日々是総合政策No.247

経済成長をもたらすコミュニティビジネス活性化

 首相所信表明において、成長と分配を軸とした「新しい資本主義」が取り上げられました。地域の活性化を重視する「デジタル田園都市国家構想」の下で、イノベーションやスタートアップ企業の成長を促進するシステムの構築が目指されています。他方、分配に関しては、看護・介護、保育・幼児教育担当者の給与引き上げ、また赤字にもかかわらず賃上げを実施する中小企業に対して補助率が高められようとしています。  
 政策の主な対象にされているのは、持続的な社会の礎、コミュニティビジネスです(注1)。コミュニティビジネスは共助社会の推進者ですが、中小企業・小規模事業、ベンチャービジネス、それにソーシャルビジネス(医療・介護、教育、環境関連事業)が含まれます。生産活動は、コミュニティビジネスと市場経済の推進者である産業ビジネス(大企業・中堅企業)に担われていると考えられます。経済発展に伴って生産量が次第に増加していく中で、ビジネスの2つのタイプの発展経路を、次のようにイメージできるのではないでしょうか(注2)。
 生産活動開始期⇒収穫逓増期⇒弱い収穫逓減期⇒強い収穫逓減期⇒金融投機活動期
 この経路の中で、コミュニティビジネスは、生産活動開始期から弱い収穫逓減期までの期間、産業ビジネスは弱い収穫逓減期(一時的に収獲逓増現象が生じることもありますが)から金融投機活動期までが、それぞれの主な活動期間であると考えられます。金融投機活動期に至る頃には生産活動から得られる収益率が低下、それをカバーする金融商品への投機が増加、金融資産が肥大化します。しかも資金を負債に頼るレバレッジが高まり、バブルを醸成・崩壊することになります。そこで、この段階に至る前に、有望なコミュニティビジネスに資金を振り向ける政策が望まれることになります。       
 資金を仲介するのが、政府、地方自治体、地方銀行、協同組織金融機関(信用金庫、農業協同組合など)、NPO・NPOバンク、それに市民直接参加型のコミュニティファンドなどです。しかし、「田園都市国家構想」や「生涯活躍のまち構想」が十分な成果を収めることができなかった苦い経験を克服すべく、計画時点から地域の住民・市民の参加を促し意思を反映する政策プロセスの確立が急務になっています。

(注1)企業や家計の行動を重視するRomarやLucasの内生的成長論の意図を、さらに地域の制度・社会組織の視点から強調するのがVázquez-Barqueroです。すなわち、市民と企業のニーズの充足を重視、経済成長が多様な地域で生じ、多様な規模の企業が重要な役割を果たすはずである。また投資決定過程への市民の参加を通じて、市民の地域改革の意思と能力を活用する政策が採られることになると主張しています。Vázquez-Barquero,A.(2010)The New Forces of Development: Territorial Policy for Endogenous Development, Singapore: World Sciientific,pp.54-79を参照。
(注2)岸真清(2021)「地方創生の金融規制改革」岸真清・島和俊・浅野清彦・立原
繁『規制改革の未来 地方創生の経済政策』東海大学出版会、53-65ページをご覧下さい。

(執筆:岸 真清)

日々是総合政策No.246

日本のデジタル化(1)

 今年9月にデジタル庁が発足し、日本でもようやくデジタル化が加速することが期待されている。しかし、現状のままでのデジタル化には多数の限界や重要な課題がある。
 そもそも、デジタル化が期待されるのは、コロナ禍でのデジタル対応の混乱と失敗がある。例えば、コロナ禍で経済活動が停止・短縮されたことによる収入激減に対し、一律の10万円給付を決めたものの、オンラインでの申請等ができずに、結局は郵送に頼らざるを得なかった。オンライン方式よりも、手書きでの郵送のほうが迅速に処理できたというのは、残念というより恥ずべきことだ。
 なぜなら、2001年に発表されたe-Japan戦略では「我が国が5年以内に世界最先端のIT国家となることを目指す」としていたし、2013年の世界最先端 IT 国家創造宣言では「世界最高水準のIT利活用社会の実現」を目指すとしていたからである。しかし、2021年の情報通信白書では「デジタルインフラ整備などの一部については世界的に見ても進んでいるものの、全体としては大幅に後れている」と書かれている。
 実際、スイスの経営大学院IMDの世界競争力センターが毎年発表するデジタル競争力ランキング(IMD World Competitiveness Center, World Digital Competitiveness Ranking, https://www.imd.org/centers/world-competitiveness-center/rankings/world-digital-competitiveness/)によると、世界64の国・地域での日本の順位は、2018年の22位から2019年の23位、2020年の27位、2021年の28位へと下がり続けている。
 ちなみに、2021年のトップ5は、米国、香港、スウェーデン、デンマーク、シンガポールである。また、台湾8位、韓国12位、中国15位、ドイツ18位で、日本はマレーシアの27位に次ぐ第28位である。この順位を見ると、日本のデジタル化はかなり遅れており、世界最先端どころかデジタル中進国ないしデジタル途上国としか言いようがない。日本にはいったい何が欠けているのだろうか。それをしばらく考えてみたい。

(執筆:谷口洋志)

日々是総合政策No.245

家事労働を考える(1)-家事労働の特徴

 高齢化・生産年齢人口の減少を背景に、多くの先進国で労働供給増大策が求められています。これから数回、一国の労働参加率および労働供給量に大きな影響を与える家事労働について考えます。今回は、家事労働と市場労働を比較します。
 ここでの市場労働とは勤労者を典型として、企業に雇われ、労働サービスの対価として賃金を受取る労働を指します。勤労者は企業の製品の生産に貢献することにより、賃金を得るわけです。
 なお、伝統的なミクロ経済学では市場労働自体は不効用を生むと考えられています。労働時間を増やすと趣味などのレジャーにあてる時間を減らさなければなりません。たとえ、労働が何がしかの楽しさを生んだとしても、レジャーの楽しさには遠く及ばないという把握です。
 他方、家事労働はどうでしょうか?いまAさんが、清掃という家事労働を行うとしましょう。おかげで家族は清潔な家で暮らせます。しかし、Aさんには労働サービスの対価としての賃金は支払われません。
 つまり、家事労働の第一の特徴は、賃金なき「無償労働」という点です。ただ、Aさんの労働が、家計の支出を減らしていることは事実です。Aさんの労働がなければ、清掃を業者に依頼し料金を支払わなければなりませんから。
 第二の特徴は、殆どの家計-家事の一切を「お手伝いさん」に任せる超富裕家計を除く家計-にとって、家事労働が日々欠かせないという点です。家事サービスが、衣食住にとって必要不可欠であるからでしょう。そのため、家事労働は家計単位で見ると、ほぼ生涯の全期間にわたって必要となります。公的介護システムにより家事サービスが給付される時まで、家族の誰かが家事労働を担わなければなりません。
 もちろん、家事労働が効用を生む場合もあります。庭木の手入れは、それを趣味にしている人にとってはレジャーと同じです。しかし、家事労働全般を視野に入れると、筆者は多くの経済学者(注)と同様、家事労働はレジャーではなく不効用を生むと考えます。この点では、家事労働は市場労働と同じです。

(注)たとえば、Sandmo,A[1990]“ Tax Distortions and Household Production ”Oxford Economic Papers 42,pp.80-81を参照。

(執筆:馬場義久)

日々是総合政策No.244

共感を考える(4)

 共感は、経済学の枠組みでは、外部性や効用の相互依存性から考察することもできます。個人i(自分)の効用(満足)Uiが、自分自身の所得Yiだけではなく、他者jの効用Ujの水準にも左右されるならば、個人i(自分)の効用関数は次のように示されます。

 Ui = Fi (Yi, Uj)   (1)

 このとき、Ujの水準を固定したまま、Yiが増大(減少)すれば、Uiが増大(減少)すると考えるのが自然です。これは、数学的には∂Ui/∂Yi > 0 と表現されます。同じ記号法を用いて∂Ui/∂Uj > 0 ならば、Yi の水準を固定したまま、Ujが増大(減少)すれば、Uiが増大(減少)することを意味します。つまり、∂Ui/∂Uj > 0 は、他者jが幸福なとき(Ujが増大すれば)自分iも幸福を感じる(Uiが増大する)「正の共感」と、他者jが不幸なとき(Ujが減少すれば)自分iも不幸を感じる(Uiが減少する)「負の共感」を、同時に意味することになります(注1)。ここで、∂Ui/∂Uj > 0 は Uj↑⇒ Ui↑かつUj↓⇒ Ui↓と表しても良いでしょう。
 もし、∂Ui/∂Uj < 0 ならば、他者jが幸福なとき(Ujが増大すれば)自分iが不幸を感じる(Uiが減少する)「逆共感」と、他者jが不幸なとき(Ujが減少すれば)自分iが幸福を感じる(Uiが増大する)「シャーデンフロイデ」を、同時に意味することになります(注2)。∂Ui/∂Uj < 0 は 、Uj↑⇒ Ui↓かつUj↓⇒ Ui↑と表現できます。
 (1)式のような効用関数を想定するとき、他者の効用が自分に外部性をもたらしていることを意味します。さらに、(1)式では明示されていませんが、他者jがどのような活動によって効用Ujが増大したり減少したりするかは、他者次第で、自分iがコントロールすることができないとき、その活動は自分に外部性をもたらすことになります(注3)。
 立場を変えると、自分iが幸福(不幸)なとき他者jも幸福(不幸)を感じるかもしれません。これは、(1)式において、i と j を入れ替えた形で示されます。自分だけではなく、他者も共感の感情を持つ場合は、効用の相互依存性として論じられています。

(注1)「正の共感」と「負の共感」は、No. 240 の表1を参照ください。
(注2)「逆共感」と「シャーデンフロイデ」も、No. 240 の表1を参照ください。
(注3)このとき、他者の活動Xjが高くなると他者の効用Ujが高くなり、それで(1)式を通じて自分の効用Uiが高くなったり低くなったりするケースだけではなく、Ui = Fi (Yi, Xj) のようなケースもあります。この後者のケースが、No.1 でも言及したように、Xjが外部性をもたらしているケースになるのです。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.243

情報過多社会

 小学校の図書室で読んだ昔話が忘れられない。文明開化の頃、江戸に一軒の肉料理屋が開店した。店頭には「江戸で一番安くて美味しい」と書かれた幟 (のぼり) が旗めいていた。まもなく隣に「日本で一番安くて美味しい」という幟 を掲げる店が開店し、そのまた隣に「世界で一番安くて美味しい」の幟の店ができた。とすると、そのまた隣に「町内で一番安くて美味しい」との幟の店が開店した。「さて、どの店が一番繁盛したでしょうか」と締め括られていた。
 東京下町に住む私は「最後の店だろう」と直感した。当時、徒歩15~20分圏内で買物も飲食をしていた。何かの祝いに路面電車で日本橋界隈に行くくらいだ。日本一も世界一も意味がなかった。それにラジオやテレビ放送があっても飲食店の情報などない。近所の人との口コミ情報以外では、来訪する人々の情報が貴重だった。若い警察官が半年に1回位の戸別訪問に来る。「何か問題はありませんか。怪しい人はいませんか。」といったことを聞くのが目的なのだろうが、母親と警察官の故郷から近所の娘さんの結婚まで話し込む。この類は簡易保険料を集金する郵便局員、自転車で区外から来る洗濯物の収配達員、玄関から世界が広がる。私は母親の近くで大人の話を聞いていた。
 この物語を現在に置換えて、今の小学生に問うと「世界一が一番繁盛」と答えるかもしれない。行動範囲は東京都内なら外食も買物も地下鉄などで簡単に行ける。テレビでも本でもインターネットでもグルメ情報を収集できる。問題は価格と食味の情報について店と客に格差ある“情報の非対称性”だ。しかし、店が客を騙す意図もなく、客と同じくらいの情報しかないのに、世界一に自信を持つ場合や単に修飾語として安価と美味を強調することもある。客側は店舗情報の信憑性に疑問を感じる。そこで、ミシュランガイドが登場するが、これも信頼性の問題に突き当たる。といって安易に政府介入するわけにゆかない。市場の裁きを待つばかりだ。
 個人の情報収集・判断能力には限界があり、情報過多の海でおぼれ死にそうだ。株の売買を投資顧問会社に委託するように、様々な経済分野で競い合う専門情報会社に頼るようになるのか。政治面では古くから代議制があるように。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.242

母子世帯の子育てを励ますコミュニティ

 母子世帯の子育て・環境整備について考えてみましょう。2018年の世帯・平均所得は552.3万円ですが、母子世帯の所得は306万円に留まっています。この状況を映して、2019年の平均的な世帯の生活意識は、「大変苦しい」21.8%、「やや苦しい」32.6%、「普通」39.9%であるのに比べ、母子世帯は、それぞれ、41.9%、44.8%、10.4%となっています。苦しい母子世帯の生活を支えているのが所得の75.5%を占める稼働所得であるだけに、児童手当や生活保護支給を高めるだけでなく、稼働所得をいかに増やすのかが問われることになります(注1)。
 その参考になりそうなのが、バングラデッシュのグラミン銀行(Grameen Bank)の経験です(注2)。2019年末の女性会員比率96.8%に示されるように、気概に富んだ女性が主力になっていますが、低利の貸出しが主に食料品店経営や水田耕作などの営利活動に向けられています。一方、苦難に喘ぐ人々に対してゼロ金利の貸出しが行われています。
 グラミン銀行は、事業の利益だけでなく、かかわったすべての人々の生活水準の向上を目指しています。しかし、慈善事業ではありません。無担保かつ低金利の貸出しにもかかわらず、2019年には98.9%の高い返済率の下で6,478.5万ドルの利益をあげています。それを可能にしているのは、借入時に組織する5人組グループの連帯責任です。毎週、グラミン銀行のスタッフと会員との会合が開かれる密なコミュニケーションの中で、返済に加えて預金も行われています。                                  
 日本においても、イニシアチブと責任を自覚、自らコミュニティを創造する人々の試みに期待が掛かります。重頭によれば、デジタル化に対応、コミュニケーションを深めるために、店舗を兼ね備えたJAバンクの移動車が停留所で交流会や相談会を開催しています。また、いくつかの農協では、スマートフォン教室を開催しています。この過程で、女性部の手芸教室で作った作品をメルカリ教室に出品するケースも見られるようになっています(注3)。これらの試みが母子世帯の子育てに貢献していくものと思われます。

(注1)母子世帯に関するデータは、厚生労働省『2019年 国民生活基礎調査の概況』、 
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa19/index.html(2021.10.22 最終アクセス)によります。
(注2)2019年のグラミン銀行のデータおよび業容は、Grameen Bank, Annual Report 2019,pp.11-53,https://www. grameen bank.org/wp-content/ uploads/ bsk-prd-manager /Annual Report PDF_2019.pdf (2021.6.21アクセス) によります。
(注3)重頭ユカリ(2021)「農協における金融包括の取組み―農協の移動店舗とスマートフォン教室―」農林中央金庫『農林金融 2021・10』、15-27ページをご覧下さい。

(執筆: 岸 真清)

日々是総合政策No.241

スウェーデンのSKVの活動(4)

 No.236では勤労者(=以下、被用者と記す)を想定して、スウェーデンの申告納税の仕組みを説明しました。SKVが申告書に記載した納税額等に異論がなければ、サインのみで申告が終了します。これは「簡単申告」と呼ばれています。
 今回はその実際を紹介します(注)。2012年の被用者の場合,全申告者613万人のうち438万人(71%)がサインのみで申告し、残り175万人(29%)がSKVの記載情報を修正しました。他方、自営業等の小規模事業者は全申告者135万人のうち、サインのみが17万人(13%)、修正者が118万人(87%)でした。
 ちなみに、次の表は、SKVが行った申告制度に関するアンケートの結果を示します。

表  「申告は簡単と思うか?」2012年(%)

 民間被用者の73%がほぼ簡単と思っているのに対し、自営業者等は37%に過ぎません。
 以上の理由の一つとして、小規模事業者の申告が第三者の所得情報に基づいていないことが考えられます。被用者の場合、雇い主(会社)から被用者とSKVに給与の情報が知らされます。被用者とSKVが、ともに雇い主という第三者からの情報を確認することにより申告がなされます。
 ところが自営業等では、業者自身が自己の所得支払者で、しかも受取者であるため、自営業者がSKVに自分の所得を知らせるだけです。
 しかし、自営業者にとって所得は課税対象ですから、所得を過少に申告する誘因が存在します。事業収入を過少に、費用を過大に申告する誘因です。たとえば米の自家消費分の事業収入不算入があげられます。他方、SKVは所得の正確な捕捉を目指し、事業収入や費用に関する情報を自営業者に求めます。よって、自営業者の「簡単申告」の実施は困難となります。
 残念ながら、納税者番号制度は以上の点を克服できません。小規模事業者の取引・消費行動を十分に捕捉できないからです。ただ、同制度による資産所得等の捕捉により、小規模事業者の経済力を推測することには寄与できるでしょう。

注 
以下、馬場 義久[2021]『スウェーデンの租税政策』、早大出版部、253-255
頁より抽出。一部説明を追加した。

(執筆:馬場 義久)

日々是総合政策No.240

共感を考える(3)

 共感「empathy」は、渡辺(2011)により表1のように分類されています(注1)。読者の皆さんは、自分が観察者だと思ってください。そして、他者が幸福なときや不幸なとき、自分がどのように感じるかで、共感は4つに分類されています。他者が幸福なとき、自分も幸福ならば「正の共感」、自分が不幸ならば「逆共感」と表現されています。他者が不幸なとき、自分が幸福ならば「シャーデンフロイデ」、自分も不幸ならば「負の共感」と表現されています。

 もし他者が自分の家族(親や子供など)や恋人ならば、その共感は、他者が幸福なとき幸福を感じる「正の共感」や、他者が不幸なとき不幸を感じる「負の共感」になるでしょう。しかし、他者が恋敵や自分をいじめているクラスメートならば、その共感は、他者が幸福なとき不幸を感じる「逆共感」や、他者が不幸なとき幸福を感じる「シャーデンフロイデ」になるでしょう。別の言葉で表現すると、「正の共感」は「利他・友愛」、「負の共感」は「同情・哀れみ」、「逆共感」は「羨望・妬み」、「シャーデンフロイデ」は「他人の不幸は蜜の味」といった感情表現になるでしょう(注2)。
 生活に困っている人や生きづらい環境におかれている人を見ると、自発的に自分のできる範囲で手を差し伸べようとする人がいます。貧しい人々に対してチャリティーや贈与や援助を自発的に行う個人としては、(1)貧しい他者の所得や効用(満足・福祉)が高くなると自分の効用が高くなる個人、(2)貧しい他者の特定の財・サービス(医療・教育・食料など)の消費水準が高くなると自分の効用が高くなる個人、(3)貧しい他者に自分が手を差し伸べ贈与を与えたという慈善行為そのものから効用を得る個人、(4)貧しい他者に手を差し伸べ贈与を与えた慈善家(良い人)という評判を得ることから効用を得る個人、が考えられます(注3)。
 上記の(2)から(4)のような個人は、他者が幸福なとき自分も幸福を感じるといった「正の共感」に基づいてチャリティーや贈与をしているのではありません。上記(1)のような個人こそ、「正の共感」をもった人なのです。
 次回は、外部性や効用の相互依存性といった経済学の概念的枠組みの中で、共感について考えてみましょう。

(注1)渡辺茂(2011)「動物の共感:比較認知科学からのアプローチ」『認知神経科学』13(1):89-95。
(注2)シャーデンフロイデについては、中野信子(2018)『シャーデンフロイデ:他人を引きずり下ろす快感』幻冬舎文庫も一読すると良いでしょう。
(注3)この点は、横山彰「再分配政策(2):政府の再分配政策と個人の私的動機づけ」『日々是総合政策』No.130 、(一社)総合政策フォーラムでも、論じました。言うまでもなく、本文の(1)から(4)は純粋型で、それらが2つ以上混合した型の個人も考えられます。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.239

平成の米騒動

 コメの生産調整に悩まされてきた農水省にとって、1993年の記録的冷夏によるコメの大凶作はパンデミックに等しい経験だった。政府備蓄米を総て放出しても200万トン以上が不足し、店頭から米が消え、アメリカ産米や中国産米は輸入量が揃わなかったので、タイ政府に頼み焼酎や米菓などの原料として輸入しているインディカ種のコメ(外米)を主食用にも緊急輸入した。
 そんな時、岡山市で単身赴任生活をしていた。早朝、国産米を求めて販売店に長蛇の列が見られたが、通勤途中で行列に加わることは出来ない。帰宅時に買おうとしても当然売り切れ、パン売り場に行っても甘い菓子パンしかなく、即席麺を買って帰る。レストランでもパラパラした外米のご飯しかなく、外米に適した炒飯やカレーライスなどを注文する以外にやりようがない。そんな日々が2か月ほど続いた。
 東京では高齢者が早朝から米の販売店に並ぶ姿がテレビに写し出された。終戦直後にタンスの中から着物を持ち出して近郊農村ヘヤミ米を買い出しに行った経験者を真冬の店頭に長時間並ばせた。マスコミではヤミ米で大儲けする一部の農家や流通業者も報道されていた。農業団体関係者の中から他の国民と同様に率先して外米を食する者が出てきても良さそうだがなかった。せめて率先して高齢者のいる施設に優先的に国産米を売ることでもできなかったのか。政府は様々な農業助成策を実施している中で、国民参加型農政という言葉が空々しく感じる状況だった。
 対照的なのは、1995年の阪神・淡路大震災時の株式会社ダイエーの故中内功社長の対応である。店舗も社員も甚大な被害を受けつつ、政府より早くフェリーやヘリを投入して食料品や生活用品を調達し、便乗値上げを防いだ。「流通業はライフライン」との信念の下、被災店舗前で24時間点灯し続けて営業した。商売人の真骨頂を見て感激した。社会の安定維持への貢献は2011年の東日本大震災でも受け継がれた。
 法律で罰則を課しても、補助金・低利融資や税制優遇・課税強化をしても、どんな政策も日常生活を営む人々の社会的文化的特性を無視できない。長期的視点から人々の理解と共感を売る努力が無ければ、政策の実効性は期待できない。さて、コロナ対策はどうだったのだろう。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.238

不思議の夢の国

 娘の小学校入学の前に、と思い立って9月、ディズニーランドへ行ってきた。この時期なので入場者はピーク時の10分の1程度、待ち時間はほぼ無く、アトラクション乗り放題のまさに夢の国であった。こんな国なら、ずっといられる。
 そんなことを思っていても、退場ゲートを出れば、大変な日常が戻って来る。娘が通う有料の認証保育園で同級の児童の暴力が頻発。無償化された認可保育園に他児童が次々に移っていき、問題児と二人残ってしまった娘はもはや逃げ場を失い、私たちも不本意ながら認可園へ転園した。
 転園に際して求められる書類の山にはうんざりした。さらにびっくりしたのは出生時体重、ワクチン歴、月ごとの身長体重、etc…全部手書きだったこと。デジタルトランスなんとかって、確かこの国の話だったような…?
 そして転園して1か月。娘にも友達ができ安心した一方、私は、いわゆるママ友たちの処し方に失敗した。平日の運動会総練習日。親たちは見学に行っているらしい。その夜、娘に「みんなママ達来てたのに、どうしてママは来なかったの」と怒られた。連絡が回ってこず、仲間外れになっていた。この保育園には地域居住歴順で入園している子たちが多い。近所の保育園は保活の激戦区で入れず、ちょっと遠くから来ている私たちが、仕事にかまけて地域に馴染もうとしなかったのが、ママたちの機嫌を損ねたか。苦い謎が残る。
 ならば次の小学校こそはママたちの輪に入るぞと気合十分。そこに教育委員会から就学時健康診断のお知らせ。紙には3桁の番号が2つ、どちらが受付時間の番号かは電話で初めて判明・・・。
 3週間後の平日の真昼間に来校すべし、と書かれている。皆どうやって仕事のやりくりをするのだろう。代替日に行けばいい?…だけどそうやって仕事優先で考えたらまた地域にハブられるかも。きっと子供第一優先で動かないと、ママたちの輪には入れないのだ。この先のPTAも学童も同じだと思うと気が滅入る。いやしかし、女性の仕事環境改善が取りざたされているのは確かこの国で間違いなかったような…?
 というように、ディズニーランドを出た後も、私の日常は不思議の国の中にあるようだ。
 言ってることとやっていることが乖離した不思議な令和日本の、悪い夢の中に。

(執筆:松野由希)