東日本大震災から10年 当日のこと
今年の3月11日で、東日本大震災から10年が経過しました。発生時、私は大学の研究室におり、ラジオを聴きながら、仕事をしていました。ラジオを聴いていた理由は、その日の都議会において、当時の石原慎太郎知事が4選目の選挙に出馬表明をすることが予定されており、それを確認するためでした。それまで、石原知事は退任を表明しており、自身の後継候補として松沢成文氏(当時、神奈川県知事)を指名していました。しかし、事前の調査により、松沢氏では当選が難しい状況であることが判明したようで、急転直下、石原知事が出馬することになったという経緯があったと聞いています。
突然、ラジオから緊急地震速報が聴こえてきました。「岩手県、宮城県に緊急地震速報」。しかし、千葉市にある研究室も、徐々に揺れ始め、その揺れは大きくなります。この揺れ方は尋常ではないと思い、研究室の扉を開けようとしたところ、揺れの大きさで立っていられず、研究室前に座り込んでしまったことが思い出されます。机の横のロッカーは倒れ、机の上に覆いかぶさり、本棚からはほとんどの書籍が床に落ちていました。千葉市の震度は震度5強だったようですが、研究室は10階建ての9階にありましたので、体感震度はもう少し大きく感じました。
一時、建物の外に避難し、余震が落ち着いた後、研究室に荷物を取りに戻ると、研究室の窓の風景が一瞬、オレンジ色になりました。「なんだろう」と思った瞬間、大きな爆発音が聴こえてきました。市原市にあるLPGタンクが爆発したようで、その憧憬は、今でも鮮明に思い出されます。
4月下旬より、大学による被災地支援ボランティア活動が始まりました。私も、第5陣として、5月の連休明けから、宮城県石巻市雄勝町に行きました。また、5月5日に、青年市長会や産業界のメンバーによって立ち上げられた「ハートタウンミッション」の活動で、5月25日に岩手県陸前高田市を初めて訪問いたしました。これらの話は、また別の機会にお話したいと思います。
自分一人の力の無力さを痛感しました。だからこそ、自分ができることをしていこう、そのためには、何よりも行動が重要で、目の前の現実を少しでも変えていくことの大切さを学びました。
(執筆:矢尾板俊平)