害額を補償して余りあるだけのプラスの利得を得ていれば、その変化は社会全体にとって良いことと判断するものです。これは、損を被る人々を変化前の状態に保つよう各々の損害額を補償すれば、何人をも悪化させることなしに得をした人々が良化できるという点でパレート改善になると考えるのです。補償原理は、社会的純便益の最大化を望ましいとする功利主義につながります。
 しかし、1円1票による政策評価は、各人が自分の利得を正直に表明したとしても、お金による問題解決を是認することになり、分配の公平が考慮されません。また、1人1票による政策評価も、少数派の人々が多数派の決定に従わねばならないという「政治の外部性」の問題が生じます。皆さんは、どちらの政策評価を選びますか。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策 No.1

パレート改善と外部性

 総合政策は、現実の社会を「より良い社会」に変えようとする人間の営みを総合的に研究します。これは、既にお伝えしました。人が違えば、「より良い社会」も違います。しかし、次のような考え方に異を唱える人は少ないでしょう。
 ある人が「白」よりも「赤」のシャツを着る方が望ましいと考えて「赤」シャツを着た、と想像してみてください。このとき、その人の着るシャツの色などは他の人々にとってどうでもよければ、その人が「白」シャツを着ている社会よりも「赤」シャツを着ている社会の方が「より良い社会」だ、と考えられます。この考え方は、パレート(1848 – 1923年:イタリアの経済学者)の名を冠した、「パレート改善」を良しとする価値判断に基づいています。パレート改善とは社会の構成員の何人をも悪化させることなしに誰かを良化できることで、こうした改善は社会全体にとって良いことと判断されます。改善前の社会と比べて改善後の社会の方が「より良い社会」と考えるわけです。
 言い換えれば、誰にもご迷惑をかけないならば、誰もが自分の幸福を追求し自分が良いと考える状態を実現することが、社会全体にとっても良いことであるとする考え方です。この考え方は、自由主義にも通じます。
 しかし、ある人がシャツではなく、自分が購入した白壁のビルを白よりも好きな色の赤に塗り替える場合は、どうでしょうか。ビル壁が白ではなく赤になることで不快になり損失を被る人(例えば隣人)がいれば、この変化はパレート改善になりません。このように、ある人の選択行動が第三者である他の人の利害に影響を与えるときは、「外部性」が存在すると言います。その影響がプラスなら正の外部性、マイナスなら負の外部性です。では、白いビルのままの社会と比べ、そのビル壁を赤くした社会は「より良い社会」と言えるのでしょうか。この点、社会全体としてどう評価するかについては、次回に考えましょう。

(執筆:横山彰)