日々是総合政策No.59

県民経済計算の充実を

 県民経済計算とは全国レベルGDP統計(国民経済計算)の都道府県版です.内閣府は,それを「経済分析はもとより,県の行政・財政、経済に関する政策決定や,政策効果の測定など様々な分野で利用されている重要な統計情報の一つ」と位置づけています.実際,地域経済を分析する場合は県民経済計算を利用するしかありません(注1).
 しかし,その作成方法を知ると,県民経済計算をどれくらい信頼して良いのか不安になります.というのも,このように重要な統計と位置づけているにもかかわらず,その算定はそれぞれの都道府県が別々に行っており,国は単に都道府県が算定した数値をまとめているに過ぎません.そして,数値の作成には国が示す統一的なガイドラインが有るにしても,細かいところを見ると,実際の作成方法は都道府県でいろいろと異なっています.
 この問題は,近年,沖縄県の県民所得を巡って不必要な混乱を招きました.2012年度の県民経済計算によると,沖縄県の1人当たり県民所得は203.5万円で全都道府県最下位(47位)でした.しかし,高知県(同45位)の方式で計算し直すと,沖縄県の同値は全国28位の266.5万円へと増加したのです(注2).また良く知られていることですが,県民経済計算にある各都道府県のGDPを足し合わせても,国民経済計算にある日本のGDPと一致しません.つまり,国民経済計算との最低限の一貫性も保たれていません.しばしば「中国の省単位のGDPを合計すると中国全体のGDPを上回る」とマスコミが中国の統計体制を揶揄することがありますが,それと同様のことが日本でも起こっているのです.つまり,嘆かわしいことに「県民経済計算」は先進国の地域統計の体をなしていないのです.
 少子高齢化の高進,人口・労働人口の大幅減少のなか,今後,地域経済は大きく変動すると考えられます.そのような事態を系統的に捉えることができる唯一の統計が県民経済計算です.そうであるにもかかわらず,これらの県民経済計算の問題に関しては何の議論も対応も行われていないようです.国は都道府県が推計をバラバラに行っている現状を放置している現状を改め,早急に率先して県民経済計算の作成体制を整備し,地域統計の質の向上に尽力すべきです.

(執筆:林正義)

(注1)内閣府経済社会総合研究所国民経済計算部「県民経済計算標準方式(平成 23 年基準版)」平成31年8月30日閲覧https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kenmin/files/contents/pdf/hyojunb23.pdf
(注2)産経新聞 「沖縄県の県民所得,低く計算.計算方式変更で最下位維持『基地問題が経済的足かせになっていることを示したいのでは』」産経ニュース.2017.1.5 07:37.平成31年8月30日閲覧https://www.sankei.com/politics/news/170105/plt1701050006-n1.html

日々是総合政策No.58

位置づけ・意味づけ・秩序づけ

 前回(No.45)述べたように、ある社会の政策決定は、時間を越えて、その社会の将来世代に色々な影響を及ぼします。例えば、1937年7月の盧溝橋事件に始まる日中戦争や1941年12月の真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争(大東亜戦争)について、当時の日本政府が下した政策決定は、日中戦争や太平洋戦争に全く関与していない戦後生まれの日本国籍の人々にも負の遺産をもたらしています。
 これは、前回考察した地球温暖化対策が有する外部性と同じく、将来世代への政策の外部性の一事例で、「政策の通時的外部性」といえるものです。
 政策を総合的に研究するとき重要になるのは、時間軸と空間軸から構成される時空の中で、社会や文化や歴史や社会問題や政策や人間を、どのように位置づけ・意味づけ・秩序づけるかです。いまの日本で日本国籍をもつ一人の人間として、各日本人が日中戦争や太平洋戦争という歴史的事柄をどのように位置づけ・意味づけ・秩序づけるかで、いまの日本を「より良い社会」に変えようとする人間の営みも違ってきます。すべての日本人が、これらの戦争について十分な情報をもっているわけではありません。追加的な情報を獲得することの便益と費用を比較考量して費用の方が便益よりも大きければ、それ以上の情報を獲得せず情報欠如になります。この状態は、政治過程を経済学的に分析する公共選択論では「合理的無知(rational ignorance)」といわれています。
 合理的無知の状況にある人々に、日本国内外の歴史専門家や政府や学校やメディアなどが日中戦争や太平洋戦争の情報を提供しています。しかし、その情報は情報提供する主体の独自の窓から取捨選択された情報になります。そうした情報を基に、各人は日中戦争や太平洋戦争を位置づけ・意味づけ・秩序づけます。戦争だけでなく考察の対象にする事柄に関する、位置づけ・意味づけ・秩序づけとは、次の通り定義できます。
 位置づけとは、その事柄を類型化した範疇の中で特定化しその位置関係を同定することである。意味づけとは、その事柄に特定の視座から物語としての意味を与えることである。秩序づけとは、その事柄の位置づけと意味づけに基づき、その事柄について取り組むべき活動の優先順位を決めることである。

(執筆:横山彰)

(注)本随筆は、横山彰(2009)「総合政策の新たな地平」中央大学総合政策学部編『新たな「政策と文化の融合」:総合政策の挑戦』6頁(中央大学出版部)の一部について加筆修正を加えたものである。

設立記念研究集会 開催のご報告

当フォーラムの設立記念研究集会を下記の通り開催いたしました。

日時:2019年8月31日(土) 13:30~(13:15 開場)
会場:中央大学 駿河台記念館6階610号室【アクセス

プログラム:
13:30-13:35 開会の辞
 
13:35-14:20 基調講演 「地域社会を支える総合政策」
        講演者:横山彰(代表理事・中央大学名誉教授)
        【資料

14:20-15:20 研究プロジェクト企画の概要発表・討論
「ケニア北部・エチオピア南部におけるインデックス型家畜保険の需要と貧困動学、需要増加のための経済実験」
 池上宗信(理事・法政大学教授)
「途上国における電力価格政策の集積分析」
 後藤大策(理事・広島大学准教授)
「米中日とアジア途上国・地域の経済関係」
 谷口洋志(理事・中央大学副学長)
「人口動態の変化と地方政府の持続可能性」
 中澤克佳(理事・東洋大学教授)
「民主主義デザインと公共選択:こども・若者の政治参画・社会参画」
 矢尾板俊平(理事・淑徳大学教授)
「多文化共生社会の総合政策研究」
 横山 彰(代表理事・中央大学名誉教授)
 山内 勇人(研究員・中央大学政策文化総合研究所客員研究員))
 分科会1「多文化共生の多中心的連携活動」
 分科会2「多文化共生の人文学的基礎」

15:30-16:45 パネル・ディスカッション
テーマ:「コンパクトシティと自治体連携」
コーディネーター:矢尾板 俊平(理事・淑徳大学教授)
パネリスト(五十音順)
 磯道 真 氏(日経グローカル編集長)
 後藤 大策氏(理事・広島大学准教授)
 田中 聖也氏(総務省自治行政局市町村課長)
 山田 正人氏(東京大学公共政策大学院客員教授、元横浜市副市長)

16:45-16:50 閉会の辞

※詳細は、PDFファイルをご覧ください。

以上

日々是総合政策No.57

反知性主義VS.大学教育?

 批判的知の軽視、感情による物事の判断、ある現象を理解する際に多様性の一切を捨象し単純化することなどを特徴とする、「知的な生き方」の軽視あるいは敵視は、反知性主義と呼ばれている。そして、このような知識への認識・態度は、批判的に物事を考える力や、論理や根拠に基づいて判断する能力、物事の多様な側面を理解する能力を育もうとする大学教育の側には脅威となっており、大学教育側、特に人文系の学問領域においては批判的に言及されることが多い。
 確かに現代日本社会における外交関係や「ひきこもり」「格差」といった問題をめぐって飛び交う感情的で断定口調の言説を見るならば、大学教育側から反知性主義へと向けられる批判の重要性は否定できない。だが、特に「感情」を巡っては、反知性主義VS.大学教育という枠組みの安易な採用には慎重になる必要があると考える。
 この二項対立的図式の限界は、そもそも境界線が流動的で曖昧なことを把握できないことにある。より正確にいえば、「感情」が時に学問の礎になることを見落としてしまう点にある。たとえば、フェミニズムの黎明期に議論を支えたのは、社会に対する「不満」であった。同様のことがポストコロニアル理論にも言える。20世紀に入り植民地の多くは独立したが、旧植民地に対する旧宗主国の文化的・政治的な影響は残り続けた。旧宗主国と旧植民地の間で揺れる/揺さぶられる人々(たとえば旧植民地出身の「イギリス人」)の「居場所の無さ」や「不満」は、ポストコロニアル理論を生み出す原動力ともなった。これらが意味しているのは、(全てではないにせよ)大学教育には、「感情」を最終審級ではなく問いの起点に昇華し、これまで顧みられることの無かった個々人の「不満」や「不安」を、他の人々に理解されうる概念や論理に翻訳する方法が備わっている、ということである。
 もちろん、反知性主義を消し去ることはできないだろう。だが、「大学教育」には反知性主義を前に、それらをやみくもに拒否・否定したり、逆に諦念に陥ったりすることとは異なる道もある。その道は、反知性主義VS.大学教育という図式に挑戦する道でもある。

(執筆:山内勇人)

日々是総合政策No.56

正規雇用の定着には総合的な政策で

 人は産まれた年を選ぶことはできませんが、いつ誕生したかは、およそ20年後の就職活動の時期に大きな影響を受けます。
 今年の終戦の日、日本経済新聞の一面記事は、「『氷河期』100万人就職支援」というものでした。政府は、就職氷河期と呼ばれる1993年から2004年にかけて就職した人たちを対象にした就職支援を検討するということです。具体的には、支援対象者が正規雇用として半年定着した場合、対象者に職業研修を施した事業者に対して成功報酬型の助成金を支給するというものです。
 就職氷河期と呼ばれたころの日本経済は、バブル経済の崩壊、アジア通貨危機、不良債権処理の失敗による大手金融機関の破綻、アメリカのITバブル崩壊といった事象が続き、景気低迷が続きました。これらの事象は当時の新卒学生の就職活動に多大な影響を与えました。多くの学生は何十社も会社訪問を行わなければ内定を得ることはできませんでした。それでも多くの学生は内定を得ることができず、正規雇用を諦めて非正規雇用者となっていきました。現在、この世代の人たちは30歳代半ばから40歳台半ばにさしかかっています。近年、この世代の引きこもり者による事件が世間を賑わせていますが、事件を起こした者の多くは、就職がうまくいかずに引きこもったということです。
 この世代の人たちが非正規雇用者から正規雇用者になるということは、今後の労働力、社会保障の担い手になるということに加え、社会の安全といった点からも重要になるでしょう。ただ、仕事を続けるということは、個人の性格といった心理的な要因や会社の風土にも影響を受けます。いくら研修を受けて仕事上のスキルを身につけたとしても、本人が仕事を継続できるのか、正規雇用を与えてくれた会社の風土に合うのかが問題になるのです。それらの点を考慮しなければ、いくら金銭的な支援があったとしても正規雇用の定着は進まないでしょう。その意味でも、この政策は金銭的なものだけでなく、心理的な側面も取り込んだ総合的な政策が求められるのです。

(執筆:矢口和宏)

日々是総合政策No.55

『論語』と「論点整理マップ」(1)

 現代における様々な既存の社会の仕組みに無理や限界が感じられる今の時代、私たちは新たな「何か」を中心軸として制度化する必要があるのではないかと感じています。その「何か」とは、地球に住む人たち誰もが皆が納得できる「何か」である必要があります。最近、温故知新の模索の中で論語に出会う事ができたことから、その息吹を紹介しつつ、私の研究テーマについて触れていきたいと思います。

 論語に、このような言葉があります。

 「互郷は与に言い難し。童子、見えんとす。門人惑う。子曰わく、其の進むに与し、其の退くに与せざるなり。唯だ、何ぞ甚だしきや。人、己を潔くして以て進まば、其の潔きに与せん。其の往(むかし)を保せざるなり。」(野中根太郎『全文完全対照版 論語コンプリート』より)

 孔子は進歩向上したいと心から教えを乞いに来た人には身分や出身を問わず受け入れる。なぜ孔子はこのような考えをされたのでしょうか。それは、学びに来た人が教えを社会で実践することで広がり、社会全体が少しでも良くなるかもしれないと考えたからです。
 このような哲学は例えば、私たちからわずか数世代前の西郷隆盛さんにも引き継がれています。

 「第二八条 道を行うには尊卑貴賤(そんぴきせん)の差別なし。」 『南洲翁遺訓』

 その人の地位の高さ、低さ、尊さ卑しさなどといったことは、自分から見ても他人から見ても恥じない道を実践する際には、全く関係ないとする哲学です。
 私はこれらを踏まえた上で、その「何か」とは、「社会を良くしたいと願う純粋な心」にするべきだと考えています。「社会を良くしたいと願う純粋な心」には、何ものにも代えがたい、すべてを凌駕した人類共通の哲学になり得る「原動力」になるのではないかと思うのです。
 私が提案する「論点整理マップ」とは、この「社会を良くしたいと願う心」を社会に具現化する為に必要なプラットホームになるのではないかと考えます。次回に続きます。

(執筆:椎橋一樹)

日々是総合政策No.54

大阪はどう変わるのか(下)

 前回(No.49)述べたような大阪市と大阪府の二重行政を解消するために、大阪市を廃止し、東京23区のような特別区をつくる、というのが大阪都構想です。ご存知のように東京都は23の特別区と市町村からなっています。特別区と市町村は基礎自治体として同じような仕事をしますが、特別区は市町村より予算について都との調整が必要となるなどの制約を受けます。大阪都構想には、政令指定都市として強大になった大阪市を抑え、大阪府(あるいは大阪都)の管理下に置くという側面があります。二重行政の解消の仕方としては、強大な大阪市を大阪府から独立させる特別市構想もありますが、これは本格的な動きになりませんでした。大阪都構想は、北村亘『政令指定都市』(中公新書, 2013年, pp. 213-215)に指摘があるよう、大阪市を解体してつくった特別区を大阪府が垂直統合する府主導の地方自治改革なのです。特別区の区長を選挙で選び住民自治を強化するという側面も大阪都構想は持っていますが、集権体制を強化する、地方分権が通常意味するのとは逆の面を持つ改革であることは、おさえておく必要があると思います。
 大阪都構想の選択については、現在進められている形とは少し違いますが、大阪市民による住民投票が2015年5月に行われています。当時大阪都構想推進の中心であったのは大阪維新の会代表で大阪市長の橋下徹氏でした。橋下氏を含め大阪維新の会所属の政治家は選挙で連戦連勝を重ねていましたので大阪都は実現するかに思われましたが、住民投票の結果は僅差の否決でした。大阪市がなくなることに対する市民の抵抗感が大きかったのかもしれません。この結果を受け、橋下氏は政治家を引退することになりました。しかし、大阪維新の会は勢力を保ち続け、前回述べた松井・吉村両氏の当選によって、再挑戦の下地が整うことになったのです。2019年4月の選挙結果などを受け、公明党も大阪都構想に理解を示すようになり、再び住民投票を2020年に実現させる動きが加速しています。大阪がどう変わるのか、注視したいと思います。

(執筆:奥井克美)

日々是総合政策No.53

民主主義のソーシャルデザイン:政権のレガシーづくり

 令和時代最初の国政選挙となった参議院選挙の投票率は、48.80%でした。これは3年前の前回参議院選挙の投票率から5.90ポイントも下回る結果となりました。また、10代(18歳、19歳)の投票率は31.33%でした。(いずれの投票率も総務省「第25回参議院議員通常選挙発表資料」に基づき、記載)。
 48.80%という投票率は、1995年に行われた参議院選挙の投票率(44.52%)に次ぐ、戦後2番目に低い投票率となりました。戦後、参議院選挙の投票率が50%を下回ったのも、1995年の選挙と今回の選挙の2回です。同じ国政選挙である衆議院選挙では、戦後、50%を下回る投票率はなく、最も低い投票率は、2014年12月の衆議院選挙で52.66%です。(いずれの投票率も公益財団法人明るい選挙推進協会の公表データに基づき、記載)。
 今回の参議院選挙で印象的だったのは、「諸派」と位置付けられる「政党要件」を有していない政治団体の躍進です。総務省の資料によると、比例代表選挙区で、れいわ新選組は1,226,413.562票を獲得し、NHKから国民を守る党は841,224票を獲得し、いずれも政党要件を満たしました。
 さて、安倍晋三首相にとっては、国政選挙6連勝となりました。本年11月には、首相の通算在職日数の歴代1位である桂太郎氏を超え、わが国の憲政史上歴代1位の在職日数も確実に視野に入りました。首相には任期はありませんが、自由民主党総裁としては2021年9月に3期9年の任期が満了する予定です。これからの政権運営の課題は、「政権のレガシーづくり」と「レームダック化の回避」であると言えます。「終わり」が見えた政権の求心力は弱まり、政策実行力が落ちていく可能性があります。これが「レームダック化」です。「憲法改正」なのか、日朝問題や日露問題などの「外交成果」なのかはわかりませんが、政権のレガシーを築き上げるためには、レームダック化を避けるばかりか、安倍首相の求心力を高める必要があります。そこで「鍵」となるのは、やはり「選挙」かもしれません。
 亥年の選挙イヤーが、夏の参議院選挙で終わらない可能性は「ゼロ」ではありません。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策No.52

変わり行く日本の雇用システム

 あらゆるものが、時代とともに変化する。現在のわれわれを取り巻く環境をみると、不安定な国際政治、異常気象、人口減少(少子高齢化)、第4次産業革命(AI、ビッグデータ、ICT、IoT、空飛ぶ自動車、自動車の自動運転等)、挙げれば切りがないほど多くものが変化し、新しいものが生み出されている。
 戦後長く日本企業の組織文化とされて来た日本的雇用慣行も変化の兆しが出始めている。日本的雇用慣行とは、わが国の大企業を中心とした雇用慣行の特徴である。終身雇用(長期雇用)、年功賃金、企業別組合は、その特徴であり三種の神器と呼ばれている。この特徴に加えて、大卒の一括採用を含めて日本的雇用慣行と呼ぶこともある。
 大学の3年生は年明けの3月から一斉に就職活動を開始し、その年の10月までに内々定を獲得する。早い学生であれば、4月、5月までに内々定を獲得する。なかには3社ないし4社から内々定を獲得する者もいる。そうした学生も10月1日の内定式までには1社に絞って内定式を迎えることになる。
 経団連が大卒の一括採用を2021年春入社から廃止し(政府の要請により22年春入社する大卒まで継続の模様)、さらに、経団連会長の中西宏明氏(日立製作所会長)やトヨタの社長である豊田章男氏も終身雇用制は維持できないと言及している。
 日本経済は、もはや高い成長が望めず、日本的雇用慣行である終身雇用制が維持できなくなっている。企業はこうした状況を打破しようと、AI,ビッグデータ等に精通している新卒を獲得するために、通常年収300万程度の新卒に対して年収1000万~3000万の報酬を提示することで、技術革新により対応できる人材獲得をねらっている。その結果もたらされるのは、年功賃金制の崩壊と正社員間の賃金格差である。2020年4月からは、非正規と正規労働者の賃金格差の縮小を目的として、同じ仕事をしている人には、同じ賃金を支払う(同一労働同一賃金)制度がスタートする。さらに、雇用流動化対策として金銭的解雇権も議論され始めている。

(執筆:小﨑敏男)

日々是総合政策No.51

水戸黄門民主主義

 数年前に団体旅行で中国に行ったことがある。通訳兼添乗員は大学の日本語学科を卒業した26歳の中国人男性だったが、話す日本語がよく分からない。観光の説明なら良いが、「何時どこで集合」と伝える時は困る。でも私には彼の日本語が何となく理解でき、私が若者の通訳になってしまった。「この人の言いたいことは・・・です。」と言うと、若者が頷き自由行動が始まる。そのうち若者と話し込む機会が増えた。一人っ子で親元を離れ上海で単身アパートを借りている。家賃が高くて困っている。マンションを買わないと結婚して貰えない・・・。
 ある時、中国は自由が無くて不満ではないかと聞いてみたら、政治的な自由とか表現の自由とかなくてもビジネスができて豊かになれば良いのだと言う。チベットでもウイグルでも混乱を抑えて秩序を守り、一方で汚職や詐欺などをする悪い奴を捕まえてくれればよい。ふと元米国国務長官のキッシンジャーの「『秩序を取るか、正義を取るか』と問われれば、自分は間違いなく秩序をとる。」という言葉(A Biography、別宮貞徳監訳)を思い出した。でも、いつか自由などの基本的人権がないことに不満を覚えないか。
 欧米諸国は中国も経済発展すれば共産党独裁の政治体制は維持できなくなり、民主主義の価値観を共有出来るようになる。だから経済発展を支援するべきだという今までの信念が誤りだと気づいた。どんなに経済が発展してもどんな政治体制を取りうるし、経済発展による経済力や軍事力や高度な情報技術などを国内外の圧政に使うこともあり得る。
 19世紀初頭のドイツの哲学者ヘーゲルは、「東洋人は、(中略)自由であることを知らないから自由はないのです。かれらは、ひとりが自由であることを知るだけです。(中略)このひとりは専制君主であるほかなく」(歴史哲学講義、長谷川宏訳)と言った。中国は歴史上未だに真の民主主義を経験していない。若者は水戸黄門のように悪人を懲しめながら上手に統治し秩序を守り豊かになれば良いとする。この国はどうなるのだろうか。
 別れ際に「2~3年後にまた中国に来たら通訳に指名してあげるよ。」と言ったら、若者は「馬鹿にするな!その時は社長になっている。」と言い放った。そして雑踏の中に消えた。

(執筆:元杉昭男)